痛み止めのクスリも注射も効かなくなり、そればかりか痛みは背中だけでなく胸にまで広がってきた。
痛みや痺れに対する治療で評判の良い病院に替わったところ、肋間神経痛(何らかの原因で、肋骨と肋骨の間にある神経に痛みが生じる症状)と診断され、痛みを和らげる「神経ブロック」という治療をするため、2週間ほど入院することになった。
生まれて初めての入院生活は、さすがに要領を得ないことばかりだった。とはいっても、病名もわかり、痛みも和らいで来たので、内心ほっとしていたところだった。医師は「とりあえず痛みを抑えただけで、肋間神経痛になった原因をはっきりさせなければ何にもならない」と言って、いろいろな検査を続けた。けれども、骨が折れているわけでもなければ、内臓に悪いところがあるわけでもなかった。
MRI検査の結果がでて、医師から「手術をしなければならないので大きな病院に移ってください」と告げられ、その日のうちに転院となった。病室に空きがなく、無理やり脳外科の病室に入れてもらい、翌日には手術をした。何が何やらわからないまま、言われるがまま、「はい」「はい」とただ従うだけだった。
人のからだは、頭蓋骨から骨盤まで積み木のような骨が連なっている。その骨の中を、脳と手足、内臓を結ぶ神経である脊髄が通っている。脊髄の中に悪性のリンパ腫瘍が見つかったのだ。痛みは、腫瘍がだんだんと大きくなって神経を圧迫していたためだった。悪性なので手術によりすべて取り払わなければならない。全身麻酔をしていたので手術中の記憶はまったくないが、術後はひと晩じゅう、背中を激しい痛みが襲っていたことだけ覚えている。
場所が場所だけに手術に時間をかけることは大量の出血を招き、命に影響してくる。かといって、悪性リンパ腫は体内にわずかでも残すわけにいかないため、とても難しい手術だったそうだ。それでも執刀医は、「すべて取り除けたと思う」と満足そうな表情を見せた。
そして、この手術を境に、わたしの下半身はまったく動かなくなった。
脊髄が破壊されて神経組織が死んだり、切れたりして起こった知覚や運動の障害を麻痺といい、この状態を脊髄損傷という。損傷した箇所から、脳と結ぶ神経が遮断され、麻痺する。動かすこともできないばかりか、触っても感じない。わたしの場合、みぞおちから下の神経が全廃した。損傷した場所はもう少し下なら腹筋に神経が残り、座ったり起き上がったりすることが楽だったはずだが、もう少し上なら、両腕にも麻痺が及んでいたところだった。
人体ではいろいろな奇跡が起こるので、神経が切れていても脳から指令を出し続けたり、何かの拍子に、別のルートで神経が下半身につながることもあるらしく、医師や看護師は「100パーセント元に戻らない」とは決して言わなかったが、悪性リンパ腫の治療を続けるため、整形外科病棟から内科病棟に移るなかで、整形外科医はやがて姿を見せなくなり、内科で新たに担当となった医師も脊髄損傷についてほとんど触れることがなかったことから、わたしはこれからの人生を下半身麻痺のままで送らざるを得ないことを悟った。
内科病棟に移ってもしばらくはただベッドに寝ているだけの毎日だった。寝たまま食事をした。布団の中に隠れた自分の足が曲がっているのか伸びているのか、どっちを向いているのかわからない。靴下を履いているのか裸足なのかわからない。排便をしたいという感覚すらなく、便が出たかどうかすらわからないまま、ただ寝ていた。起き上がることもできず、自分の手でかろうじて太ももを触り、間違いなく足がついていることだけは確認できた。寝返りも打てず、いつも仰向けで、天井とにらめっこの毎日。天井にある染みの数や形を全部覚えるほどの時間をベッドで過ごした。
母が病室に訪れると、必ず、布団に手を入れてわたしの足をさすった。「こうやって刺激を与えていたら動くようになるかもしれん」と、まるで祈るようにいつまでもさすった。足を触られていてもまったく感じないが、布団の布が擦れる音で触られているとわかる。しばらくして音が止まったので「もう終わり?」と訊くと、「どうして止めたのがわかったん?もしかして、感覚がもどったんじゃない?」と、驚きと喜びが入り混じったような顔をする。「絶対、神経が戻るよ。絶対、また歩けるようになるよ」と、また足を撫ではじめる。
何日か経つと、上体を起こせるようになった。最初のうちは、からだを起こすと目眩がしたが、だんだんと慣れていった。そして初めて車椅子に乗せてもらった。車椅子であろうと、久しぶりに自力で動くことができたのだ。病室の外は眩しく賑やかだった。動けるようになったので、悪性リンパ腫を摘出した患部に放射線を照射する治療を何日かに分けておこなった。
放射線治療をひとまず終えたところで、主治医が、「悪性リンパ腫の治療を続けることも大事だけど、あなたの場合、これからの生活を考えるとリハビリを優先した方が良いと思う。岡山県に設備が充実したリハビリセンターがあるので、紹介状を書くから移ってはどうか」と提案された。
こうして吉備高原医療リハビリテーションセンターに転院することになった。
気がつけば、世間は夏休みに入っていた。