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第15回目

入社して、七転び八起き、無我夢中の3年が過ぎた。新米書店員のわたしにとって、七転び八起きというより七転八倒、無我夢中というより五里霧中の3年だった。

1987年、啓文社は、福山市郊外にコア店を出店することになる。駐車場を持ち、2フロアで売場は220坪。1階は、書籍・雑誌と文具。2階は、コミック、学習参考書、児童書とレコードレンタル。啓文社の中で最大となるコア店には、福山本通り店から世良店長が着任した。
そして、わたしも、世良店長からコア店スタッフとして呼ばれる。かつて、「小さな店では幅広い商品知識がつかない」と相談し、「売場の広さと書店員の商品知識は別だ」とたしなめられた店長だ。コア店のメンバーに指名されたのは、それほど言うなら大きな店で自分を試してみろという意味だったのか。真意はわからないが、とにかく、わたしは啓文社の一番小さな店から最も大きな店に異動となった。

福山市には、既に、福山本通り店、旭が丘店、伊勢が丘店、そして郊外型では一号店のブックシティーがあったが、実質的に、コア店の出店が、福山でのドミナント戦略の皮切りとなった。社長は、コア店店長に「既存の店を叩き潰すくらいの気持ちでやれ」と言い、既存店の店長には「コア店に負けるな。遠慮はいらないから」と励ました。啓文社のドミナントは、自社どうしが競い合い、しのぎを削ることで、結果的に他の競合店をはじき出すというかたちで進んだ。
たとえば、出版社営業の人が訪店し、フェア企画を案内してもらったときなどは、「このフェアはぜひやってみたいですね。ところで、あっちの啓文社にはもう行きましたか。これから行くのなら、このフェアは案内しないでください。あちらの店が同じフェアをやるのならうちの店ではやりませんから」というのはしょっちゅうだった。

とにかく、近隣の他書店と同じことは絶対にしたくないという気持ちが強く、独自のイベントやブックフェアを月替わりで開催した。ライバルのブックシティー啓文社は入口を入ると、新刊、ベストセラーコーナーだったが、コア店の入口を入った場所は、催事コーナーだった。
店長は、(売上を稼ぐ)実を取るフェアと、(売れなくてもいいからおもしろい)名を取るフェアを交互にやろうと言い、スタッフからもどんどん提案させた。お祭好きのわたしも積極的に企画した。ジョン・レノンの命日に合わせた「ビートルズフェア」では、開催期間のBGMにジョン・レノンやビートルズだけを流し、スタンド・バイ・ミーを鼻歌まじりで気持ちよく仕事させてもらった。野田秀樹、鴻上尚史、北村想、如月小春、山崎哲などの著書、劇団の戯曲、パンフレットなどを集めて小劇団フェアなども採用してもらったが、そういえば、なぜか、わたしの企画したフェアは「名を取るフェア」の番にまわされていたなあ。

「書店は常に進化しなければならない。お客さんといっしょに育っていかなければならない」店長は口ぐせのように言った。
オリジナルで企画するフェアは、できるだけ常備していない書籍、出版社のもので展開しようというルールがあり、フェアが好評なら、そのまま、常設にする。それを繰り返すことで自店のお客さんのニーズを探り、棚の商品をそれに合わせていこうとした。
開店当初は、まわりは田んぼだらけだったが、見る見るうちに、家が建ち、店ができて、あっという間に町になる。コア店の棚もどんどん深みを増していった。

「○○さんとか、△△さんとか、児玉君とか、世良店長が育てた社員は多いですね」
「○○さんや△△君は確かに入社の時から私が育てたけど、児玉君には何も教えてないよ。彼はいつも勝手にやってきた」
出版社の人と店長のこんなやり取りを耳にしたことがある。従順でないわたしは最後まで弟子として認められなかったが、店長から教わったことは多かった。

世良店長は、文学青年のまま歳を重ねたような人だったが、一方、専門書に強く、商品管理には特にうるさい職人でもあった。わたしは文芸書を担当していたが、ある日、文芸書棚を、店長が腕組みをして眺めている。気になって、そばに寄り「何か・・・」と訊ねても、うーんと唸るだけ。随分と長い時間待たされ、やがて店長はようやく口を開く。「棚が、かすんでいる・・・」。なんだか『哭きの竜』(能條純一・竹書房)の主人公みたいなことを呟いた。「ど、どういう意味ですか」と聞くと、「棚に魂が感じられないんだよ」と言って、静かに立ち去っていった。あなたは禅寺の和尚か。
しかたがないので、棚とにらめっこを繰り返し、自分なりに答えを出して、棚の配列や並べる順番、構成などを変えてみた。
あくる日、店長がまた文芸書の前で立ち止まり、しばらく棚を見て、やがて頭を横に振りながら去っていく。その姿をみて、きっと、まだダメなんだと、また棚の本を並び換えたり、今まで揃えていなかった本を仕入れてみる。


店長は、前職が出版社だったせいか、本に対する愛着が人一倍強く、同時に厳しかった。一冊の本には、著者や編集者といった作り手の愛と情熱がつまっているのだということを教え込まれた。
ついでにいうと、出版社の営業マンにも思いきり厳しかった。案内しに来た新刊について、次から次へと質問を浴びせ、答えられないと「勉強しなおして来い」と追い返した。
読書量も並大抵ではなかった。わたしがこれからの人生を、店長の2倍のスピードで本を読んでいっても一生追いつかないくらいの差があった。これ以上、差がつかないようにするためには、本を読みまくるしかなかった。

確かに優しくくわしく教えてくれることは、まったくといっていいほどなかった。だから、「ぼくは児玉なんか育ててないよ」なんて言うのだろう。
そっちがそのつもりでも勝手にいいところだけ吸収させてもらいましたから。もちろん、偏屈な性格は真似しませんし。

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