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   <title>連載堂書店</title>
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   <title>第43回目</title>
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   <published>2008-05-12T04:18:01Z</published>
   <updated>2008-05-12T04:18:18Z</updated>
   
   <summary>３月になると、ビジネス書売場の平台に、ビジネス・マナーや敬語の本が並ぶ。もうすぐ...</summary>
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      ３月になると、ビジネス書売場の平台に、ビジネス・マナーや敬語の本が並ぶ。もうすぐ社会人になるフレッシュマンに買ってもらうのが狙いだが、新入社員の研修に使うテキストとして、上司が購入する方が多いようだ。

啓文社も４月になれば５名の新入社員が仲間入りする。みんな、卒業式も終えていないうちから、既に、「研修」という形で勤務している。ご苦労さま。

一方で、来年度の新卒採用がスタートしている。
先日、本社で面接試験をおこなった。面接官は、毎年、各部門の責任者にお願いしているが、３月は新規出店が控えていて、その準備で大わらわ。外商部は、地元の小、中、高校の教科書が大量に入荷しており、一年で最も忙しい時季を迎えている。高校の教科書販売は同じ日に何校も重なるので、全部署から応援に入るのが恒例だが、今年は新規開店の準備で、店からの応援がないため、いよいよ緊急事態になっている。さっきから教科書の箱をひっくり返して何かを探している外商部の瀬尾次長に面接官をお願いしてみたが、やっぱり無理だった。探しているのはきっと猫の手に違いない。

外商部からの面接官は諦めることにした。
そこでポートプラザ店、佐藤店長に白羽の矢が立った。脱メタボをスローガンに、果敢に「夕食抜きダイエット」に取り組んでいる佐藤店長。標的のお腹が大きくて白羽の矢が当たったのではなく、現場で数々の面接をこなしているベテラン店長だからだ、念のため。パート、アルバイトスタッフは、店長に採用権があるので普段から面接は数多くこなしている。でも、正社員の面接は初めてだ。

正社員採用の面接官はひとりではない。各部門の責任者、さらには監査を担当している大ベテラン、面接の達人の松井部長がいるから安心だ。安心というより、面接会場は、松井部長の独壇場といえる。学生が緊張していると思ったら、冗談を言って、場をなごませる。自分でボケて自分で突っ込むという「ひとり漫才」をやってのける。リラックスさせたところで、鋭い質問を次から次へと浴びせ倒す。まるで速射砲。相手がたじたじになって辻褄の合わない発言をしようものなら、傘にかかって追い討ちの質問を投げかける。松井部長が言うには、窮地に追い込むことでその人の本性が垣間見えるものらしい。短時間で人柄や性格を見抜くためには、これが最適の方法だそうだ。なるほど説得力がある。というわけで、往年の中田英寿を彷彿させるキラーパスのような鋭い質問は松井部長の得意技。ワールドカップ級だ。
さらに松井部長の観察力は鋭く、学生があまりに動揺してしまって本来の自分が出せない精神状態にあると察すると、すっと気持ちを和らげる話を挟む。
「いつまでシラを切っているんだ。ネタは上がってんだ」
「まあまあ、そうカッカするな。どうだ、タバコでも。ところで故郷のおふくろさんは元気にしているのか」
取調室の血気盛んな若手刑事と老練なベテラン刑事の抜群のコンビネーションを、この面接会場で、ひとりでやってしまうのだ。

思い出してみると、佐藤店長やわたしが入社試験を受けたときも、松井部長は面接官のひとりだった。「でも、今ほどきつい質問をされた記憶がない」と言うと
「だから、こちらが見抜けなかった。そのお陰で君たちが入社できたのだよ。その反省が今日の面接スタイルを生み出した」
辛口、へらず口、憎まれ口…。松井部長はいくつの口を持っているのか。その口から質問がまた繰り出される。
「本は読む？好きな作家は？」
ここまでなら誰でも一人くらい作家を挙げることができる。
続いて、「どの作品が好き？」
これに答えると、「他には？」
答えるとまた「他には？」
ここらあたりで答えに詰まってしまうと「それだけ？」といかにも落胆したような表情をみせる。書名を間違おうものなら、「その作家にそういった作品はないよ。好きな作家なのに覚えていないの」と鋭く指摘する。
作品名を搾り出したところで、「それでその作品のどういうところが良かった？」

念のために言っておくが、猫をかぶる学生に対し、窮地に追い込むことで本性を出してもらうというのが狙いだ。けして苛めているのではない。

「ところで君は、啓文社には何軒行ったことがあるの」
ここで１軒とか言ってしまったら「ほほう、入社試験を受けようとする企業を研究しようという気持ちにはならなかったのだね。真剣さが足りないのかな」と攻撃される。

「５軒くらい行ったことがあります」
はじめて面接に参加した佐藤店長は、午前中こそ松井面接官と学生の緊迫した攻防をハラハラしながら見守っていたが、午後からは、松井部長のパターンがつかめてきた。そして、５軒と答えた学生の登場になぜかほっとした。
しかし、松井部長はそれがどうしたという顔をして、
「その中でどの店が好きですか」
と、続ける。
彼女はこう答えた。
「ジャスコ三原店です。ある日、レジのところで、お客さんに親切に本の説明をしている店員さんがいらっしゃいました。それを見て、こういうところで働きたい、こういう仕事をしたいと思いました」
いつも丁寧に応対している○○さんのことかな。それともベテランの△△さんか。
ついこの間までジャスコ三原店に勤務していた佐藤店長は、そんなことを思いながら履歴書や筆記試験の成績を目で追い、面接評価票のチェック項目を埋めていた。
「その店員さんはこちらの方だったと思います」
佐藤店長が顔をあげると、彼女と目が合った。えっ、僕？

「きっと、人まちがいだよ」
松井部長は、間髪入れずそう言って、面接会場の全員を笑わせ、重い雰囲気を一遍に和らげる。佐藤店長だけがズッコケて照れくさそうに苦笑いしていた。
      
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   <title>特別編「坂の上のパルコ」第2回第4話</title>
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   <published>2008-04-30T03:52:46Z</published>
   <updated>2008-04-30T03:53:18Z</updated>
   
   <summary>   「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」   田丸慶（河出書房新社）×矢部潤...</summary>
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      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」</h3>
  <p>田丸慶（河出書房新社）×矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>

<h4 style="font-weight: bold;">第4話　書店員と営業マンの幸福な関係</h4>

<dl>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>泣きそうになるっていえば、当時の田丸さんも泣きそうになっていたよね。なんか途中で物流部門も忙しくなってきたとかで、夜遅く、何時に電話してもいるんだもん。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>物流もやってましたからね。そっちで怒られることがいろいろあったんですよ。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>システムを入れ替えるとかだっけ？</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうです。それまで社内で在庫が合わないとか、ずーっとガタガタやっていたんですけど、だったらもう一気にシステムを入れ替えようって時期だったんですよ。そうしたら毎日毎日予期せぬトラブルが出て来ちゃって、それこそ注文短冊が出力されないとか、ピッキングリストが出ないだとか。今日こそは矢部さんのところに営業に行こうと思っていたのに、会社から抜け出せないんですよ。単純なミスなんですけど、物流は一日でも止まったら大変なことになるんで、それはもう大変でした。止まったでは許されないから、なんとかしなくちゃならない。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>えらい夜に来たりするんだよね。９時頃とかね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>ふつう書店さんに夜、営業に行くなんてないですよね。夜、行ったら怒られたりしますよ。でももう現実逃避なんですね、たぶん。矢部さんにいろいろ聞いて欲しいっていうか、全然違う話をしたくなるんですよ。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>私に言っても何の解決にもならないんだけど（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうですよね、矢部さんとピッキングリストは何の関係もないですもんね。でも矢部さんの顔を見れば何とかなるような気がしていたんです。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>なるわけないよ（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうなんですけど、気持ちの問題なんです。前向きな気持ちになって、翌日会社に行けるわけですよ。当時、僕のなかには矢部さんのところしか幸せな場所はなかったんです。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>何いってんだよ（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>月曜のＦＡＸがあって、それがまず幸せで、あとはもう何かがあったら銀座線に乗って渋谷に行って、パルコの地下に降りて、矢部さんの顔を見ると「明日はなんとかなるだろう、なんとかなる！」って思えたんですよ。じゃないと家にも帰れない気分でした。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>ハハハ。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>でもですね、ほんとなんとかなったんですよ。なんとかなったからこそ、今があるんですよ。当時の僕は、Ｐ－ＢＣ渋谷店で『ロックンロールミシン』やほかのＪ文学が売れているのが支えでした。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>まさか人助けになっているとは思わなかったな（笑）。その支えのＪ文学は、１９９９年ぐらいが終焉だったのかな？　そろそろこういう括りは恥ずかしいかもみたいな雰囲気になっていたんじゃないかな。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>前回の藤本さんとの対談でも語られてましたけど、「あっそういうもんなんだ」ってみんなが気づいたときには終わりが近づいているんですよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>元々Ｊ文学の読者自体が、半歩進んでいる感を持って読んでいた人たちが多かったわけだから、それが括りで認知されちゃうと、もう違うところに行っちゃうんだよね。同じものでも違う括りだったら買うかもしれないけれど。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>Ｊ文学自体も当初マスじゃなかったわけでして、河出書房としても誰もそこまで大きくなるなんて考えてもいなかったわけですよ。「文藝賞」もどんなに赤字でも毎年やっていく。で、いろんな小説を求めて、集めて、読んで、賞を与えて、それがどういう効果を生むのかわからないんだけど、でも新人の登竜門みたいなものを作って行きたかったんですね。大手文芸誌に向こうを張るみたいな。９７年の冬くらいからＪ文学の流れみたいなものが出てきて、鈴木清剛と星野智幸が受賞して、矢部さんのところで展開してもらって、かーんときた。それで全国でフェア展開して、今までの文藝賞の倍以上売れていた。そして、まあ何年か経って終焉の時期を迎えたんですけど、若い人が読む、それもミステリーでもなく、エンターテインメントでもない、純文学というのは、その時代、その時代にあるんだろうと。我々はそれを渋谷系文学とかＪ文学と名付けたけど、また別のかたちで出てくるだろうと思いますし、綿矢りさなんかもそうだと思います。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうだね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>それと書き手の方も、たぶんおそらくですけど、あの頃のＰ－ＢＣ渋谷店で本を買っていた人たちが「自分でも書けるかもしれない」って作家になっていった人もいると思います。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そんな大それた（笑）。販売の方はあの頃と今で違う？</dd>
<dt>田丸</dt><dd>当時の新刊の流し方は基本的に実績によるランク配本だったんですね。だから河出書房で指定配本をし出したのは、Ｐ－ＢＣ渋谷店が初めてですね。スリップ枚数から言ったら出せないような数を、でもやってみようよ！みたいな感じで枠を取っ払っちゃったのは、あのときが初めでした。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうなの？</dd>
<dt>田丸</dt><dd>でも今はなぜか元に戻っていたりして……。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>データが全部見られるからでしょう？</dd>
<dt>田丸</dt><dd>それとＰ－ＢＣ渋谷店みたいな特出した売り方をする書店が少なくなってきたんですね。だから指定する必要がないんですよね。５部１０部で足りちゃうっていうか。あと何回かやってみるんですけど、結果がでないから、出版社としても何回もできないよっていうのがあるんですね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうか。じゃあこういう本を出すからあそこで売ってもらおうみたいなのは少なくなって来ているのか。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>少なくなっている感じがしますね。文庫や新書はあるかもしれないですけど、例えば当時の文藝賞を８０部やろう、みたいな感じのお店は少ないですよね。みんなが驚くような本に、驚くような注文は出てこないですね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>それが楽しかったんだけどね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>まあ今は返品率も全部見えちゃいますから、若い担当者も「これ仕上がりどうなの？」とか「実績出てないじゃん」なんて言われるわけですね。でもそんなこと言いだしたら何もできなくなっちゃうわけですよ。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>最近は外れたくないっていう気持ちが強いかもしれないね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>自分を信じてやらないとダメなんですよね。ＫＹって言葉があるとしたら、ＫＹじゃダメなんですよ。空気を読んでいたらダメなんです。みんなと一緒ではだめで、それはいいから自分で思うことをやって欲しいし、やっていきたいですよね。まあ読者側のＫＹで、みんなが読んでいる本を読もうって意識になっているのかもしれないですけど。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>じゃあ、ＫＹじゃない発注が来たら出荷する？（笑）</dd>
<dt>田丸</dt><dd>絶対出します！　だって今そんなのほとんどないんだもん。ほんとにないですよ。そうすると会社もね、適正ってあるだろう、なんて言い出すようになっちゃうんですよ。某ナショナルチェーンの注文数は全体の何％とかって発想で。でも、そうじゃなくて、非常識な部数であっても、担当がやる、そのお店がやるっていったときは、河出書房は絶対やりますよ。もちろん結果は見なきゃいけないんですけど、そういうトライは受け入れますよ。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>力強いね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そういう書店員さんに出てきて欲しいんですよね。イレギュラーのことを我々出版社の営業に押し通してくれるような。そういうときは、だいたい僕らも同じ気持ちになりますから。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>どうすると同じ気持ちになってもらえるのかな。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>出版社の営業マンもお一人でいいから、この書店員さんともう俺はなんか新しいことを起こすんだとか、すべてを投げ出して飛びこんで何かができる、みたいな人を作らなきゃいけないと思うんですよ。広く浅くでなく、パッとタッグを組んで行けるところまで行ってみる。まあ、僕が言ってるだけで正解かどうかわからないですけど。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>いいねえ。まあ当時は、あれしかないように思えたんだけどね。また、あれはあれでどっかで行き詰まったかもしれないとも考えているんだけどね。でも楽しかったね。
</dl>
  <p>（了）</p>
</div>]]>
      
   </content>
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   <title>特別編「坂の上のパルコ」第2回第3話</title>
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   <published>2008-04-22T06:29:47Z</published>
   <updated>2008-04-28T03:29:12Z</updated>
   
   <summary>   「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」   田丸慶（河出書房新社）×矢部潤...</summary>
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      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」</h3>
  <p>田丸慶（河出書房新社）×矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>

<h4 style="font-weight: bold;">第3話　書店員の日々の仕事</h4>

<dl>
<dt>田丸</dt><dd>ところで矢部さんの文芸書の経験というのは？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>文芸書の担当は渋谷店の、このときが初めてだったんだよね。芳林堂書店時代も、Ｐ－ＢＣ吉祥寺店でも、理工書とそれに付随するジャンルしかやったことがなかったんだ。このときは、前任者が退社したんでやることになった。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうだったんですか？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>誰もやる人がいないからやるって感じだったなあ。あんまり本も読んでないし、困ったなって。理工書は、置き場所に正解があるんだよね。物理の本は物理の棚にいくでしょう。分類がしっかりしているから、絶対迷わない。それにお客さんの方が知っているから、わからないことがあったらお客さんに聞けばわかるんだ。毎年同じ時期に同じ本が売れるし、だから一年やればだいたい掴めるんだよね。それに慣れていたっていうか、書店員というのはそういうものだと思っていた。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>なるほど。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>それが文芸書に来たらね……。そもそも新刊を売るってことがわからなかった。自分の力で出版社から新刊を取ってくるなんてね。いや理工書でもそういう商品はあったんだけど、実感として、強くそういうことを意識することがなかったんだよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そういう意味でいうと文芸書は独特ですよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>最初は戸惑ったねえ。しばらくやっていたら、こりゃぁ面白いかもしんないなんて（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>なんかこう自分でドカッと積んで、それをお客さんがレジに一日何人も持って来るというのは、文芸書の醍醐味かな？　なんて想像しますが。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>確かに注文して、入荷して、お店に出して、それがドンドン売れていくというのは、面白いよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>僕はそのデータがＦＡＸで送られてくるのを、楽しみにしていたわけです（笑）。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>ただＰ－ＢＣ渋谷店に関していうと、既刊を売る率も結構高かったんじゃないかなぁ。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>Ｊ文学にしても、前回、話に出ていたバカ本にしても、確かに売れていましたけど、その奥にある棚は、しっかりした本格的な品揃えでしたよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>ボリス・ヴィアンとかはずっと棚と棚下で売っていた。とにかく売れ出すとしつこいんだよね。まあ最初は理工書のノウハウしかなくて、まずやることは棚を作り替えることなんだよね。そうじゃないと今日来た本が入らないからね。たぶん、どこの本屋さんも一緒だと思うんだけど、これはこっちとかって毎日やるわけよ。それで自分なりにピシッとなったときが嬉しくもあり、スタートなわけ。おいらの棚ってなったわけだからさ。あらかじめ積んであったものも、最初はそれの様子を見るでしょう。Ｐ－ＢＣ渋谷店のことでいえば、前任者の棚を意図的に大きく替えた記憶はないんで、ずーっと同じ棚割りでやっていたと思う。今みたいに、これが売れているから全部面陳にしようなんてのは、全然これっぽっちも考えもしなかった。いつでも棚があって、棚下の平台があって、それを入れ替えるって感じだよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>一番売れないものを外して…。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そう。それで今日来た新刊をどこに並べるかというのを考えて。エンド台が３０面積めるなら、何をどう積むか考える。在庫の量も見て、どう並べるのがいいかとか。毎日そのくり返しだったよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>何カ所かに積む場合も悩みますか？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうだね、例えば新刊が３０部入荷したとするでしょう。それをどこに積むかは悩むなぁ。新刊台の一番前１５部積めるとすると、残りの５部を棚下の平台に積んで、１部は棚に入れる。残り９部はじゃあこっちに積んでみようとか。それで売ってみたら、実は新刊台では売れなくて、棚下ばっかり売れたりするわけ。そうしたら新刊台の平積みは外すんだけど、でもヘンに几帳面だから、新刊は新刊台にないといけないって考えているから、２部は差しておいたりして。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>新刊台の前でウロウロしていたときは、そうやって悩んでいたときだったんですね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>ただボーっとしていると思っていたでしょう？（笑）</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そんなことないですよ（笑）。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>配本があんまりない本も、しっかり差していた。とにかく入ってきた本は、即返品なんてことは絶対しないで、必ず新刊台にあるようにしておいた。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>確かにＰ－ＢＣ渋谷店に行って、新刊台を見ると、デイリーな流れが全部見えました。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>それが書店員の使命だと思っていたよね。Ｐ－ＢＣ渋谷店では絶対売れないような本でも、とにかく差していた。１部も入ってこないとメチャクチャ怒ったりして（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>展開に差はありましたけど、あるかないかの段階ではまったく差をつけないんですね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>とにかく棚に差す。芳林堂にいたからかもしれないけど、当時の池袋の芳林堂は１階に新刊台があったんだよね。そこに各階の各ジャンルの新刊を２部ずつ差すみたいな感じだった。なんとなくそのイメージをずっと引きずっていて、新刊台にはとにかくどんな本でも置いていたんだよね。毎日来るような常連のお客さんは、この新刊台を１周すればわかるようにしておきたかった。今日来て欲しい本がなくても、明日来たらそこには新しい本が差されていて、みたいな。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>書店員さんは他の人に棚や平台を触られるのを嫌がりますよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうなんだよね。互いに癖や想いがあるから、なんか他の人が並べた後の新刊台っていうのは違う感じがするんだよね。これをこっちなんて全部並べ直したりして。ただなかなかその並べ替える理由が下の子に伝わらなくてね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>矢部さんの頭のなかにあるもんですからね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうそう、私のなかでは絶対コレって決まっているんだ。だけどそれを乗り越えるというか、言われ続けないと、部下にはなれないんだよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>その並べ方の基準みたいのはあるんですか？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>ひとつは量的なものだよね。高さ。奥が高くて手前が低くなるような。なおかつストックはしない。売りたいものを出版社から１０部なら１０部貰っているんだから、その全部を積みきれるように一番良い場所や二番目に良い場所を考える。例えば新刊台のなかで一番良い場所が７部しか積めないなら、そこに７部積んで、残りの２部を棚下に積んで、１部は棚。だからそれだけの量は常に欲しいんだけど、配本が５部のときもあるわけ。そうしたらまず棚に１部差して、２部を棚下に積んで、残りの２部を新刊台に差す、とか。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そういう量的なことを考えているんですね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そう。それともうひとつは、この本を買う人は、これも買うかな、みたいな繋がりだよね。例えば平台に３０面積めるなら左から右に、若い人向きなものから年齢層の高いものを並べるとか。そういうのはどこのお店もやっていると思うけど。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>既刊書のなかに関連本があったらそこに並べるんですか？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>いやそれは私の考えではＮＧなんだ。新刊台には新刊しか置かないって几帳面に考えているから。そういう展開は既刊書の棚でやればいいかなって。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>残していかなきゃいけないノウハウですよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そんなことないでしょ。みんなやっているよ。几帳面の度合いは違うと思うけど。どかした場所にただ置く、なんていうのは私の中ではあり得なんだよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>僕であれば、極論ですけど、河出書房の本だけ案内できればいいわけですよ。それが書店員さんは全ジャンル全出版社を知った上で、今、何が売れている、これからこういう流れが来るって、瞬時にアレンジして替えていかなきゃいけないわけじゃないですか。大変ですよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>慣れちゃったけど、最初はもうなんだかわからなかったね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>国際ブックフェアに河出書房もブースを出していて、棚詰めに行くんですけど、それだけでもう泣きそうになりますよ。新人なんか午前中でもうひっくり返ってますよ。どう置いていいのかわからない。自社の本なのに、どこに置いていいかわからない。適当に並べたらふざけんな！って空気があるわけですよ、当然ね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>文庫だったら楽だけど。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうですね。自分のところだけでさえ泣きそうになっているのに、よく書店員さんはできるなぁ、なんて。</dd>
</dl>
  <p>（つづく　次回更新は4月30日）</p>
</div>]]>
      
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   <title>特別編「坂の上のパルコ」第2回第2話</title>
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   <published>2008-04-15T08:41:15Z</published>
   <updated>2008-04-22T07:21:08Z</updated>
   
   <summary>   「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」   田丸慶（河出書房新社）×矢部潤...</summary>
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      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」</h3>
  <p>田丸慶（河出書房新社）×矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>

<h4 style="font-weight: bold;">第2話　モノとしての本</h4>

<div class="bookRight">
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784309902913.jpg" alt="オイスター・ボーイの憂鬱な死" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『オイスター・ボーイの憂鬱な死』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430990291X/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784309902913&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>
</div>
<dl class="taidan">
<dt>田丸</dt><dd>Ｊ文学じゃないですけど『オイスター・ボーイの憂鬱な死』ティム・バートン著（河出書房新社）覚えてますか？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>覚えてる、覚えてる。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>三千円近くする本が、バカバカ売れたんですよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>あれはさＰ－ＢＣ渋谷店と一緒にあった洋書のＬＯＧＯＳで、原書が売れていたのは知っていたんだ。だから売れるんじゃない？なんて話したよね。でも出てきたのが思ったよりも可愛くて。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そう、頭が貝殻の可愛い感じのキャラクターが描かれていました。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>文芸書と芸術書で展開していたね。万年平台だったなあ。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>その本の編集をしたのがアップリンクだったんですけど、重版の連絡をしたらビックリしちゃって。「本当に大丈夫なんでしょうか？」なんて。でもほとんどＰーＢＣ渋谷店で売っていたんですけど（笑）。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そういう本がなぜかいろいろあったんだよね。ここでしか売れないって。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そういえば、矢部さんは装丁に厳しかった。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>いやね、お客さんに若い人が多いから、本を手にとるキッカケとしてというか、ようするにモノとしての本というか、手触りっていうの？　そういう違いで買ったり買わなかったりするんじゃないかなって考えていたんだよね。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>まったくそのとおりだと思います</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>だから装丁とか、判型とかとても気にしていたよ。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>河出書房では当時、常磐響であり、ミルキィ・イソベであり、そういうデザイナーさんに装丁をお願いし、ひとり暮らしの男の子の日常を切り取ったような写真を使っていたんです。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>何気ない雰囲気の写真だった。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>全体的にもそういう流れがありましたね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>その後に出て、大ベストセラーになった『世界の中心で、愛を叫ぶ』片山恭一（小学館）なんかも、確か編集者から装丁が出来上がったんで持っていきます、なんて言われた記憶があるよ。だからあの辺も流れの中なのかもしれないね。</dd>
</dl>
<div class="bookRight">
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784883351763.jpg" alt="最新約コピーバイブル" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『最新約コピーバイブル』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883351769/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784883351763&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>
</div>
<dl>
<dt>田丸</dt><dd>モノとしての本。なんか持っていたらかっこいいよね、みたいなところがあったかもしれないですね。あの頃「ジャケ買い」なんて言葉も出だしまして、河出書房も装丁には力を入れてました。だからこそ『コピーバイブル』宣伝会議コピーライター講座編（宣伝会議）。あの木の皮みたいな装丁の本が、Ｐ－ＢＣ渋谷店のベスト１０に入っているのを見た時、すごいのが出てきたな、なんてプレッシャーを感じましたね。負けてられないな、なんて。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>新刊案内のときに本当は装丁を見せてもらいたかったんだよね。Ｐ－ＢＣ渋谷店で売れるかどうか、というのを見極めるために重要だったんだ。なんか引っかかるものがあったときには、結構しつこく営業マンに聞いていた。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>こっちも矢部さんのところに行く前に編集部からいろいろ話を聞いたりして、武装してから行ってました（笑）。毎回ビクビクしながら営業に行って、当時だと『西瓜糖の日々』リチャード・ブローティガン（河出書房新社）だとか、やっぱり外文でも、一種独特な匂いのするものが売れていたんですよね。その匂いをタイトルや内容や装丁から嗅ぎ分けていらっしゃいました。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうそう、『アレクサンドリア四重奏』ロレンス・ダレル（河出書房新社）とかね。両方とも、今のやつじゃなくて古いやつ。ビニールのカバーがかかっているやつね。でも売っているうちにどんどん品切れていっちゃったんだよね（笑）。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>バカですよね、うちの会社は（笑）。今、考えたらっていうか、あのときに戻れるなら、ぶん殴ってでも＜河出海外小説選＞をしっかり重版して……。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt><dd>そうだよね。今また売れているわけだから……。</dd>
<dt>田丸</dt><dd>そうなんですよ。池澤夏樹の『世界文学全集』が好調なのも、やっぱり当時からずっと読者がいるってことですからね。</dd>
  </dl>
  <p>（つづく　次回更新は4月22日）</p>
</div>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>特別編「坂の上のパルコ」第2回第1話</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/yabe/2008/04/08/112932.php" />
   <id>tag:column.webdokusho.com,2008:/shoten/rensaido//3.2567</id>
   
   <published>2008-04-08T02:29:32Z</published>
   <updated>2008-04-24T02:14:54Z</updated>
   
   <summary>   「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」   田丸慶（河出書房新社）×矢部潤...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="めくるめくめくーるな日々" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>「パルコ渋谷店に行けば、なんとかなる」</h3>
  <p>田丸慶（河出書房新社）×矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>
  <div class="read">
    <p>「坂の上のパルコ」第２回は、９０年代の文芸を語る上で欠かせないＪ文学と、Ｊ文学を語る上で欠かせないパルコブックセンター渋谷店の関わりを、Ｊ文学の中心であった河出書房新社の、当時の渋谷担当営業マン田丸慶氏と存分に語っていただきました。尽きぬ話は、Ｊ文学からジャケ買いへ、そして書店員と営業マンの幸福な関係へと広がっていきました。これから４話に渡ってお届けしますので、お楽しみください。（本文中敬称を略させていただいてます）</p>
  </div>
  <h4 style="font-weight: bold;">第１話　パルコブックセンター渋谷店とＪ文学</h4>
  <dl class="taidan">
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>田丸さんはいきなり渋谷の営業担当だったの？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>僕は９７年の４月に河出書房新社に入社したんですが、６月に試用期間が解けて、物流部門に配属されたんですね。でも物流部門だけじゃ本の動きがわからないからって、書店さんも担当しなさいということで、渋谷の担当になりました。まあ、営業部員は、ひととおり渋谷の担当はするんですけど。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>９７年じゃ私が渋谷店の店長になるちょっと前だね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そうですね、初めは文芸書の担当としてお会いして、その後、店長になられた。それで一年くらいで矢部さんが本部に異動されたのを覚えてます。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>意外と店長をやっていた期間は短かったんだよね、リブロとの統合とかがあって。</dd>
</dl>
<div class="bookRight">
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784309011950.jpg" alt="ラジオデイズ" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『ラジオデイズ』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309011950/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784309011950&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784309011967.jpg" alt="最後の吐息" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『最後の吐息』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309011969/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784309011967&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784101377216.jpg" alt="インディヴィジュアル・プロジェクション" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『インディヴィジュアル・プロジェクション』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101377219/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784101377216&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>

</div> 
<dl>
   <dt>田丸</dt>
    <dd>それでその矢部さんと出会った９７年の文藝賞が、鈴木清剛と星野智幸だったんです。鈴木清剛は『ラジオ デイズ』で、星野智幸が『最後の吐息』で獲るんです。河出書房としては、二人とも若いし、イケメンだし、もっと著者像を前面に出して、とにかくこれを売りだそう、頑張ろうとなって、単行本が出すときに、ようするに今でいう仕掛け販売をしようってことになったんですね。そんな感じの看板を作ったりして、矢部さんのところにお願いに行ったんです。もちろんその前からいろいろ仕掛けはしていただいていたんですけど……。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そろそろＪ文学なんて言葉が出だしたときだったかなあ。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そうです。阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』を新潮社が出して、ＰーＢＣ渋谷店では売れていたんですね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>『インディヴィジュアル・プロジェクション』は、ずいぶん売れたよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>ＰーＢＣ渋谷店だけで、１０００部、１５００部売ったなんて話を聞いて、なんとか頑張ってそれを抜こうじゃないか！なんて意気込んでいたんです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>前回のバカ本の流れから、この辺で方向が変わってきたのかな。そもそも『インディヴィジュアル・プロジェクション』をなぜ売ろうと思ったかというと、その前の『ＡＢＣ戦争』（講談社）や『アメリカの夜』（講談社）が結構売れていたのね。でね、３作目の『インディヴィジュアル・プロジェクション』を新潮社の営業マンが案内しに来たら、装丁が常盤響だったんだよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>女の子が立っている。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうそう。それが渋谷には合うんじゃないかって営業マンが言うんでね、ならって、この間話した「椅子」で展開したら売れちゃったんだよね。なんか売れると長いお店だったから、ロングセラーになって、結果としてとんでもない部数売ったんだよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>今日はあの頃の渋谷店のベスト１０を持ってきたんです。このベスト１０が毎週月曜日の朝に矢部さんからＦＡＸで届くんですね。それがもう嬉しくて。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうだっけねえ。ベストに入っているからこっちも嬉しくて送っていたんだよね。しっかしどうしてこんなボロボロになるまで持っているのよ？（笑）</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そりゃあ、持っていますよ。これは僕の宝物ですよ。『ラジオ デイズ』なんてずーっと上位に入っているし。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>９８年ね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>この辺の時代って、うちの「文藝」もそうですが、「すばる」「群像」「文學界」「新潮」各誌で、若い作家が出始めの頃で、藤沢周や阿部和重であり、赤坂真理であり、もちろん町田康もいるし、角田光代もいて、そういう元気のある作家が出てきた最初の息吹だったんですよね。やがてその人たちが、直木賞や芥川賞を獲っていくわけです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうそうたるメンバーがあの頃、出てきたんだね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そういったなかで、毎週月曜の朝にこのＦＡＸが届くんですよ。とにかくうれしくて、うれしくて。それと電話注文がうれしいんですね。短冊に桁外れの注文部数を記入するわけですよ。「２００」とか「３００」とか。そうすると周りの先輩が「田丸、大丈夫か？」なんて言ってくるわけです。だったら実績みてくださいよ、なんて威張っちゃってね。ぺーぺーのくせに（笑）。トーハンの９６Ｌ０７、９１７１３なんて、番線とコード書いて。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>えっ？！　番線、覚えてるの？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>当たり前じゃないですか。忘れないですよ！</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>すごい！</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>一生忘れないですよ。思わず注文短冊を拡大コピーしてタスキにしようかなんて考えていました。心の糧です。あと強烈に覚えていることがあって、確か木曜日配本か金曜日配本の新刊で、それが週が変わって朝会社に行ったら、ＦＡＸが届いていて、いきなりベスト１０に入っていたんですよ。うわーって驚いていたら、すぐ矢部さんから電話があって「売れてるよ！」って。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そんなことあったっけね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>もう生き甲斐だったんですね。当時は僕、新入社員じゃないですか。まだ何もわからないし、必ず一週間に何度か会社で怒られているわけですよ。月曜日なんか凹んでいて会社にも行きたくないんですね。でも矢部さんからのベスト１０と電話を生き甲斐にして頑張ってました。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そんな風に見られていたとは思いもしなかった（笑）。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>僕も会社にいて良いんだ、って、気持ちをつなぎ止めてくれる電話であり、ＦＡＸでした。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>いやー、あれだけ出荷してもらっていたから、お返しをしなきゃいけないと思っていたんだよね。それで毎週ベスト１０をＦＡＸしていたんだ。河出書房はこう言っちゃ失礼だけど、手作り感があったから、無理して出してもらっているっていう気持ちがあったんだね。他の大きな出版社は、自社の販売資料もあるだろうし、そもそもなかなか出してもらえなかった。５０部だって怖いよね、出版社からしたら。今でもやっぱり出してもらったら、何か返さなきゃって思うよね。ところで、そのラインマーカーが引いてあるところは何？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>これはおそらく河出書房の本が、４冊もベスト１０のなかに入ることは一生に一度あるかないだろうと思って引いたんですね。『美女と野球』『ラジオ
      デイズ』『ロックンロールミシン』『９０年代Ｊ文学マップ』。他のお店では絶対ありえないベスト１０でした。当時のＰ－ＢＣの取次担当者と話したとき、「商品調達が難しい」って嘆いてました。『マリ＆フィフィの虐殺ソングブック』中原昌也（河出書房新社）なんて、版元の河出書房にも在庫がなくて重版するか悩んでいたりしたんですけど、そういうとき、彼が返品所から直接入れてたって。ほんと申し訳ないです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>ハハハ。私が「なんでないんだ！？」とか彼に怒っていたからね。彼にはいろんなこと言っちゃったなぁ。平積みが減っているのを見かけたら頼んでおけとか。毎日来てればわかるだろう、なんて。ひどいね（笑）。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そういういろんな人の努力があったんですよね。僕はまだ若すぎてわかってなかったです。今なら、僕が改装で消しゴムかけに行くのに。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>とにかく『インディヴィジュアル・プロジェクション』はブッチ切りだった。でもね、私自身はＪ文学の頃っていうと、ＰーＢＣ渋谷店人生の終わりの頃、ってイメージがあるんだよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そんな…（笑）。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>しかしもうちょっと前の時代、９５年頃のベストをみると河出書房の本は１冊もベスト１０にないね。『裸のランチ』ウィリアム・バロウズとかは普通に売れていた記憶があるけど。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>９７年から河出の攻勢が始まったんです（笑）。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>ハハハ。でもね、河出書房はほんとこれはっていうのが、わかりやすかったよね。ＰーＢＣ渋谷店に合いそうな本が多かった。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>『澁澤龍彦全集』もそうですし、『アンチ・オイディプス』ジル・ドゥールズ＋フェリックス・ガタリもそうだし、『千のプラトー』ジル・ドゥールズ＋フェリックス・ガタリだとか。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>あの辺も長く売ったよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>僕の矢部さんの第一印象は、すぐこう反応がある感じなんですよね。「じゃあ８０部！」って。とにかく８０部というのが記憶にあります。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>８０部は椅子に載る四六版の部数だね。まあ、中途半端のない店でね、注文も５部か８０部かみたいな感じだったから。３０部とかって発注はないんだよね。棚下に積むか、多面でやるか、極端だった。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>だから『ラジオ デイズ』と『最後の吐息』の営業に行った時、両方じゃあ８０部でやろうって話になったんですよね。それで会社に戻ったら、当時そういう単位で販売するっていうのがなくて、特に文藝賞なんて今でこそそこそこ部数を刷るようになりましたけど、当時はほんと少ない部数でスタートしていたんです。それを８０部１軒の書店さんに出荷するというのはすごいことだった。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうなの？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>上司や先輩が「大丈夫か？」って心配して、でも「大丈夫です！」なんて言っちゃって。「じゃあ、やってみろ！」って。うれしかったのを覚えてますね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>へえ。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そもそも新入社員でしたから、８０部というのが多いのか少ないのかもわかってなかったんですけどね。経験値がまったくないから。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そんな状況で出庫してもらっていたんだねえ。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>やってみようってなれたのがほんと幸せでした。しかもやってみて、ＰーＢＣ渋谷店はヒット率が高かったんですよ。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうかなぁ、結構外した記憶もあるんだけど。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>いやー、あれで外しまくっていたら、僕、大変なことになってましたよ（笑）。取次店だって怒るでしょう。当時、河出書房の営業部では、パルコ配本だとか渋谷配本なんて言っていました。ＰーＢＣ渋谷店と青山ブックセンター本店や六本木店を軸にして、ナディフと、後にできたブックファースト。全国では、札幌のピヴォ・ブックセンター。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうそう、ちょっと似ていたんだよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>仙台では丸善アエル店とかあゆみブックスとか、大阪のアセンスアメリカ村店とかあとは各地のＰ－ＢＣですね。見つけようとするとそうやってポイントポイントが少しずつ出てきて、全国でそういうことができるんじゃないかってきっかけになったんですね。文芸書を特化して、こういう匂いのものをうちは売りましょうという発想が出てきた時期なんですよ。ですから今、若い作家の小説を出したときに、このお店とこのお店とって見えるようになったのも、あの時代のＰ－ＢＣ渋谷店のおかげですよね。社内で新刊の企画が出ると、「これは矢部さんのところだ！」みたいな、そういう勘がはたらく本が少なからずあった。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>文芸書と芸術書には、確かにそういうものがあったかもね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>Ｊ文学も、当初はまあ、日本全国のマスで反応があったわけじゃないんですけど、なんとかそれをマスにしたいと出版社何社かでフェアをやったりした。その中心にＰーＢＣ渋谷店があったんですよ。当時、新人文学賞なんて初版の８割も売れたら御の字で、重版でもしようもんなら大成功だったわけです。何回も重版するなんて考えられなかったのに、その常識を覆してくれたんですよ。まずＰーＢＣ渋谷店で仕掛けて、全国に波及させる。そうすれば何とかなるんじゃないかって。そして実際にそうなったわけです。</dd>
</dl>
<div class="bookRight">
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/90J.jpg" alt="90年代J文学マップ" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『90年代J文学マップ』</dd>
          <dd>別冊文藝</dd>
          <dd class="nosale">在庫なし</dd>
        </dl>
</div>
<dl>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>全然本人にはそんな意識はなかったし、覚えてもいないんだけど（笑）。でもさ、『９０年代Ｊ文学マップ』が出るくらいだから、全国的に売れていたんじゃないの？　多少立地的な位置づけはあったと思うんだけど。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>地方の若い子たちからすると「渋谷で売れている」というか、あの頃でいうと「こういうのが渋谷系文学っていうのか？」って感じで受け取られているのが、売り上げスリップに反映されてました。少しずつ売れ出して、確実に地方にも波及していくのがわかりました。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうなんだ。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>それでガイドブックを作ろうっていうことになって出したのが『９０年代Ｊ文学マップ』だったんです。この本とともに、地方への波及するポイントとして、広島や名古屋のＰーＢＣが、発信基地になっていたんですよ。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>広島のＰーＢＣは渋谷店とベストが似ているって言われたことがあったね。しょっちゅう渋谷店から本を送っていたし。結局、その河出書房が作った『９０年代Ｊ文学マップ』のなかに掲載されていた相関図こそが、Ｊ文学としてのアイデンティティだったんじゃないかな？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そうですね。カテゴライズされたのは、あのマップのおかげですね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>ただね、Ｐ－ＢＣ渋谷店では、Ｊ文学って棚は作っていなかったよね？</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>作ってないです。後にできたブックファーストにはありましたけど。</dd>
</dl>
<div class="bookRight">
        <dl>
          <dt><img src="/shoten/rensaido/images/9784900779532.jpg" alt="ブンガクだJ!―不良のための小説案内" width="100" height="144" /></dt>
          <dd>『ブンガクだJ!―不良のための小説案内』</dd>
          <dd><img src="/shoten/rensaido/images/kau_botton.gif" alt="商品を購入するボタン" width="120" height="15" /></dd>
          <dd><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4900779539/colum-22" target="_blank">&gt;&gt;Amazon.co.jp </a></dd>
          <dd><a href="http://www.webdokusho.com/db/book_buy.phtml?isbn=9784900779532&title=　">&gt;&gt; 本やタウン</a></dd>
        </dl>
</div>
<dl>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>文芸書の棚は作家名のあいうえお順でさ、そこにただそれぞれ差したり平積みしていたんだよね。踏ん切りが悪いんだよなあ。永江朗の『不良のための小説案内　ブンガクだＪ！』（イーハトーブ）って本があるんだけど、そこに掲載されている写真がほとんどＰ－ＢＣ渋谷店の棚なのね。この本自体が出たのもＪ文学の末期の頃だと思うんだけど、その頃やっとフェア台みたいなのに、Ｊ文学を２０点くらい面陳したんだよね。</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>そこにうちが作った「Ｊ文学相関図」を看板にしていただいたんですよね。あっ！　思い出しました。それで藤沢周とかＪ文学の作家にＰＯＰを書いてもらってフェアをやったんですよ。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうだ！</dd>
    <dt>田丸</dt>
    <dd>ＰーＢＣ渋谷店ですごい売れていたので、これはもしかしたら若い人たちの文学を集めたらなんか面白いことができるんじゃないかって、やったんですよね。新潮社や集英社と協力して注文書を作ったり、セット組して、全国の書店でフェアしたんですよ。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>懐かしいね。</dd>
  </dl>
  <p>（つづく　次回更新は4月15日）</p>
</div>]]>
      
   </content>
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   <title>第42回目</title>
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   <published>2008-03-10T02:28:36Z</published>
   <updated>2008-03-10T02:28:55Z</updated>
   
   <summary>地方・小出版流通センターは、その名のとおり、地方の出版社や小さな出版社の書籍・雑...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      地方・小出版流通センターは、その名のとおり、地方の出版社や小さな出版社の書籍・雑誌を円滑に流通させるために設立された会社である。地方にある出版社の刊行物はその多くが地元の書店で販売されるだけだが、このセンターのおかげで、地方の出版社や、取次会社と口座を開設できない小さな出版社の書籍や雑誌が、全国の書店で手に入れることができる。

地方・小出版流通センターが取り扱っている雑誌のリストを眺めていて、見たことも聞いたこともない雑誌があまりにも多く、驚いた。長い年月、書店員をしていながら、知らない雑誌のいかに多いことか。キャリアと知識は別物なのだと打ちひしがれる。
それにしても、世のなかには奇妙な専門誌があるものだ。打ちひしがれつつも、その幅広さ、奥深さに感動した。爬虫類・両生類の専門誌、おりがみの専門誌、昆虫の専門誌、お酒の専門誌･･･。

「最近、知ったのだけど、めだかの専門雑誌があるんだよ」
感動をおすそ分けするつもりで、同僚や仲間たちに教えてあげた。しかし、彼らは異口同音に「へえ。でも売れないだろうね」と答えるのだった。
手塚会長にも、雑談の最中に話してみたところ、こう返ってきた。
「うちにその雑誌を置いたら、好きな人がそれを見つけて、きっとすごく喜んでくれるだろうな」
そうなのだ。この言葉こそ、わたしが待っていた“答え”だった。
商売をしているのだから、売れるとか儲けるというのはとても大事な前提だが、それよりも、わたしたちがまず想像し、期待しなければならないのは、その雑誌とお客さんとの運命の出合いではないだろうか。

広島県福山市で生まれ育った戸田拓夫さんは、現在、日本折り紙ヒコーキ協会の会長である。会社を経営しつつ、福山市にある紙ヒコーキ博物館館長を務めている。福山市の北にある神石高原町に「紙ヒコーキ・タワー」をつくり、全日本折り紙ヒコーキ大会を開催し、事あるごとに子どもたちを集めて折り紙ヒコーキの作り方と素晴らしさを教えている。『飛べとべ、紙ヒコーキ』（二見書房）、『スーパーおり紙ヒコーキ』（いかだ社）をはじめ数多くの折り紙ヒコーキの本も出している。

戸田さんが今、入れ込んでいるのは、紙ヒコーキを宇宙から飛ばして地球に帰還させること。そんな夢みたいなことを、東京大学大学院の航空宇宙工学を研究するメンバーたちと大真面目に実験を重ねながら実現させようとしているのだから驚きだ。

戸田さんをすっかり病み付きにさせた折り紙ヒコーキ。出合いは一冊の本だったという。書店でたまたま見つけた折り紙ヒコーキの本を手に取って、あっという間に紙ヒコーキのとりこになったそうだ。それが今では、ハサミやのりなど一切使わない純然たる折り紙ヒコーキ部門での手投げ室内滞空時間の世界記録保持者である。
８つの会社を経営していて多忙な身であるにもかかわらず、子どもたちに折り紙ヒコーキの楽しさを教えるための時間と、自分の夢を叶えるための労力は惜しまない。

戸田さんが書いた折り紙ヒコーキの本を読んで、のめり込んだ子どもによって、戸田さんの世界記録が破られる日が来るかもしれない。
本とはそんな夢みたいなことを現実に変える力を持っている。

本は、作る人の元を旅立ち、流通させる人の手を通り、書店を経由して、読む人の手に渡る。出合いの場である書店の売場にどの本を置き、どの本を置かないかの決定権を書店員は持っている。心してかからなければならない。
      
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   <title>第41回目</title>
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   <published>2008-03-03T07:24:25Z</published>
   <updated>2008-03-03T07:24:56Z</updated>
   
   <summary>かわぐちかいじさんのことを書こうと思う。 かいじさんは、1948年生まれ。尾道が...</summary>
   <author>
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      かわぐちかいじさんのことを書こうと思う。

かいじさんは、1948年生まれ。尾道が生んだ偉大なる漫画家である。
1987年に、『アクター』で第11回講談社漫画賞を受賞した。その後も、1990年、『沈黙の艦隊』で第14回講談社漫画賞、2002年、『ジパング』で第26回講談社漫画賞を受賞。さらに、2006年には、『太陽の黙示録』で第51回小学館漫画賞と第10回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞している。
講談社漫画賞を3回も受賞した漫画家はいないし、講談社漫画賞と小学館漫画賞の両方を受賞した漫画家もかいじさん以外にいない。それだけをとっても「偉大なる漫画家」と表したことが決して大袈裟でないとわかってもらえるはずだ。

わたしがはじめて出合ったかわぐちかいじ作品は、『アクター』。
無名の大衆演劇の女形からいきなり超大作映画の主役に大抜擢された荒削りながら稀有な才能を感じさせる俳優は、頁の中でひと際輝いていた。彼の登場により脇役にまわらされ、プライドをズタズタにされたスター俳優をはじめ、監督や製作スタッフなど特殊な世界で生きる、独特な人間ばかりが描かれていて衝撃的だった。
たちまち、かわぐちかいじ作品のファンになったわたしは、他の作品を探しては片っ端から読むことになる。時代もの、麻雀もの、ヤクザもの、いろいろあったが、どの作品にも破天荒ながら憎めない男がいきいきと描かれていた。

かいじさんが、『アクター』で講談社漫画賞を受賞した年、わたしははじめてかいじさんにお会いすることができた。啓文社コア春日店のオープング・イベントで、かわぐちかいじ、きょうじ兄弟がお客さんの中からご希望の方の似顔絵を色紙に描くというイベントをおこなったのだ。いかに地元出身とはいえ、講談社漫画賞受賞作家にすごいことをさせるなあと、自分の会社の大胆さに驚いたことを覚えている。そして、かいじさんもよく引き受けてくださったなあと思った。

この疑問はやがて晴れた。
漫画を唯一の表現方法としてきたかいじさんが一度だけ執筆した自叙伝『回想沈黙の団塊世代へ』（ちくま文庫）の中に、その答えがあった。

かつて、かいじさんにもスランプというか行き詰まった時期があった。発表した作品が不発に終わり、打ち切りが続いていた。
そんなかいじさんの前にあらわれたのが、同郷である啓文社の手塚弘三会長（当時は社長）である。
「開治君、これから出版社を一緒に回ろう」
そう言って、講談社、小学館、集英社の編集部に挨拶をして回ったそうだ。仕事に繋がればと紹介して歩いたのだ。その姿に悲壮感はまったくなかったという。
故郷、尾道にこんなに元気な人がいる。自分だけが疲れているわけにはいかない。かいじさんはこう思ったそうだ。

やがて転機は訪れる。初期の代表作ともいえる『プロ』の連載が始まり、新境地を開く。さらには、講談社から創刊誌『コミックモーニング』の連載をとオファーがやって来たのだ。

『回想沈黙の団塊世代へ』を読み、こうしたエピソードを知って興奮した。なるほど、そんな手塚会長からのイベント協力の依頼なら断るはずもなかったのだ。
もし、かいじさんと手塚会長が一緒に出版社を回らなければ、わたしが虜になった『アクター』や『沈黙の艦隊』など、生まれなかったかもしれない。

とすれば、わたしは手塚会長に感謝しなければならない。
      
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   <title>特別編「坂の上のパルコ」第1回第4話</title>
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   <published>2008-02-05T09:05:05Z</published>
   <updated>2008-04-22T07:22:13Z</updated>
   
   <summary>   第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」   藤本真佐夫（PARCO...</summary>
   <author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」</h3>
  <p>藤本真佐夫（PARCO出版）VS矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>
  <h4 style="font-weight: bold;">（第４話）キャッチボール</h4>

<dl class="taidan">
<dt>藤本</dt>
<dd>ベスト１０以外に着実に売れているものがありましたね。当時は『うたかたの日々』の後ろにはいろんな外文が控えていて、それも売れていた。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>そう『バカドリル』も、後ろに引きずっているものがいっぱいあって、それがしっかり関連づいて売れていたんだ。だからひとつ売れるとその一群は売れた。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>わりと芋づる式で売れてました。今は単品だけ売れて余波がないですが。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>でも、それは我々書店員にも問題があるかも。前はそうやって既刊書だ、関連書だって積んだけど、今はやっていないだけかもしれない。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>そこまでやらなくても新刊が次から次へと入ってきますから、平台や棚は埋まっちゃいますよね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>そうだね。あと昔はうるさいベテランがいて、「何でこの本が売れているのに、この本を隣に積まないの！」なんて怒られたりしたし、あるいは一緒に並べていたら評価されたりしたけど、今はなかなかそんなこともないもんね。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>あの頃、どうやって情報収集してました？</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>ネットやなんかで本を探すなんてことがなかったから、もう勘だけとか関連ものを勉強して試していくしかなかったんじゃないかな。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>書店は今、人も減って、新刊がすごく増えた。だから関連書を探す時間もないですよね。並べる時間と捨てる時間しかない。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>揃えている時間がないんだよ。だからかつては『バカドリル』の向こうには『見仏記』いとうせいこう、みうらじゅん著（角川文庫　当時は単行本）とか三谷幸喜とかが見えていたんだよね。ブコウスキーの向こうには……ってね。それでそれを並べている時間と場所があったんだ。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>Ｐ－ＢＣ渋谷店でいうと、そういうものがオープンして、だいたい２年で見えてきたんですね。９５年あたりが象徴的だったかも。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>そうだねえ。オープンして２年で、Ｐ－ＢＣ渋谷店っていうのは成熟したんだね。その後２年くらいがピークだったと思うよ。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>ただ、その方法論は吉祥寺店のやり方と変わってない。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>だからあれが特別だとは思ってないよね。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>売れるものをきちんと補充していたらそうなった。だからある意味、狙って売っていたというよりは、抗いながら売っていた（笑）。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>屈託は相当あったな（笑）。まあ売れているから仕方ない。もしかしたら私がやらないで、渋谷のパルコで働きたいと思って入社してくる若い子にやらせた方が良かったのかも。それでもっとストレートにやった方がいいんじゃないかって、いつも思っていた。だってここで買いたい子が働いているんなら、ちょうど合うはずだよね。そうしていたらもっとエスカレートして「これがパルコ渋谷だ！」みたいなお店になったかもしれない。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>でもやっぱり当時は青山ブックセンターもなく、ブックファーストもなく商圏が広かったから、普通のビジネスマンも来ていたわけですよね。そうするとビジネス書とか人文書とかきちんと置いておかないとやっていけなかったというのがありますよね。吉祥寺店とか渋谷店というのは今考えると恵まれていました。お客さんとキャッチボールが出来て、何か置いたら反応があったし。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>時代的に全体がそうだったんじゃないのかな。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>確かにそうかもしれませんけど、やっぱり際立っていたと思いますよ、吉祥寺店と渋谷店は。僕は昔と今と見比べて、明らかに匂いが違うと思うんです、それは要するにお客さんの匂いが違うってことなんですけど。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>それはあるね。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>お客さんの匂いが変ってしまったというのは歴然たる感じがしますね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>ほんとだよね、どこに行ってもそこにいる人達の特徴っていうのは薄まって来ている気がするね。だからその特徴を本や棚に反映させられるようなものを感じとれないっていうか。それにこっちも薄まってる感じがあるね。あの当時の渋谷は、道で全然客層が違った。センター街はセンター街の人たち。公園通りを行く人と、本店通り、道玄坂とか、みんな匂いが違うんだ。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>タイプが全然違いましたね。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>途中で改装するときに本部から若向きのものをがっちり揃えたいって言われて、私はものすごく抵抗したんだよね。そうするとね、お店がゼロか１００のお店になっちゃうんだよね。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>しかもそういうものって、そういう発想が出た頃にはソフトが出て来ないんですよね。何でもそうなんですけど、みんなが気が付いて、それで行こうかってなったときには、ソフトがもうないんです。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>そうそう、そうなんだよね。これで終わりなんだ。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>広がらないんですよ。それで今度はまったく別のところに新しい潮流が出てきたりするんです。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>そう、だからある方向性だけ集めたお店にしちゃうとゼロか１００しか置いてないから、新しい潮流の場所が捕まえられなくなっちゃうのよ。普通に少しでも置いておけば、こっちが来たのかってわかるじゃない。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>ピラミッドと一緒ですね。底辺が小さいと安定性がない。底辺がどんどん狭くなっていったら、なんかあったらすぐ倒れちゃうみたいな。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>まあそうやっていろいろ試行錯誤しながらＰ－ＢＣ渋谷店をやっていたんだけど、９８年にはブックファーストが出店してきたり、バカ本そのものが品切れで並べられなくなってきたりしていたところに、Ｐ－ＢＣ自体が２０００年の３月同じグループの書店リブロと統合してね、しらばくはそれでも「パルコブックセンター」という名前で営業していたんだけど、結局屋号も統合することになって、パルコブックセンターは無くなってしまった。</dd>
<dt>藤本</dt>
<dd>今のリブロ渋谷店は同じ場所にありながら、またちょっと違うんですよね。どっちが良いとか悪いとかじゃないんですけど。</dd>
<dt class="yabe">矢部</dt>
<dd>ベストセラーがベスト１０に入らないのは共通してるけどね。</dd>
</dl>
<p>（了）</p>
</div>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>特別編「坂の上のパルコ」第1回第3話</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/yabe/2008/01/29/144029.php" />
   <id>tag:column.webdokusho.com,2008:/shoten/rensaido//3.2474</id>
   
   <published>2008-01-29T05:40:29Z</published>
   <updated>2008-04-22T07:22:43Z</updated>
   
   <summary>   第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」   藤本真佐夫（PARCO...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="めくるめくめくーるな日々" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」</h3>
  <p>藤本真佐夫（PARCO出版）VS矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>
  <h4 style="font-weight: bold;">（第３話）バカ本台と椅子</h4>

<dl class="taidan">
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>この間文庫になった『ブロンソンならこう言うね』ブロンソンズ著（ちくま文庫　※当時はごま書房の単行本）とか売れに売れた。文庫の案内が来た時、懐かしかったよ。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>凄かったですよね。そういう中での一番は『トレインスポッティング』アーヴィン ウェルシュ（角川文庫　※当時は青山出版社の単行本）じゃないですか？<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>あれは異常だったね。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>目の前の映画館で上映されているというのはあるんですけど、それにしても売れまくりました。笑いが止まらない、もはや祭りでしたね（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>だって映画館のなかでも本を売っていたんだよ。それなのにＰ－ＢＣ渋谷店であんなに売れた。あの時代、１００冊なんて注文もかなり思い切った注文数で、そうそう出すことはなかったのに、売れるもんだから２００冊とか３００冊とかって注文すると、取次店の担当者が驚いてね。会社に戻って上司に報告したら「お前、大丈夫か？」ってみんなに心配されていたらしい。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>当時だったら言われるでしょうね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>途中から青山出版社が近くにあることに気づいて、向こうも台車で持って来てくれるようになったんだよね。ありがたい話です。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>でも『トレインスポッティング』は、オープンして時間は経っていましたね。９６年とか９７年かな。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>あっ、じゃあ最初になんだこれ？って売上で驚いたのは『バカドリル』天久聖一、タナカカツキ著（扶桑社文庫　当時は単行本）だ！</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>あっ！　『バカドリル』はもう金字塔ですよ！<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>渋谷の栄光は『バカドリル』だった（笑）。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>元々はパルコが出していたフリーペーパー「ゴメス」というのに連載していたんですよ。それをまとめた単行本が扶桑社から出た。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>そうそう、『バカドリル』を積んでいる平台をバカ本台って呼んでいた。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>バカ本台ってありましたね。『ブロンソンならこう言うね』もそのバカ本台だったし。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>『モテたくて……』天久聖一他著（光栄）もそうだった。あれはそのフリーペーパー「ゴメス」の編集部の人が営業の人と一緒に来て、自分たちが取り上げる本を置く場所を作ってくれないかって相談されたんだよね。それでならっていうんで棚を開けてそこに彼らなりのセレクト本を置いていって、その後「ゴメス」がなくなっても、その手の本はその棚に置いていたらそのうち「バカ本」化されていった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>『バカはサイレンで泣く』天久聖一他著（扶桑社文庫　当時は単行本）とか。通称バカサイ。この辺はずーっとベスト１０に入ってましたね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>『ドロップアウトのえらい人』森永博志（東京書籍）とか『鬼畜ナイト』鬼畜ナイト実行委員会（データハウス）。あと『電波系』根本敬/村崎百郎（太田出版）に『世紀末倶楽部』世紀末倶楽部編集部（コアマガジン）だよ。それと『危ない１号』（データハウス）とか。売れた記憶があるね。バカ本台じゃあんまりなんで、その棚に名前を付けようかって考えて、○○カルチャーってのもこっぱずかしい。「渋谷の魂」とかって名付けようとしたら、みんなに反対された事があった（笑）。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>でも結局最後まで他に変わる言葉はなかったですよね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>バカ本台って言いつづけた。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>ほんとあの平台はキャラクターがはっきりしていたので、ふっと見るだけで匂いがするんですよ。だから面白そうだなって思う人は自動的に寄っていく。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>三方にあいてる山型の什器だったんだけど、正面がバカ本で、端が一応新刊だった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>「新刊はぐれ物視点」っていうのがあったんですよ。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>背面はオシャレな女の子の本。永井宏とかはここから売れた。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>でも一番売れていたのはバカ本側（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>土・日になろうもんなら黒山の人だかりなんだ。棚から本が取れないくらい人がいた。『バカドリル』が取れない（笑）。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>どこでも売っている本だったんですけどね、場所に付加価値があったんですかね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>うん、そうだよね。あそこに置いてあるものをお客さんが見に来ていたんだよね。平台にお客さんが付いていた。だから同じ本を普通の新刊台に置いても、そんな動かないんだよ。あの頃はわかっていなかったけど、観光客っていうと変だけど、渋谷にたまに来る人が、「これが渋谷か」的な幻想のものを買って帰ったりすることが面白かったのかもしれないね。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>別に渋谷だからって、オシャレではないんですよ。ただいわゆるサブカルとも違った。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>そうそう普通のお店と一緒でサブカルの棚っていうのは用意していたわけ。でもそこにはお客さんがいかないんだ。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>なぜかデット・ゾーンになっていました。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>仮面ライダーとかそういうのはまったく売れなかった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>オタク系の人は来なかったんだ、渋谷に。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>売れなかったね。アニメとか、そういうのも反応はなかった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>どっちかというとトリップ系とか生き方模索系とか、そういうものが売れた。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>吉祥寺はもうちょっと大人で、渋谷はそういう意味では子供だったかな。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>でも、そういった本にしても「仕掛けるぜ！」って感じでは置いてなかったですよね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>うん。バカ本が売れるからって同じ本を多面で積もうとかそういう発想はまったくなかった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>コーナーがもう出来てしまっていたんで、関連本が出たら正しくそこに並べるってだけで。『人生解毒波止場』根本敬（洋泉社）とか。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>みんなバカ本台の本なんだよ。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>ということは、あるひとつの平台だけが、やたら効率が良かったってことですね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>そうそう、出版社の営業マンが「ここすごい坪効率ですよね！」って言っていたのを覚えている。「これ、あっちにも広げたらどうですか？」って。でもそれはしなかった。まともな新刊台も大事だった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>そうなんです。広げたら売れるかというと別なんですよね。というよりも、
矢部さんは個人的にそういうものがそれほど好きなわけじゃなかったですよね。筑摩書房とか白水社辺りの本もちゃんと売りたいって言っていた。新刊が出ると、こっそり良いところに置いて。その心の叫びはあまり聞いてもらえなかったみたいだけど（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>ハハハ。売れるのは売れるで良いんだけど、普通にやりたいって気持ちはあった。それで、一生懸命そういうのを積むんだけど、なかなか売れなかった。しかし当時のベストをこうやって見てみるとベストセラーが変わらないね。というかタイトルは変わるんだけど著者は変わらない。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>しかもバカ本台の本ばかりですね。あの平台を持って行商に行けますよ（笑）。</dd>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>だんだん思い出して来たけど、バカ本台は『ブロンソンならこう言うね』は一番良い場所だったね、いつも。その隣が『バカドリル』。それでバカ本台とは別に、「椅子」っていうのがあってさ、椅子じゃなくて椅子型の什器の呼び名なんだけど。</dd>
  <dt>藤本</dt>
  <dd>椅子型の背もたれのところに、ポップが立てかけられるようになっていたんです。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>座面のところに四六版の本だったら、八面くらい置けた。コロがついてるんだよ。だからすぐ動かせる。</dd>
  <dt>藤本</dt>
  <dd>これをＰ－ＢＣ渋谷店では「椅子」と呼んでいた。仕入れの最強の武器でした（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>いまでいう仕掛け販売みたいなのが椅子だったのかなぁ。</dd>
  <dt>藤本</dt>
  <dd>仕掛け販売って言葉ありましたっけ？<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>ないない。</dd>
  <dt>藤本</dt>
  <dd>出版社の営業が来て、これは売れそうだって時は「じゃあ椅子でやってやるよ」。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>どんな殺し文句だよ（笑）。</dd>
  <dt>藤本</dt>
  <dd>椅子でやる、イコール、８０冊以上欲しいってことだった。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>でも当時は８０冊の新刊指定なんて、あんまりもらえないんだよね。ようするに村上春樹は８０冊なんてもらえない。だから結果として変わった本が椅子に並んでいたというのはあるかも。あの当時だとデータハウスとかリトルモアとか創業したばかりの幻冬舎とか。うちなんか結構置かせてもらった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>わりと苦肉の策に近いところがあったかもしれませんね。お店の面積はそんなにあるわけではないし、でも際立たせなくちゃいけないし。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>たださ、みんな成功したわけではなくて、大した考えもなく椅子でやって、一冊も売れないこともあった。書名は挙げないけど。あとね、バカ本以外では、外国文学（以下「外文」）は売れていたね。今考えるとあり過ぎなくらい外文の棚があった。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>アメリカ文学も売れましたよね。あの頃、ポール・オースターとか文庫になってましたか？<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>いやまだなってなかった。白水社のを売っていた。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>ブコウスキーも売れてましたね。あとは荒地出版社のフィッツジェラルド全集。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>あれは永久平台（笑）。それからサリンジャーと『日々の泡』のボリス・ヴィアン。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>ボリス・ヴィアン、売れてましたね。『日々の泡』もそうですけど、『うたかたの日々』（ハヤカワｅｐｉ文庫　当時は全集）が、凄かったんじゃなかったでしたっけ？　同じ本だけど、訳とタイトルが違う。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>売れた売れた。ビニールのカバーがかかったような早川の全集ね。おフレンチなものはとにかく強かった。『ぼくの伯父さんの休暇』ジャック・タチ／ジャン＝クロード　カリエール（アノニマスタジオ
    、当時はリブロポート）とかも随分売った。 </dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>バカ本と外文と小林紀晴『アジアン・ジャパニーズ』（新潮文庫、当時は情報センター出版局）や池澤夏樹『未来圏からの風』（PARCO出版）なんかの旅本が文芸書の売上の柱でしたかね。まあ、バカ本は図抜けてましたけど（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>でもね、バカ本台をがんがん売ってることに対して、パルコも特別何も言ってこなかったよね。ここまで来ちゃうと、一人歩きしちゃった感がありありで。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>ただあの頃、パルコの内部では、リブロ池袋店は格調も高く文化度も高い。それに較べてＰ－ＢＣは、っていう雰囲気がありましたね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>そうなんだ。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>パルコっていう会社は、広告もそうですけど、人間を魅力的にしていくということを意識的にやった会社だと思うんです。外面だけの美しさだけじゃなく、内面の知識とか教養も非常に大事なものだという感覚があったと思うんです。そういう百貨店的思想の現代版とでもいうようなものが。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>うんうん。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>だから総合的にファッションを提供する時に、そういうものも一緒に提供する。PARCO劇場もそうですよね。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>文化的装置としてね。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>そういう意味でいうと会社側はリブロみたいな優等生的なものを求めていたかのもしれません。それにくらべてＰ－ＢＣは物凄くヤンチャな不良息子みたいなノリで、評価が低いっていうよりは「ヤンチャだなぁ、お前ら」って。でもＰ－ＢＣはＰ－ＢＣで「だってこれ売れるんだもん」みたいな感じでした。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>確かにそうだね。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>決して反逆しているわけでなく、あくまでお客様の買うものをみて仕事をしていたらああなっちゃったんですけど。あとは場所の特性がそのまま売り場に出てしまったという。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>図らずもって感じだね。</dd>
  <dt> 藤本</dt>
  <dd>相当図らずもって感じでしたよ（笑）。確信犯ではまったくなくて、勝手にお客さんと手をつないでどこかへ行っちゃった、みたいな。それをふまえて、今ベスト１０を見ていると、何を言われてもしょうがないと思います（笑）。<br>
  <dt class="yabe">矢部</dt>
  <dd>私だって文句言いたくなるよ、このベストは（笑）。でもね、２０００年にリブロと統合するときにリブロの偉い人がＰ－ＢＣ渋谷店を見に来たんだけど、「あれ？　何だ、普通の本屋じゃん」って言っていたのを覚えているよ。ベスト１０上はバカ本ばかりなんだけど、そのバカ本の棚はあの一角の棚、たぶん２０点か３０点くらいしかなくて、Ｐ－ＢＣ渋谷店が変わっていたのは、あそこだけだったんだよね。</dd>
</dl>
<p>（つづく　次回更新は2月5日）</p>
</div>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>特別編「坂の上のパルコ」第1回第2話</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/yabe/2008/01/22/112510.php" />
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   <published>2008-01-22T02:25:10Z</published>
   <updated>2008-04-22T07:23:12Z</updated>
   
   <summary>   第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」   藤本真佐夫（PARCO...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="めくるめくめくーるな日々" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      <![CDATA[<div class="parco">
  <h3>第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」</h3>
  <p>藤本真佐夫（PARCO出版）VS矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>
  <h4 style="font-weight: bold;">（第２話）パルコブックセンター渋谷店オープン</h4>
  <dl class="taidan">
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>今日はさ、自分の経歴を思い出してきたんだ。私は８３年６月にパルコ新所沢店がオープンするときに入社したの。その前は芳林堂で働いていたんだけど、辞める時に、もう書店員はいいやと思って、普通の事務職でもしようと、家が近いもんだからパルコに応募したのね。といってもパルコの子会社のアクロスというパルコにいろんなお店を出店する会社なんだけど。それで面接に行ったら、その相手が芳林堂時代の上司で、「事務職なんてダメだ。本屋もあるから本屋で働け」って、書店に配属されちゃった。それから８９年はＰ－ＢＣが名古屋や調布にお店を出した年なんだけど、その際の異動で３月に吉祥寺店に行って、９２年の１２月に渋谷店オープンのために本部に入るんだね。あの頃は書店も裕福だったね。本部でオープン用の注文書をちっくりちっくり書いてたんだから。そして９３年の３月に渋谷店がオープンした。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>渋谷を作るときって何か意識されたことってあったんですか？</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>いや、私は単なるスタッフで、店長は別にいたし、その店長の意向というのがもちろんあったと思うんだけど、決して渋谷に合わせたマーケット、サブカルだとかなんだとかというのはなかったと思う。唯一あったとしたら学習参考書を置かないっていうコンセプトはあったかな。渋谷には大盛堂や三省堂や紀伊國屋がすでにあったから、後発で出ていくのに、フルラインでなくてもいいかという考えが。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>あの坂を登って学習参考書を求めにくるお客さんはそうはいないですよね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>ただ最初はなぜか赤本だけはあったりしたんだよね。諦めきれずにだったのかな。何年目かにその辺も全部辞めて、児童書も減らした記憶がある。でもあの時代に学習参考書を置かないというのは、勇気のいることだった。総合書店としては。一番手堅い商品だったからね。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>そうですね。あと意識したといえば、本店機能を持たせるってことじゃなかったでしたっけ？</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>それはあった。パルコの本拠地といえば渋谷だったから、そこについに出店できるって思いは強かった。特に上の人たちは勢いこんでいたよ。渋谷こそ本店にしようみたいな。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>それまで渋谷のパルコパート１には、６階に洋書ロゴスがあったんです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>渋谷店オープンのときにそのロゴスに降りて来てもらって、一緒に大きなお店にした。元々、売り場になる地下一階は子供服売り場で、小さいお店がいっぱいあった。それが無くなって、ほとんどワンフロアーをＰ－ＢＣで使ったんだよね。それで私は１２月から本部に入って、オープンのときのフェアをいくつか考えなきゃと、うんうん唸っていた。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>当時はフェアができる平台が何台ありましたっけ？</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>いっぱいあった（笑）。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>やりたい放題でしたよね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうそう。そのひとつがマルコムＸのフェアだった。でも店長は気に入らなかった（笑）。</dd>
    <dt>藤本</dt>   
    <dd>社会派じゃなく、ファッションとかやって欲しかったんじゃないですかね？もうちょっとオシャレな。僕はそのとき吉祥寺店を辞めていて、ふらふらしていたんです。それでラブホテルのアルバイトの面接を受ける予定で渋谷に行ったんですけど、そういえば矢部さんが異動になっていたなって思い出して、挨拶に行ったんですよ。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>あれオープンしてすぐだよね、一日目か二日目。私はまだ藤本君が吉祥寺店で働いていると思っていた。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>「辞めた」っていったら、矢部さんが「PARCO出版でバイト募集しているからお前やるか？」って話になって、面接に行く途中だったから、ちょうど履歴書を持っていて、そのまま面接に行って、採用してもらったんです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうだ、その場からPARCO出版に電話したんだよね。で、いいよ、面接しましょうなんて。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>次の週から働き出した。あの頃はお近くだったから、しょっちゅう渋谷店に顔を出しては、矢部さんの邪魔をしていました。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>オープンといえば、開店当日の朝にカバーが折れてなくて、すごくあわくった覚えがあるよ。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>あの日比野克彦さんがデザインしたカバーって、渋谷店オープン時に作ったんですよね？</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>そうそう、あのときに作ったの。エプロンも一緒に作ったんだ。日比野さんの前は、ヤニス・クセナキスっていう現代音楽家の楽譜のカバーだった。</dd>
    <dt>藤本</dt>   
    <dd>そうでしたね。あのクセナキスのデザインは、初め子供の落書きをそのまま取り入れたんだと思ってたんです。それで、先輩に「落書きなんて、カッコイイですね
」っ て言ったら「バカ、これ楽譜だよ。クセナキスの」って教えてもらいました（笑）。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>色がグレーでね。あれもカッコ良かったんだけど、渋谷店オープン時に新しくしようと日比野克彦さんに頼みにいったんだよね。そういえばＰ－ＢＣが無くなる時に日比野
さんの事務所にカバーやエプロンやセロテープを届けたなあ。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>書店がそれまでデザイン的にアピールするということはほとんどなくて、本を入れるビニール袋もＰ－ＢＣはオレンジ色で、当時、暖色系を使うっていうのは考えられなかった。どっちかというと寒色系のグレーだったり、ブルーだったりしたんです。そんななかあのオレンジ色の袋は、本を買って帰るお客さんがそのまま広告塔になってくれたんですね。画期的だったと思います。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>なんかあの色にするのに他のお店で使っていない色というのを随分時間をかけて選んだらしい。それでやっとオープンしたんだけど、渋谷店を作るときも、渋谷店を開けてからもパルコ本体からこういうお店にしろっていうのは一切言われなかった。そんなことをいう会社じゃなかったね、パルコは。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>ＭＤって言葉がまだなかったですもんね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>なかった、なかった。それにあの当時、本屋といえばみんな紀伊國屋みたいなものを想像しているだけでね。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>そうですね。基本的に本屋を集客装置として考えているわけだから、本屋のなかのことはそれはそっちで作ってみたいな。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>だからみんな好きにやれたんだ。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>当時、パルコに勤めている人たちは、来るお客さんとは違って興味のある対象がビジネス書だったり、人文書だったりしたんですけど、来ているお客さんは若いファッションやカルチャーに興味がある。だから求める本屋のかたちがずれていた。お客さんのためにと思って特化していくと、パルコの人たちは、何で俺の欲しい本がないんだよ、みたいな話になる。それで担当者が慌てるというのはありましたね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>   
    <dd>そういうのはよくあった。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>あの頃は、渋谷にブックファーストもなく、青山ブックセンター本店もなく、とにかく商圏が広かった。青山とか表参道からもお客さんが来るし、ＮＨＫの方からも来る。渋谷駅からも当然来るし。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>書店は、旭屋、紀伊國屋、大盛堂、三省堂はあった。パルコパート１の地下にある、今のリブロ渋谷店が私たちが働いていたＰ－ＢＣ渋谷店だったんだけど、当時は西武ロフトの中に別のリブロ渋谷店があった。９５年辺りに撤退したのかな？</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>リブロ渋谷店はいいお店でしたね。僕が一番覚えているのは文庫が出版社順じゃなくて、著者名のアイウエオ順で、探すのにとても便利だったんです。詩の本を扱っていた「ぽるとぱろうる」も併設されてたし、好きなお店でした。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>Ｐ－ＢＣ渋谷店が出店するときにいろいろ周りの本屋さんを見たんだけど、本屋のセレクトショップなんて発想がなかったから、５０坪なら５０坪なりの、３００坪なら３００坪なりの総合書店を作らなきゃいけないって感じだった。だから最初に言ったように学習参考書を外す以外は、総合書店を出すことしか考えてなかったと思う。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>オープン時の品揃えで驚いたのが全集ですよ。かなりありましたよね。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>ドーンと入れちゃった。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>一見ショタレっぽいもの、随分ありましたね（笑）。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>あとから結構言われたよ。ここにしかない本がいっぱいあったって（笑）。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>僕なんかは割と喜んで買ったくちです。</dd>
    <dt class="yabe">矢部</dt>
    <dd>まあ、そういうのはあったけど、普通のお店だったよ。しかもオープン当初は、毎日新刊が一箱あるかないかで、全然本も入らないし、しょぼしょぼ。どこまで辛抱するかってところもあったんだけど。マーケットとしてはポテンシャルがあったわけだからね。それがいつ頃からか、いろんな出版社が来て「Ｐ－ＢＣ渋谷店が一番売っている」と言われる本が出だした。</dd>
    <dt>藤本</dt>
    <dd>言われて気付くくらいだから、それが狙いじゃなくて、普通にお客さんを見て、関連書を見て、売れたからそれを発注してという日々の積み重ねだったんですよね。吉祥寺と一緒で。</dd>
  </dl>
  <p>（つづく　次回更新は1月29日）</p>
</div>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>第40回目</title>
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   <id>tag:column.webdokusho.com,2008:/shoten/rensaido//3.2454</id>
   
   <published>2008-01-16T04:13:54Z</published>
   <updated>2008-01-16T04:14:18Z</updated>
   
   <summary>尾道を愛し、尾道の人に愛された画家、小林和作。 わたしが和作さんの功績を知ったの...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="尾道坂道書店事件簿" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      尾道を愛し、尾道の人に愛された画家、小林和作。
わたしが和作さんの功績を知ったのは、既に亡くなられた後である。しかし、『評伝小林和作伝　花を見るかな』（創樹社）を読んで大好きになった。だから尾道の若い人もこの本を読んで和作の魅力を知り、大好きになってほしいと思った。
和作忌実行委員会の皆さんも同じことを考えたに違いない。そこでアイディアとして出たのが、『評伝小林和作伝　花を見るかな』のコミック化だった。活字を見ただけで目を背ける若者も多いなか、漫画なら気軽に読んでもらえるだろう。問題は誰にコミックを描いてもらうかだ。尾道には、地元出身の漫画家、かわぐちかいじさんがいるが、連載をいくつも抱え、とてもそんな余裕はない。そこで白羽の矢が当たったのが尾道で石油会社を営む川口協治さんだった。協治さんとかわぐちかいじさんは一卵性双生児。尾道の対岸にある向島で生まれ育った。双子の兄弟だから仲が良くて、いつも何をするのも二人いっしょ。庭をキャンバス代わりに釘をペン代わりにして絵を描くときも、貸本漫画に夢中になった少年時代もいつもいっしょだった。もともと絵の才能がある血筋だったようで二人ともめっぽう上手かった。
いつもいっしょの二人が離れたのは大学進学の時である。思えばこれが運命の別れ道だったのかもしれない。かいじさんは、明治大学に進み、多くのプロの漫画家を輩出した漫画研究会に入ったが、協治さんが入学した東洋大学には漫研がなかった。協治さんはそれでも同好会を立ち上げようと奔走したが上手くいかず、結局、軽音楽部に入った。

大学を卒業する時、どちらが家業を継ぐために尾道に帰るかを決めなければならなかった。どうやって決めたのかはわからない。一説にはジャンケンで決めたという噂もあるが、いずれにしても二人だけで決め、結局、協治さんが尾道に戻り、かいじさんは東京に残ったのである。
そんな協治さんは、家業の傍ら四コマ漫画を執筆し、『団塊くん』などの著作もある実力の持ち主である。
というわけで、コミック版『小林和作伝　花を見るかな』は、協治さんが描くことになったのだ。
執筆中の協治さんには鬼気迫るものがあったという。何かに取り付かれたようにただひたすらペンを走らせた。それはかつて手放した夢を取り戻そうとしたのかもしれない。小林和作さんや高橋玄洋さんやかわぐちかいじさんの思いを背負うかのように、一心不乱に描きあげた。
完成した原稿は、広島の出版社から刊行され、啓文社の店頭にも並んだ。地元尾道では売上ランキングに何週も続けて名を連ねるほどの人気ぶりだった。
さらには、尾道市の新成人にも記念品として配られた。
尾道の若い人たちにも小林和作さんを知ってもらいたい。和作忌実行委員会の願いは見事成就したのである。

かわぐちきょうじ作『小林和作伝　花を見るかな』（ガリバープロダクツ）
帯には、こんな文章が書かれている。

その生き様をこんなに面白く描けるかわぐちきょうじは天才である。
くやしいけれど実の兄が云っていることだ
まちがいない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　かわぐちかいじ
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>特別編「坂の上のパルコ」第1回第1話</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/yabe/2008/01/15/125942.php" />
   <id>tag:column.webdokusho.com,2008:/shoten/rensaido//3.2452</id>
   
   <published>2008-01-15T03:59:42Z</published>
   <updated>2008-04-22T07:28:45Z</updated>
   
   <summary>                                       第...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
   </author>
         <category term="めくるめくめくーるな日々" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/shoten/rensaido/">
      <![CDATA[                  <div class="parco">
                    <h3>第１回：「渋谷の栄光は『バカドリル』とともに」</h3>
                    <p>藤本真佐夫（PARCO出版）　VS　矢部潤子（リブロ池袋本店）</p>
                    <div class="read">
                      <p>今回から数回に渡り「めくるめくめくーるな日々」特別編とし、９０年代を駆け抜けた書店のひとつ、パルコブックセンター渋谷店について、そのお店の中心メンバーであった矢部潤子さんと当時を知るスタッフ、出版社、取次店の方々と振り返っていきます。</p>
                      <p>第１回目は、矢部さんと吉祥寺店時代にはスタッフとして一緒に仕事をし、渋谷店時代は、PARCO出版に勤務され、一番近いところからパルコブックセンター渋谷店を見つめてきた藤本真佐夫さんをお招きしました。当時の文芸書の報告書を見ながら、オープン前、オープン時、そして時代とともに歩いたパルコブックセンター渋谷店について語っていただきました。</p>
                    </div>
                    <h4 style="font-weight: bold;">（第１話）夜明け前</h4>
                    <dl class="taidan">
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>僕が勤めているPARCO出版は、当時パルコブックセンター（後はすべてＰ－ＢＣと略）渋谷店のすぐ近くにありました。渋谷店の開店日は、身内では伝説化されていますよ。「お客より、矢部さんに挨拶に来た出版社の営業の方が多かった」って（笑）。「営業マン何十人かが列を作って矢部さん待ちをしていた」という、驚くべき現象。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>オープン時だからね。そんなにお客さんは来てくれないんだよ（笑）。当時、私は人文書と理工書の担当だったんだよね。渋谷店に異動になる前の吉祥寺店でも同じ担当だったから、そっちでお世話になっていた営業マンが、オープンで顔を出してくれた、っていう記憶がある。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>僕はその、変態の森みたいな、吉祥寺店のアルバイトだったんです。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>なーに言ってるの（笑）。真面目にやっていたよ、みんな。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>いや、いちアルバイトの目から見ると、変な人ばっかりですよ。一癖、二癖あって当たり前。版元さんを怒鳴りつけて帰しちゃったり。びっくりすることがいっぱいありました。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>あの頃、本屋はみんなそうだったんだよ（笑）。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>仕事も特別何も教えてくれないし、ただもう「常備替えておけ」ばっかり（笑）。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>ハハハ。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>「ここに箱があるだろ？　棚に同じのが並んでいるから取っ替えろ」って、それだけ。僕はストックバイトといって、仕入れた本の仕分けをしていたんですが、取次店から書店に届く本というのは、ジャンル分けされてないんです。それを僕らアルバイトがジャンルごとに分けるんですが、よく間違えるんです。それで「何だよこれ！　どこ置いてんだよ。ちゃんと覚えとけ」って叱られて、こんな沢山の本全部覚えておけるわけないじゃないか、と思ったもんです。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>厳しかったね。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>その吉祥寺店も渋谷店同様、変わった本が売れていたお店だったんですけど、アルバイトの僕から見ていると、お客さんが作っているお店って感じでした。書店というのは基本的に売れたものを再発注します。だから変なものが売れればまたそれが入ってくる。また売れると、二冊売れたから、じゃあちょっと積んでみるかと。そうこうしているうちに変な本ばかりが売れる書店になっちゃった。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>確かに吉祥寺店には、すごく濃いものがあった。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>当時の吉祥寺店も売れ行きベスト１０にいわゆる世間のベストセラーが入らなかった。あれは吉祥寺という街のお客さんの持っている指向性の表れですよね。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>そうだね。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>ただ元々そういう方向性というのはお店側が狙っていたわけじゃなくて、学習参考書も、ビジネス書も結構売るし、地図ガイドもある。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>そうそう、だってＰ－ＢＣ吉祥寺店を作った人は、芳林堂の出身だから、普通の正しい書店の姿を求めていたはずなんだ。専門書がどうのとか、国語辞典はこう並べろとか、工学書協会に入るのが嬉しいみたいな。決して「こっちを歪めよう」みたいなことをやっていたわけじゃないんだけど、でもやっぱりお客さんがそっちを求めていた。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>担当者も、これがイチオシね、みたいな感じではないんです。あの頃、他の書店の情報なんてそんなに入って来なかったから、どこでも売れているんだろうくらいに考えていた。それが、営業の人から「この店が、日本イチこの本を売っているんです」とか言われて初めて気がつくような感じでした。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>でも「おかしい」ってこともそんなにわかっていなかった。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>別に変な本ばかりを売ろうとした担当者がいたわけじゃないですからね。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>いないね。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>ただ売れるからきちんと置くってことでしかなかったんです。</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>おそらくいわゆるベストセラーも吉祥寺には駅に弘栄堂もあるし、紀伊國屋もあった。今のユザワヤの上の方にも本屋があって、そういうところで売れていたんだと思うよ。ただそういう部分でないところがＰ－ＢＣ吉祥寺店に集まっていた。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>えっ、ユザワヤのビルって、昔、なんのテナントもない、幽霊ビルじゃなかったですか？</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>そうそうあのビルが、幽霊ビルだったとき、上の方に本屋だけあったんだよ。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>えっ？！</dd>
                      <dt class="yabe">矢部</dt>
                      <dd>ガランとした店内をエスカレータだけが動いていて、それで何もないフロアーを上がっていくと突然一角に本屋があった。そこは結構、人がいたんだよね。</dd>
                      <dt>藤本</dt>
                      <dd>忽然と本屋があるのは怖いですね。いかにも吉祥寺らしいと言うか…その吉祥寺から矢部さんは渋谷店のオープンに合わせて異動になるんですよね。</dd>
                    </dl>
                    <p>（つづく　次回更新は1月22日）</p>
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   <title>第39回目</title>
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   <published>2007-12-03T03:09:34Z</published>
   <updated>2007-12-03T03:09:54Z</updated>
   
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      尾道名誉市民である画家、小林和作(1888～1974)を偲ぶ和作忌法要が、毎年１１月４日に営まれる。この日は尾道で、記念講演会が開かれたり、芝居公演があったり、メインストリートでは、和作や弟子、孫弟子たちの作品が展示されるなど、３０年もの間、いろいろなイベントが行われてきた。小林和作がそれほど尾道の多くの人から愛されてきたということだろう。

小林和作は山口県秋穂村で生まれた。家業を継がず、絵描きを夢みて京都の美術工芸学校に進み、その後、上京し、本格的に画家を目指した。
やがて父が死に、多額の遺産を相続した和作は大金持ちになる。豪邸に住み、名画を買いあさり、後輩たちを連れては豪遊し、「富豪画家」、「田舎大臣」と呼ばれた。
ところが１９３１年世界大恐慌の年、財産管理をしていた弟が手を出した相場で失敗し、小林家は破産してしまう。家を失い、集めた名画を売り払い、そしてあれほど和作を慕っていた仲間が離れていった。金の切れ目が縁の切れ目である。結局、和作に残ったのは「絵を描く」ことだけだった。

何もかも失った４５歳の和作は、東京を離れ、新しい人生を歩もうと決心する。かといって故郷に帰るわけにもいかず、学生時代の後輩がいる尾道に移り住むことになったのだ。
山があり、海があり、島があり、画材に富んだ尾道で、和作はまさに息を吹き返したのだと思う。自然を愛し、鮮やか色で描く和作の作品は、美術界で高い評価を受けるようになっていった。
「油絵を教えてほしい」と集まってきた人たちを相手に絵画教室もはじめた。和作に金が無くても、尾道の人たちが集まって来たことが何より嬉しかったはずだ。和作は尾道の風景だけでなく、尾道の人とのふれあいにも喜びを感じるようになる。

西國寺持仏堂の改修をすることになった時、和作が張り替えたふすまに絵を描いた。改修費用が随分かかるだろうから参拝客が少しでも増えればと和作自身が申し出たそうだ。そのおかげで参拝客がどっと押し寄せたのは言うまでもない。
晩年の和作は書に凝った。頼まれれば、親しい友人、知人宅のふすまに絵や書を書いた。お礼は天丼一杯でいいと言ったものだから、われもわれもとあちこちでふすまを張り替えはじめ、大変なことになったらしい。かつて「富豪画家」と呼ばれた和作は、尾道では「天丼画伯」という名で親しまれた。

小林和作は、啓文社の常連客だった。随分長い時間をかけて本を選び、いつもたくさんの本を買った。店員が本を包もうとすると「包装紙はいらないよ」と言って、裸のまま持ち帰った。
店主、手塚景三が、「そんなにうちの包装紙が気に入らないのなら、和作先生に包装紙のデザインを描いてもらおう」と思い立ち、息子、弘三を和作の家に向わせた。和作は、「啓文社の包装紙が気に入らないからじゃない。ただ、紙がもったいないから要らないと言っただけだよ」と説明した。それでも結局、快く引き受けてくれて、包装紙用と表紙カバー用の二種類を描きあげた。今でも使っている和作が描いた包装紙は、啓文社にとって自慢の包装紙である。
後日、弘三は、和作宅を訪ね、「謝礼」と書いた熨斗袋を渡した。和作は「ありがとう」と言って受け取り、奥に入り、新しく「御礼」と書いた袋を持って来た。もちろん弘三は「とんでもない」と断ったが、和作は「勘違いしないでほしい。これはいつも親切に応対してくれる店の人たちへの、私の気持ちだ」と言った。
持ち帰り、開けてみたら、弘三が持っていった金額がそっくり入っていたそうだ。

和作にはこんなエピソードもある。
和作は、東京の大学に進学することになった少年に「小遣いに困ったらこれを銀