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6月8日(日)

 第9回全日本かくれんぼ大会に参加する。
 この大会は、鬼500人、隠れ人200人で温泉町全域を使ってかくれんぼするという壮大なもので、私は隠れ人のほうにエントリーしていた。
 範囲が広いため、隠れ場所を決めるのもひと苦労。案外いい場所はないもので、私有地や川への立ち入りは禁止されているから、そうなると公共の建物か道路脇のブッシュ、公園あたりしか隠れる場所がなかった。しかしなかには報道陣のような格好をしてカメラを抱えて歩き回る隠れ人もいて、なるほどそういう手があったか、と感心する。
 思案の末、電話ボックスと灌木の隙間に隠れた。町内放送で、「もういいかい」「もういいよ」の掛け声が流れ、それを合図に鬼がスタート。スタート地点から1キロぐらい離れていたので、15分は来ないだろうと安心していたら、ものの5分とたたないうちに、「見つけた!」と指差されて驚く。
 ゲ、めちゃ早いがな。
 なんでも鬼は、隠れ人を見つけないと、賞品の海外旅行が当たる権利が得られないので、スタートとともに猛ダッシュするのらしい。知らなかった。のんびり構えてて大失敗である。
 それにしても町内には、そこここに仮装をした参加者が歩き回っていて、それも仮面ライダーとか、がちゃぴんとか、ガンダムとか、グリコの看板とか、食いだおれ人形とか、かくれんぼと全然関係ないというか、そもそも鬼が仮装する意味がわからんというか、隠れる側も、仮装のせいでかえって目立っているのであって、みんなアホですばらしい。
 後に主催者にも話を聞いたが、アホな企画に全力投球しているところに好感が持て、取材は大成功であった。
 でも、せめて三十分ぐらいは見つかりたくなかったな。
 
 帰りは、朝日新聞の担当記者挿翅虎さんの車で、宝塚の実家まで送ってもらう。今回は挿翅虎さんの奥さんも同行されていて、粘菌好きということでウマが合い、話が盛り上がった。

6月9日(月)

 新幹線で帰る。今回は、帰ってからいろいろとやることがあるので、寄り道はパス。新幹線のなかで、『ズニ族の謎』ナンシー・Y・デーヴィス著(ちくま学芸文庫)を読む。
 かくれんぼしながら考えたのだが、私はもう四国遍路に行ったほうがいいのではないか。なんとなく梅雨明け以降の出発をイメージしていたが、あれこれ考えていないでさっさと行ってしまえ、という声が頭の中でする。

6月10日(火)

 仕事場の契約更新のため不動産屋へ行き、更新料を払う。月末には、住民税が引き落とされるし、とても痛い。
 朝日新聞のかくれんぼ大会の原稿を書いて、挿翅虎さんにメールで送る。

6月11日(水)

 天気予報では今日明日の徳島の降水確率は70%と言っているが、四国遍路に行くことにする。
 梅雨だし、金はないし、荷造りは面倒だし、よっぽど先延ばしにしようかと思ったが、どんな紀行エッセイを書くのかさっぱり見当がつかないのは、四国遍路がどんなものか知らないからであり、それなら行ってみて考えるほかないだろうというわけで、ザックを担いで出発した。
 旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。
 毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、いつまでたっても人生何も起こらないのだ。それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、それから決心を固めていくほうが早い。
 そんなわけで、荷物重いなあ、雨はイヤだなあ、と思いつつ東京フェリーターミナルに到着。徳島までフェリーに乗っていくつもりだ。「るるぶ四国八十八ヶ所」というガイドブックの、最後のページのマークを持っていけば、16%のお遍路割引を受けられるので、買って切り取って持ってきた。
 ターミナルに着くと、徒歩の乗客は私以外にひとりしかいなかった。
 フランス人であった。
 いや確証はないが、なんとなくフランス人ふうであった。
 思わず「ボンジュウフ、ジュマペーなんとかかんとか」とか言ってみたくてウズウズしていたところ、「こんにちは」と先に話しかけられた。「日本語しゃべるがな」「ええ、少し」「ウェアーユーカンフロン」「フランスです」って、やっぱりフランス人である。二十歳の男子学生でこれから四国の農家へホームステイに行くのだという。
 何の本能か、性別国籍問わず、日本を旅行中の外国人を見ると──とりわけ個人旅行者を見ると、ついいい人を装いたくなってしまう私は、今までの後ろ向きな気持ちが一転、心身ともに活性化して、さっそく荷物を一部持ってやり、船室まで案内してやり、貴重品ロッカーの使い方を解説してやったり、それ以上は深入りして話しかけずにのびのびした気分にさせてやったりした。
 以前、九州を旅行中に台湾人の若い女性旅行者に会ったときも、その場でレンタカー屋に電話して、清廉潔白な気持ちでドライブに誘い、気がつけば途中で韓国人男子学生二人も拾って、四人で阿蘇山の火口を見に行ったことがある。そうやって一日運転手としてあちこち連れて行ったあげく、住所も名前も聞かずに、シーユーって別れて大満足だったのである。なんだろうな、このヘンな趣味は。
 そうして〈瞬間最大いい人〉の強い風に見舞われた私は、おかげさまで四国遍路に出発してよかったという気持ちになって、夜はぐっすり眠れたのである。

6月12日(木)

 昼過ぎ、フェリーは徳島港に到着。
 天気は上々。降水確率70%はどうなったのか。さすが晴れ男の私だ。
 フランス人を徳島駅まで案内してやり、そこでロッテリアのアップルパイ100円を奢って別れた。外国人に食べ物を奢るときのコツは、後でひとりのときに食べられるものをあげることである。今食べないと悪いという気持ちにさせてはいけない。相手は睡眠薬強盗などを疑っている可能性があるからだ。って、なんでこんなことに一家言持っているのであるか私は。
 さてそれで、四国遍路である。
 一番札所の霊山寺までは電車で行き、そこでお遍路用品をいくつか買う。
 なるべく最小限に買ったつもりでも、一万円ちょっとしてたじろいだ。後で聞いたのだが、みんな一番札所で買うので、ここだけ割高なのらしい。やられた! 二番以降で探せばよかった。
 ともあれ、そうして出発の感慨も何もないままに、歩き出す。
 遍路道というからどんな道かと思えば、自動車も通る普通の道路である。なんだそりゃ、と少々不満におもいつつ、前進。
 午後3時半頃からの出発だったので、4キロ程度歩いただけで、三番札所手前で今日は終了した。その程度では歩いた実感が全然ない。
 それでも、宿にチェックインする頃には、来てよかったという気持ちが高まっていた。旅行なんて、そんなものだ。

6月13日(金)

 遍路二日目。快晴。
 歩きながら、この紀行の目的というか、企画を考えようと思っていたが、歩き出すと何も考えられない。ただもう黙々と歩いてしまう。
 九番札所まで20キロ以上歩いて、さっそく足の裏にマメができた。それは予想通りでたいした問題ではないが、いったいなんの因果であろう、いきなりトレッキングシューズが壊れてしまった。ゲ、早すぎるだろ。
 妻にその件をメールすると、妻も今日たまたまジョギングしていて、靴が壊れたとのこと。なんという偶然。何かのメッセージだろうか。
 敢えてここに意味を読み取るとすれば、
「今は動くな。前に進むときではない」
 であろうか。あるいは、
「貧乏でも、靴は買え」
 かな。思えば、もう十年以上この同じ靴を履いていた。

6月14日(土)

 遍路三日目。快晴。
 ところでこれを書きながら困っているのは、この四国遍路の旅は別のところで紀行エッセイとして書く可能性が高く、詳しい旅の話はそちらに譲るとするならば、ここではいったい何を書けばいいかということだ。
 だぶるのもイヤなので、遍路中は簡潔に書くことにする。
 四国遍路には何ヶ所か遍路転がしと呼ばれる難所があって、そのなかでも最大の難所がいきなり序盤も序盤、出発して40キロも行かないうちに現れる。十一番札所から十二番札所への登山道だ。
 そういう難所は、なるべく朝一番で取り付きたいため、今日はその手前まで歩き、明日に備えることにした。ところがそうなると今日の歩行距離は13キロぐらいしかなくて、午後いっぱい時間を持てあました。
 同時に、ここまでアスファルト道ばかり歩かされたことに、うんざりする。山道とかあぜ道とか、そういう道をもっと歩きたい。
 昨夜の宿のオーナーに聞いたのだが、遍路道の9割以上は、舗装道路だそうである。トレッキングシューズではなく、舗装道路向きのふつうの運動靴で歩いたほうがいいという話は、ガイドブックでも読んでいたが、それでも半分ぐらいは土の道だと思っていた。1割もないとは予想以上だ。
 大幻滅。急速にやる気が萎んでいくのを感じる。

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