子どもたちを連れて、宮が瀬ダムにあるあいかわ公園へ遠出した。
自宅から車で一時間以内に行ける大きな公園は、もうほとんど行き尽くした。同じ公園に何度も行くと、子どもからクレームがくるので、遠めの公園でも、面白そうな遊具があったり評判がよかったりすると、行ってみるようにしている。あいかわ公園には、迷路型の遊具があり、息子も気に入ったようだ。迷路好きの私にも響くものがあった。しかし大人になって子どもの遊具で遊ぶと、乗り越えるところはいいが、しゃがんでくぐるところが邪魔くさい。
天気は曇りがちでときおり小雨が降ったが、木々がいっせいに芽吹いた山は、もこもこと明るく、空気を入れて膨らましたかのようだった。少しぐらい雨に濡れてもそれがどうしたと、おおらかな気分になった。
4月20日(日)
4月21日(月)
一日中、仕事場で小説を書く。
4月22日(火)
平塚市美術館まで、はるばる電車を乗り継いで、村田朋泰展「夢がしゃがんでいる」を観にいく。
以前、六本木の国立新美術館でチラシを見て、これは是非行こうと思ったのだった。チラシには「夢の観光地 三ノ函半島一泊ツアー」とのコピーがあって、三ノ函半島とは「かつて世界が三つの函だった頃の面影が今でも色濃く残る場所」なのだそうだ。世界が三つの函だった? なんだかわけわかんなくて素敵だ。そういう、架空の場所を立体的に紹介するという企画が、私の”架空の場所”フェチ心を、強く揺さぶる。そもそも半島という言葉だけで、すでに私は萌えた。
内容も期待にたがわぬ架空の場所っぷりで、立体アニメーション作品も素晴らしかった。休憩用のベンチのところに置かれてあった巨樹のジオラマにも心惹かれた。自分もいつか、架空の場所を多角的に表現するような小説を書いてみたいと思った。ただ、昨今の”架空の場所”は、昭和のノスタルジーに引きずられ過ぎではないかという感じが少しあった。
美術館を出たあと、せっかく平塚まで来たのだから海でも見に行こうと駅の南側へ出たら、地図では近いくせに海なんかどこにも見えず、気持ちがくじけそうになった。ところへバスが来て、西海岸行きと書いてあったので、それに乗った。西海岸は知らないが、海岸であろう。
窓に流れる風景を見ていると、ああ、もうなんか、自分が今関東の一画に住んでいるのは、違うのかもしれない。もうじっとしていられない、という気持ちがした。
西海岸に到着してみると、そこは黒砂の海だった。湘南や三浦の海は、砂が黒くて今ひとつパッとしない。関東の海はやっぱり自分にはしっくりこない。上空をパラプレーンがブウウウウと飛んでいた。私もああいうので空を飛んでみたいが、妻に禁止されている。
4月23日(水)
妻が息子の遠足に付き添いで出かけ、娘は幼稚園へ行って、朝っぱらから家にひとりになる。なんとなく開放感。
家の窓からスットコランドを見ると、季節はぐんぐん加速していて、つい先日まではピンク色が優勢だったのに、今は大部分が黄緑になっていた。
そういえば子どもの頃、黄緑とピンクの組み合わせがなまぬるくて嫌いだったことを思い出す。そうか、黄緑とピンクは春の色だったんだな、と今さらにして気がついた。たしかに子どもの頃の私は春が嫌いだった。夏や冬のようなシャープさに欠け、秋の凛とした空気感もないから。
その気持ちはたぶん今も変わっていないはずなのだが、おっさん化により、体のほうはなまぬるさを求めているようで、気がつくと春を喜んでいる自分がいる。いつしか黄緑とピンクの組合せにも抵抗がなくなっていた。
ちなみに、むかし好きだった色の組み合わせは、白と緑と紫の三色が、渦を巻いているというもの。今は全然ピンとこない。
4月24日(木)
知人から抗うつ剤を飲み始めたというメールがきて、え、あの人がうつ? と意外に思うと同時に、あの人がうつなら、私なんかもっとうつだろうと思った。昼間なかなか仕事できないのは怠け病かと思っていました、と書いてあって、なに怠け病? そういうことなら私もまず間違いない、と確信のようなものを得た。
この日記を書くにあたり、作家の日記をいくつか読んでみて、結局面白いのはうつの人の日記だと思ったのは、自分もそうだからなのかもしれない。
私がこれまでに読んだ日記文学ベストワンは『日の移ろい』島尾敏雄著(中公文庫)である。
ところで、唐突に思ったのだけれど、よく芸能人なんかが、むかし虐められっ子だったなんてカミングアウトすることがあるけれど、あれにはどうにも鼻白むものがある。
なぜなら、そんなのは私だって同じであり、たぶんAさんもBさんもCさんもみんなそうだからである。若いときは、程度の差はあれ、誰でも自分は虐められている、不当な扱いを受けていると思っているもので、なおかつ、みな実際に虐められてもいるのであって、大人になって平気でカミングアウトできるぐらいなら、そんなのは特別視するに当たらない。むしろ、自分は虐めっ子でもあったはずだ、と認識するほうが大事だと思うのだがどうか。
4月25日(金)
宝塚線脱線事故から三年。
追悼慰霊式があったことを新聞で知る。
事故に遭遇しながら、幸い大した怪我もなく、精神が鈍感なせいか、PTSDのような症状も出なかった私だけれど、今でも電車は前3両には決して乗らないようにしている。どういうわけか、いまだ電車より、飛行機のほうが怖い。
健保の健康診断の申込書が自宅に届いていて、単に申込書がきたというそのことだけで、なんとなくビビる。飛行機と健康診断には、平然と対処できない。
今朝、娘が幼稚園に行きたくないと泣いていた。虐める子がいるから、とのこと。そのせいで、仕事場へ行っても、ついつい子供たちのことを考えてしまった。
4月26日(土)
仕事場へ行って、今後のことを考える。新たな連載の依頼がきていて、それは大変ありがたいのだが、ギャグエッセイは最近あんまり書く気がしない。それより今書きかけの小説に没頭すべきではないか。
目先の金欲しさで、つい引き受けてしまい、毎月それを書くのに予想以上の時間がかかって、ますます小説の完成が先送りにされるという未来図が容易に頭に浮かぶ。決して安請け合いはしまい、と断わるつもりで編集者に会い、会った瞬間に、このたびは本当にありがとうございますと、サラリーマン風の笑顔で快く引き受けている自分が見える。受注できるものは何でも受注してしまおうというさもしい癖は、むかし取った杵柄というべきか。
あーあ。
ガタガタ言わんと、あっちもこっちも全部まとめてどーんと書いたらんかい! という謎の声が、プレアデス星団の彼方から聞こえた。
