今住んでいるマンションの窓からスコットランドが見える。
マンションは崖上にあって、崖下にはゆるやかな丘があり、そこは畑が広がってその先に雑木林があるために、その一画を薄目で見ると、スコットランドに見えるのである。以前うちに遊びに来た後輩に紹介すると、あー、まあねえ、と苦笑していたが、スコットランドには牛もいて、時々牛糞の匂いが漂ってくるのが、いかにもいい感じである。仮に、スットコランドとでも呼ぶか。
今日のスットコランドは、桜が満開。
この景色があるだけでも、ここでの生活は救われている。私は眺めのよくない家には絶対住みたくない。そういう意味で、今後もできるだけ崖の上に住みたい。
4月7日(月)
4月8日(火)
激しい雨と風。
スットコランドの真ん中に雑木林へ続く道があり、その道の先、雑木林を越えた谷筋にあるスットコ幼稚園に、今日娘が入園した。
入園式で教室に入ると、自分が子どもだった頃、雨の日の教室がどうにも息苦しくて嫌だったことを思い出した。
雨の日は、世界が全部ハリボテになって、自分が書割の箱の中にいるかのように感じていたのだった。辛気臭い蛍光灯の光と、粘土の匂い、ぴょーとかいう縦笛の音、そして単調な授業。思い出すだけでうんざりする。今は雨が降っても息苦しさを感じないのは、もう大人になって、どこまでも行きたいところへ行けるからだろう。その気になれば車に乗って、晴れている場所まで行くことができる。大人でよかった。
自分の子どもたちは、あの世界中ハリボテの日を、これから何日味わうことになるのだろう。そう思うと不憫。
入園式が終わって駐車場に戻ると、どの車にも散り落ちた桜の花びらが、何枚も張りついていた。汚れているようでも、それはそれで味わいかと思ったら、置き場が悪かったのか、私の車だけ花びらでなくて、枝みたいなものに覆われていた。
桜、桜、桜、枝。
ナイスボケだ、私の車。
そういえば、学生時代、走行中に突然バッテリーのあがった車をその場に路駐したまま一ヶ月ぐらい放っておいた後、バスに乗って見に行ったら、全身落ち葉に覆われてベトナム戦争の偽装戦車みたいになっていたのを思い出した。
4月9日(水)
本の雑誌のニック・ステファノスさんに会う。
次回連載のゲラをもらい、書評する本を撮影用に預ける。
その際、WEB日記を書いてみてはどうかと言われ、これを書き始める。
二日前から書いてあるのは、区切りがいい四月一日まで遡ってそこから書こうとしたためで、それが一日じゃなくて七日から始まっているのは、そこまで遡ったけれどあとは面倒くさくなったからである。
しかし、公表する前提で日記を書くのは思った以上に難しい。私がこれまで書いてきた本はどれもエッセイだから一人称で語っているが、たいていの場合自分をやや戯画化して書いているので、ネタは事実でも、本当の自分とはやっぱり違うのである。初めて会った編集者には、本の印象と違いますね、みたいなことを必ず言われるぐらいだ。
だから、この日記は、どういう自分として書くのか、その立ち位置が難しい。とかいいながら、わりと素に近い感じで書き始めてしまった。今後どうなることか。
4月10日(木)
一日じゅう小説を書く。
もうずっと前からとりかかっている小説が、なかなか書きあがらない。
雑誌に書いたことはあっても、いまだ一冊も小説を出版していないので、早いところ書きあげて本にしたいが、これが初めてにしてはずいぶんな長編なのだった。普通は最初に短編集でも出してこなれてから長編にとりかかるのが一般的かと思うが、私はどうにもこの話が書きたいので、最初から長くなってしまった。おまけにそんだけ書いて必ず出版されるという保証はどこにもないのだ。
それなのに、エッセイ本を書き下ろさないかという、本になる保証付の依頼まで断ったり後回しにしたりして、書いている。経営戦略としてどうかと思う。
まあしかし、かっこつけるわけではないが、自分の人生のハンドルを握るということは、そういう保証のないことをこそやるということだろう。先の見えない仕事こそ、やるべし。
なんて、エラそうなことを言いながら、ふと気がつくと、パソコンでソリティアをやってたりするのは、何の呪いであろう。
4月11日(金)
一日、仕事場。
だんだん暖かくなってきたし、今日は久々に冷たいお茶を飲もうと思い、冷蔵庫を開けてペットボトルからマグカップにお茶を注いだら、そのペットボトルにまりも状の未確認物質が入っていた。ぼんわりと丸く、丸いけど輪郭の滲んだ何かが、ペットボトルに残ったお茶のなかで雲のように弾んでいた。あわてて流しに捨てる。も、ペットボトルの口をなかなか通らないほど大きい。去年の夏から育ち続けていたようだ。残りのお茶も全部捨てて、うっかり飲まなくてよかったと胸をなでおろす。
その後しばらく机に向かい、それについてそのまま忘れてしまって、ふとまた何か飲もうと流しへ行ったら、排水口のゴムパッキンの上に、浜に打ち上げられたクラゲみたいなのがいて、おおっ、とうろたえた。すぐに思い出したけれども、どういうわけかさっきより少し大きくなっていたのも不気味だった。
4月12日(土)
娘を寝かしつけるとき、なぜだか知らんが彼女は私の股間で寝たがる。私がこころもち足を広げて、そこにできる三角形の中で眠るのである。そのとき私の股間を枕にするので、偉大なる私がゴリゴリして痛い。父として我慢のしどころである。
アマゾンで頼んでいた『飛行の古代史』(ベルトルト・ラウファー著)とどく。
