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4月7日(月)

 今住んでいるマンションの窓からスコットランドが見える。
 マンションは崖上にあって、崖下にはゆるやかな丘があり、そこは畑が広がってその先に雑木林があるために、その一画を薄目で見ると、スコットランドに見えるのである。以前うちに遊びに来た後輩に紹介すると、あー、まあねえ、と苦笑していたが、スコットランドには牛もいて、時々牛糞の匂いが漂ってくるのが、いかにもいい感じである。仮に、スットコランドとでも呼ぶか。
 今日のスットコランドは、桜が満開。
 この景色があるだけでも、ここでの生活は救われている。私は眺めのよくない家には絶対住みたくない。そういう意味で、今後もできるだけ崖の上に住みたい。

4月8日(火)

 激しい雨と風。
 スットコランドの真ん中に雑木林へ続く道があり、その道の先、雑木林を越えた谷筋にあるスットコ幼稚園に、今日娘が入園した。
 入園式で教室に入ると、自分が子どもだった頃、雨の日の教室がどうにも息苦しくて嫌だったことを思い出した。
 雨の日は、世界が全部ハリボテになって、自分が書割の箱の中にいるかのように感じていたのだった。辛気臭い蛍光灯の光と、粘土の匂い、ぴょーとかいう縦笛の音、そして単調な授業。思い出すだけでうんざりする。今は雨が降っても息苦しさを感じないのは、もう大人になって、どこまでも行きたいところへ行けるからだろう。その気になれば車に乗って、晴れている場所まで行くことができる。大人でよかった。
 自分の子どもたちは、あの世界中ハリボテの日を、これから何日味わうことになるのだろう。そう思うと不憫。
 入園式が終わって駐車場に戻ると、どの車にも散り落ちた桜の花びらが、何枚も張りついていた。汚れているようでも、それはそれで味わいかと思ったら、置き場が悪かったのか、私の車だけ花びらでなくて、枝みたいなものに覆われていた。
 桜、桜、桜、枝。
 ナイスボケだ、私の車。
 そういえば、学生時代、走行中に突然バッテリーのあがった車をその場に路駐したまま一ヶ月ぐらい放っておいた後、バスに乗って見に行ったら、全身落ち葉に覆われてベトナム戦争の偽装戦車みたいになっていたのを思い出した。

4月9日(水)

 本の雑誌のニック・ステファノスさんに会う。
 次回連載のゲラをもらい、書評する本を撮影用に預ける。
 その際、WEB日記を書いてみてはどうかと言われ、これを書き始める。
 二日前から書いてあるのは、区切りがいい四月一日まで遡ってそこから書こうとしたためで、それが一日じゃなくて七日から始まっているのは、そこまで遡ったけれどあとは面倒くさくなったからである。
 しかし、公表する前提で日記を書くのは思った以上に難しい。私がこれまで書いてきた本はどれもエッセイだから一人称で語っているが、たいていの場合自分をやや戯画化して書いているので、ネタは事実でも、本当の自分とはやっぱり違うのである。初めて会った編集者には、本の印象と違いますね、みたいなことを必ず言われるぐらいだ。
 だから、この日記は、どういう自分として書くのか、その立ち位置が難しい。とかいいながら、わりと素に近い感じで書き始めてしまった。今後どうなることか。

4月10日(木)

 一日じゅう小説を書く。
 もうずっと前からとりかかっている小説が、なかなか書きあがらない。
 雑誌に書いたことはあっても、いまだ一冊も小説を出版していないので、早いところ書きあげて本にしたいが、これが初めてにしてはずいぶんな長編なのだった。普通は最初に短編集でも出してこなれてから長編にとりかかるのが一般的かと思うが、私はどうにもこの話が書きたいので、最初から長くなってしまった。おまけにそんだけ書いて必ず出版されるという保証はどこにもないのだ。
 それなのに、エッセイ本を書き下ろさないかという、本になる保証付の依頼まで断ったり後回しにしたりして、書いている。経営戦略としてどうかと思う。
 まあしかし、かっこつけるわけではないが、自分の人生のハンドルを握るということは、そういう保証のないことをこそやるということだろう。先の見えない仕事こそ、やるべし。
 なんて、エラそうなことを言いながら、ふと気がつくと、パソコンでソリティアをやってたりするのは、何の呪いであろう。

4月11日(金)

 一日、仕事場。
 だんだん暖かくなってきたし、今日は久々に冷たいお茶を飲もうと思い、冷蔵庫を開けてペットボトルからマグカップにお茶を注いだら、そのペットボトルにまりも状の未確認物質が入っていた。ぼんわりと丸く、丸いけど輪郭の滲んだ何かが、ペットボトルに残ったお茶のなかで雲のように弾んでいた。あわてて流しに捨てる。も、ペットボトルの口をなかなか通らないほど大きい。去年の夏から育ち続けていたようだ。残りのお茶も全部捨てて、うっかり飲まなくてよかったと胸をなでおろす。
 その後しばらく机に向かい、それについてそのまま忘れてしまって、ふとまた何か飲もうと流しへ行ったら、排水口のゴムパッキンの上に、浜に打ち上げられたクラゲみたいなのがいて、おおっ、とうろたえた。すぐに思い出したけれども、どういうわけかさっきより少し大きくなっていたのも不気味だった。

4月12日(土)

 娘を寝かしつけるとき、なぜだか知らんが彼女は私の股間で寝たがる。私がこころもち足を広げて、そこにできる三角形の中で眠るのである。そのとき私の股間を枕にするので、偉大なる私がゴリゴリして痛い。父として我慢のしどころである。
 アマゾンで頼んでいた『飛行の古代史』(ベルトルト・ラウファー著)とどく。

4月13日(日)

 子どもを連れて府中市郷土の森公園のプラネタリウムへ行く。一度来て、ハマり、今回二度目。産経新聞で書いているサブカルに関する連載で書くつもりで、取材も兼ねて。
 今まで、プラネタリウムなんざしゃらくさいと思っていたが、最近は星を見せるだけでなく、全天スクリーンでCG映像を見せるので、それがリアルで癖になりそうである。ああっ、飛んでる飛んでる、って本当に宇宙を旅しているような感覚。遊園地によくある、スクリーンの前で椅子が動くライドなんかよりはるかにリアルだ。
「ねえ、これホントに動いてんの?」と息子。
「一回動いたよね」と娘。
「ああ。今度これに乗って大阪帰ろう」
「え、これで帰れんの?」
「……」
「ねえ、これでホントに帰れんの? ねえ」
 言ってみただけだ。聞き流せ、息子よ。
   
 帰りに、息子がどうしてもボウリングしたいとごねるので、1ゲームだけやることにする。ボウリング場内に入った瞬間、場内にカコーン、カコーンという音が響いていて、虚しい気分になる。なぜカコーンが虚しいのか考えるに、あの景気のいい乾いたカコーンは本当は大空が似合うのに、窓もない屋内に閉じこもっているからではないか。
 大空に届かぬカコーン。

4月14日(月)

 ラジオの収録で自由が丘へ。
 約束より1時間半ぐらい早く、スタジオ前に着き、まさか今から入っても迷惑だろうから、自由が丘を歩く。
 午後に何かひとつ予定が入ると、その日一日仕事する気がなくなってしまうのは私の悪い癖で、かといって何か他にしたいこともないから、途中寄り道しながらだらだら行くつもりでさっさと家を出たはいいんだけど、とくに寄り道したい所が見つからないまま、超前倒しで現地着。ということが多々ある。
 自由が丘には、初めてかもしれないので、散策しがいがあると思ってきてみたが、建物ばかりで見るところがなかった。こんなに込み入ってて空が小さくては、住んでる人もきついだろう。なんて、くさしながらも、清潔でのんびりできそうなカフェがあれば、それはそれで入ってみたくもあり、うろうろする。だが結局、九品仏の浄真寺参道ベンチで、コンビニで買ったペットボトルを飲んでカフェのかわりにする。こういうことも多々ある。
 ラジオは、バイオリニストの葉加瀬太郎氏の番組にゲスト出演。
 葉加瀬氏は、私の本を読んでくれていた。以前有名な芸能人のラジオに出たとき、まったく読んでないのがその話ぶりからわかってしまい、しかも会話もいかにも仕事だから話しているのが感じられて、グレそうになったことがあったが、葉加瀬氏は私の話に、くだらねえー、なんて笑いながらツッコんでくれて、感激である。おかげで話はますますくだらない方へ流れ、充実した。
 年をきくと自分より下だった。意表。貫禄で全然負けている。
 考えてみると、これまで貫禄で誰かに勝ったことなど一度もない自分なのだった。

4月15日(火)

 朝日新聞夕刊に高野秀行さんと連載している往復書簡の原稿書き。締め切りはまだ一ヶ月ぐらい先だが、短期連載なので、さっさと全部書き上げてしまおうという魂胆。

4月16日(水)

 午前中は、持病のため定期的に通っているかかりつけの病院へ。
 ついでに少し寄り道して、南阿佐ヶ谷の書原へ行ってみる。むかし阿佐ヶ谷に住んでいたことがあり、当時何度も通った本屋である。こだわりのある本を多く置いているので気に入っている。
『西国坂東観音霊場記』金指正三校註(青蛙房)を買った。最近、寺や神社の縁起話が気になっていて、これは西国と坂東の三十三観音霊場の縁起が全部載っているという、まさにそのものズバリの本。
 縁起話が気になるようになったのは、三年ぐらい前、大阪岸和田の蛸地蔵で、すごい縁起絵巻を見せてもらったのがきっかけだ。それは、海から現れた蛸の軍団が、墨を光線のように吐きながら雑賀衆と戦うという冗談みたいな内容で、そのSF的馬鹿馬鹿しさにしびれたのだった。考えてみれば、国宝の「信貴山縁起絵巻」でも、鉢が米俵を乗せてUFOみたいに空を飛んだりしており、国宝→UFOという落差に心打たれる。私はそういう権威のあるもののなかに混じる腰砕けなものに惹かれるという込み入った嗜好がある。ひまなときにこの本をチビチビ読んで、突拍子もない話を探そうと思う。
 午後は散髪。美容師さんの話によると、白髪はたいてい右側に多く生えるそうだ。理由はわからないけれど、経験上統計的にどうしてもそうなのらしい。利き腕か何かの影響だろうか。今後人に会うときは、なるべく左側から接近しようと思う。
 その後また、近くの本屋で本を買う。総額で一万円越えれば無料で郵送してくれると思い込んで、この際だからとドカドカ購入したところ、無料なのは一万五千円からと言われ、今さら五千円買い足すのもしゃくで、泣く泣く重たい本を持って帰った。
 買ったのは、『ヨーロッパをさすらう異形の物語(上・下)』サビン・バリング=グールド著(柏書房)など。

4月17日(木)

 寝坊。朝起きて、めし食って、いざ仕事場へ出かけようとして、マンションの前で幼稚園バスから降りてくる息子と娘に出くわす。他の子のお母さんに、今からお出かけですか、とうらやましがられる。いや、うらやましがられたのではないのか。
 仕事場について、小説書き。
 突然携帯が鳴って起こされる。
 いつの間にか寝ていた。
 電話はいつもお世話になっている某雑誌の編集長ジョン・カーターさんからで、朝日新聞に連載中の往復書簡の感想。もっと弾けたほうがいい、とアドバイスをいただく。ジョン・カーターさんはいつも私を気にかけてくれてありがたい。と同時に、ちょっと凹む。
 自宅に戻ってから妻に、ジョン・カーターさんにおとなしすぎるって言われたよ、と報告すると、妻にも、わたしも読んでそう思ったとダメ押しのように言われ、ますます凹む。ジョン・カーターさんの段階では、よし次はがんばろうという気持ちだったのが、夕方には暗黒星雲に覆われたような気持ちに。

4月18日(金)

 往復書簡、書き直し。
 娘が、はやくも幼稚園バスの中でよその子を泣かせた。一緒に通園している息子によると、「○○ちゃんの鼻の穴に指突っ込んだ」とのこと。ウケると思ったらしい。
 娘は、性格がおてんばというか、天真爛漫というか、まあかわいく言えばそうなのだけど、実体はそういう純真無垢な感じというより、ウケを狙うタイプであって、家でもよく変な顔をあれこれ試したり、おちんちんナントカ! とか叫んだりしている。たぶん鼻の穴に指突っ込んだのは、彼女なりのサービスだったはずだが、○○ちゃんには理解されなかったのだろう。

4月19日(土)

 息子のサッカースクールを見学にいく。
 自分からスクールに通いたいと言ったくせに、息子は溌剌と楽しんでいるように見えなかった。なんとなく取り残されているようでもある。友だちのH君やT君はコーチに筋がいいなどとほめられていたが、息子は何も言われなかった。
 シュートをはずしては天を仰ぎ、ああ、もういいや、どうだって、とふてくされた態度で歩く姿を見ていると、うりゃあ、もっと本気でぶつかっていかんかい! と男親として苛立つけれど、なんだか息子にすまないという気持ちも同時に湧いてくる。
 息子はサッカーがしたいんじゃない。ただ友だちと走り回りたかっただけなのだ。そしてそれができる場所が、サッカースクールしかなかったのである。
 これまでの人生で一番楽しかったのは、友だちと近所のドブで遊んだこと、と息子は妻に言ったそうだ。家族旅行で海とかキャンプにも連れていったのにドブかよ、と思うものの、自然のなかで友だちと無茶苦茶したいという気持ちが満たされたのは、きっとそのドブだけだったのだろう。
 そのあと妻はまたドブへ連れて行ったようだが、ほかの子たちはみな二度とだめと言われたらしく、二度目のドブに入ったのは息子ひとりだったという。物足りなく、虚しかったにちがいない。
 そんなことを思いながら、ずっと息子のシュートを見ていた。

4月20日(日)

 子どもたちを連れて、宮が瀬ダムにあるあいかわ公園へ遠出した。
 自宅から車で一時間以内に行ける大きな公園は、もうほとんど行き尽くした。同じ公園に何度も行くと、子どもからクレームがくるので、遠めの公園でも、面白そうな遊具があったり評判がよかったりすると、行ってみるようにしている。あいかわ公園には、迷路型の遊具があり、息子も気に入ったようだ。迷路好きの私にも響くものがあった。しかし大人になって子どもの遊具で遊ぶと、乗り越えるところはいいが、しゃがんでくぐるところが邪魔くさい。
 天気は曇りがちでときおり小雨が降ったが、木々がいっせいに芽吹いた山は、もこもこと明るく、空気を入れて膨らましたかのようだった。少しぐらい雨に濡れてもそれがどうしたと、おおらかな気分になった。

4月21日(月)

 一日中、仕事場で小説を書く。

4月22日(火)

 平塚市美術館まで、はるばる電車を乗り継いで、村田朋泰展「夢がしゃがんでいる」を観にいく。
 以前、六本木の国立新美術館でチラシを見て、これは是非行こうと思ったのだった。チラシには「夢の観光地 三ノ函半島一泊ツアー」とのコピーがあって、三ノ函半島とは「かつて世界が三つの函だった頃の面影が今でも色濃く残る場所」なのだそうだ。世界が三つの函だった? なんだかわけわかんなくて素敵だ。そういう、架空の場所を立体的に紹介するという企画が、私の”架空の場所”フェチ心を、強く揺さぶる。そもそも半島という言葉だけで、すでに私は萌えた。
 内容も期待にたがわぬ架空の場所っぷりで、立体アニメーション作品も素晴らしかった。休憩用のベンチのところに置かれてあった巨樹のジオラマにも心惹かれた。自分もいつか、架空の場所を多角的に表現するような小説を書いてみたいと思った。ただ、昨今の”架空の場所”は、昭和のノスタルジーに引きずられ過ぎではないかという感じが少しあった。
 
 美術館を出たあと、せっかく平塚まで来たのだから海でも見に行こうと駅の南側へ出たら、地図では近いくせに海なんかどこにも見えず、気持ちがくじけそうになった。ところへバスが来て、西海岸行きと書いてあったので、それに乗った。西海岸は知らないが、海岸であろう。
 窓に流れる風景を見ていると、ああ、もうなんか、自分が今関東の一画に住んでいるのは、違うのかもしれない。もうじっとしていられない、という気持ちがした。
 西海岸に到着してみると、そこは黒砂の海だった。湘南や三浦の海は、砂が黒くて今ひとつパッとしない。関東の海はやっぱり自分にはしっくりこない。上空をパラプレーンがブウウウウと飛んでいた。私もああいうので空を飛んでみたいが、妻に禁止されている。

4月23日(水)

 妻が息子の遠足に付き添いで出かけ、娘は幼稚園へ行って、朝っぱらから家にひとりになる。なんとなく開放感。
 家の窓からスットコランドを見ると、季節はぐんぐん加速していて、つい先日まではピンク色が優勢だったのに、今は大部分が黄緑になっていた。
 そういえば子どもの頃、黄緑とピンクの組み合わせがなまぬるくて嫌いだったことを思い出す。そうか、黄緑とピンクは春の色だったんだな、と今さらにして気がついた。たしかに子どもの頃の私は春が嫌いだった。夏や冬のようなシャープさに欠け、秋の凛とした空気感もないから。
 その気持ちはたぶん今も変わっていないはずなのだが、おっさん化により、体のほうはなまぬるさを求めているようで、気がつくと春を喜んでいる自分がいる。いつしか黄緑とピンクの組合せにも抵抗がなくなっていた。
 ちなみに、むかし好きだった色の組み合わせは、白と緑と紫の三色が、渦を巻いているというもの。今は全然ピンとこない。

4月24日(木)

 知人から抗うつ剤を飲み始めたというメールがきて、え、あの人がうつ? と意外に思うと同時に、あの人がうつなら、私なんかもっとうつだろうと思った。昼間なかなか仕事できないのは怠け病かと思っていました、と書いてあって、なに怠け病? そういうことなら私もまず間違いない、と確信のようなものを得た。
 この日記を書くにあたり、作家の日記をいくつか読んでみて、結局面白いのはうつの人の日記だと思ったのは、自分もそうだからなのかもしれない。
 私がこれまでに読んだ日記文学ベストワンは『日の移ろい』島尾敏雄著(中公文庫)である。
 
 ところで、唐突に思ったのだけれど、よく芸能人なんかが、むかし虐められっ子だったなんてカミングアウトすることがあるけれど、あれにはどうにも鼻白むものがある。
 なぜなら、そんなのは私だって同じであり、たぶんAさんもBさんもCさんもみんなそうだからである。若いときは、程度の差はあれ、誰でも自分は虐められている、不当な扱いを受けていると思っているもので、なおかつ、みな実際に虐められてもいるのであって、大人になって平気でカミングアウトできるぐらいなら、そんなのは特別視するに当たらない。むしろ、自分は虐めっ子でもあったはずだ、と認識するほうが大事だと思うのだがどうか。

4月25日(金)

 宝塚線脱線事故から三年。
 追悼慰霊式があったことを新聞で知る。
 事故に遭遇しながら、幸い大した怪我もなく、精神が鈍感なせいか、PTSDのような症状も出なかった私だけれど、今でも電車は前3両には決して乗らないようにしている。どういうわけか、いまだ電車より、飛行機のほうが怖い。
 健保の健康診断の申込書が自宅に届いていて、単に申込書がきたというそのことだけで、なんとなくビビる。飛行機と健康診断には、平然と対処できない。
 今朝、娘が幼稚園に行きたくないと泣いていた。虐める子がいるから、とのこと。そのせいで、仕事場へ行っても、ついつい子供たちのことを考えてしまった。

4月26日(土)

 仕事場へ行って、今後のことを考える。新たな連載の依頼がきていて、それは大変ありがたいのだが、ギャグエッセイは最近あんまり書く気がしない。それより今書きかけの小説に没頭すべきではないか。
 目先の金欲しさで、つい引き受けてしまい、毎月それを書くのに予想以上の時間がかかって、ますます小説の完成が先送りにされるという未来図が容易に頭に浮かぶ。決して安請け合いはしまい、と断わるつもりで編集者に会い、会った瞬間に、このたびは本当にありがとうございますと、サラリーマン風の笑顔で快く引き受けている自分が見える。受注できるものは何でも受注してしまおうというさもしい癖は、むかし取った杵柄というべきか。
 あーあ。
 ガタガタ言わんと、あっちもこっちも全部まとめてどーんと書いたらんかい! という謎の声が、プレアデス星団の彼方から聞こえた。

4月27日(日)

 妻と息子と娘が、息子の足のむくまま、どこにでもどこまでも歩いていく散歩に出かけた。私はひとり仕事場で仕事をしながら、歩いていける範囲などたかが知れていると思いつつも、ひょっとしてホビットの村とかナルニア王国とかに行ってるかもしれない、自分もついていけばよかったと後悔した。
 さらに突然、頭にクイッサス・ハデラッハという言葉が浮かび、それがいったい何なのか思い出せず悶々とした。仕事場には、うっかりネットサーフィンなどしてしまわないよう敢えてインターネットを引いていないため、家に帰って早く調べたくなった。そんなこんなで全然仕事に集中できなかった。
 一応、先日のプラネタリウムのことを新聞連載用に書いたが、プラネタリウム凄かった、という単なる素人の感想になってしまい、頭を抱えた。しかしいくら考えても、それ以上べつに言いたいことはなかった。そのまんま送ろうと思う。
 帰宅後、クイッサス・ハデラッハを検索したが、インターネットはそんなもん知らんとのこと。

4月28日(月)

 Q社編集のテナーさんと吉祥寺で連載の打合せ。
 ギャグ紀行エッセイなら勇気を出して断ろうと思っていたのだが、取材費をくれるというので、心グラグラに揺れる。
「でも、海外に行くとなると、少なくとも一回ン万円ぐらいはどうしてもかかりますよ」
「ええと、ン万円ぐらいまでなら、なんとか出せるんじゃないかと思います」
 え?
 心、倒壊する。
 しかも、ギャグにそこまでこだわらなくていいと言われ、そんな自分でも赦されるのかと、大きな光に包まれたような、ほとんど洗脳されたような脳波状態になり、気がつくと、言われるがままに、床の間に置くと運勢がたちどころに上向くという壷を購入していた(ウソ)。
 さっそく検討に入る。
 もしこれから紀行エッセイをやるとなると、何をテーマにするべきか。これまでのように、ジェットコースターだの巨大仏だのベトナムの盆栽だのといった、好きなモノ、気になるモノを追いかけて書くスタイルに少々食傷気味なので、少しちがった観点でやってみたい。それについては実はアイデアがあるのだが、いまだ焦点が曖昧な感じで、よし、これでいける、というところまで煮詰まっていない。形のうえでは、中国や台湾、韓国そして日本といった漢字文化圏をめぐる旅なわけだけれど、そこでこんな旅をしたいというイメージを、言葉でうまく表すことができないのだ。強いていえば、ある種の風景を探す旅だが、その、ある種の風景とはどんな風景なのか、が言葉にできないでいる。写真家なら、こういう感覚をうまくすくいとるんだろうな。
 そうだ、そういうことなら、急きょ恵比寿の東京都写真美術館へ行って場の雰囲気にのまれ、自分のクリエイティブセンスまで上昇したかのような錯覚をテコに、じっくり考えてみようと思ったら、着いてみると館内が真っ暗で、定休日の札が立っていた。シャットアウト。
 こざかしいことグダグダ言ってないで、文化的考察とか、役に立つ情報とか、現地の人々とのふれあいとか一切なく、読んだ人が、これ現地行ってないでしょ、と思うほど、中身スカスカの究極的にくだらないおバカ旅行記を書け、というお告げではないか。
 Don't Think! Eeeeeeel.(考えるな、うなぎだ)
 
 ところで、昨日のクイッサス・ハデラッハは、クイサッツ・ハデラッハではないか、と本の雑誌のニック・ステファノスさんに指摘され、調べてみたところ果たしてそうであった。映画『砂の惑星』に出てくる救世主の名前である。ずっとむかしに観たのだが、妙な語感により、意味は忘れても単語だけ私の深層にもぐりこんでいたようだ。ニック・ステファノスさん、なぜそんな瑣末すぎるネタを知っているのか。侮れん。

4月29日(火)

 ゴールデンウィークをどうするか。というのは、毎年悩ましい問題だ。
 物書きに休日も平日も関係ないし、そこらじゅうの観光地が混雑しているときにわざわざ出かけるのもアホらしいのであって、私としてはゴールデンウィークこそあくせく働き、世間があくせくしているときに休みたいわけだけれど、現在子どものカレンダーがわが家の法なので、法に則り今日は海へ行くことに。海のそばで生まれ育った妻は、いつも海が見たい海が見たいと念仏のように唱えており、いい加減ガス抜きしなければまずいことになりそうな危機感もあった。
 
 関係ないけど、妻の記憶にある海は、砂浜にカブトガニがごろごろしていたというから驚く。ほんまかいな。
 博多の近くなのだが、昭和の時代にそうだったということは、元寇の頃はカブトガニで埋め尽くされていたであろう。去年、興味があって元寇に関する本をたくさん読んだが、モンゴル軍がカブトガニを蹴散らし蹴散らし上陸したとか、竹崎季長が咄嗟のアイデアでカブトガニを盾にして難を逃れたグッジョブ、みたいな記述がまったくないのはどういうわけであろう。一度「蒙古襲来絵詞」にカブトガニが描かれていないか、じっくり見てみたいものだ。
 
 さて、日帰りなので、家からあまり遠くない海ということで、大磯まで車を走らせる。
 途中、川の上に夥しい数の鯉のぼりが揚げられているのを見た。それだけでも印象深かったが、その川の横に、忽然とひとつだけ高層マンションが建っているのがなんとも奇妙だった。それがまた共産圏のアパートのような色合いで、昔マケドニアの首都スコピエでホテルを探したときの光景が頭の中にフラッシュバックする。そういえば以前ここを通ったときは、川原にデコトラが大集結していて、宵闇にビカビカ光っていた。まるで宇宙を見下ろしているかのようだった。そういう、非日常に突然引きずり込まれるような風景が、私は好きだ。
 やがて海に近づくと、なんと、こないだ平塚からバスで行った西海岸に出て、一週間の間にこんなところに二度も来たか、とおかしくなった。
 そうして大磯のビーチで子供を遊ばせた帰りしな、今度は行きとは違うルートで帰ったところ、いい感じの川原があったので、車を停めて散歩した。たいして広い川ではなかったけれど、対岸に緑の丘陵が低く連なり、川原には菜の花が咲いて、宮沢賢治の命名した北上川のイギリス海岸がたしかこんな景色だったと、旅情豊かな気分になる。
 川原で数家族がテントを張っていて、みな顔はおおむね日本人なのに、スペイン語かポルトガル語をしゃべっていた。露出度の高い服を着たおばちゃんが、旦那の膝に座っている。さすがラテン系、その年でそんな格好で旦那の膝に座るか、と感心しつつ、広場でゲートボールをやっているほうをちらっと見たら、ゲートボールでなくてペタンクだった。旅情豊かすぎ。どこなんだ、ここは。
 マケドニア→西海岸→イギリス→南米?
 一日で世界一周したような、そんな昭和の日であった。

4月30日(水)

 娘泣き喚き、幼稚園登園を頑として拒む。妻、それを胴上げのようにワッショイワッショイと幼稚園バスに放り込む。
 四月は、そこらじゅうで、似たような光景が繰り広げられているようだ。制服に着替えない子供を、制服ごと投げ込んだりする親もあるらしい。バスの中には自動的に制服を装着させる機械があるのだ。
 そんなわけで、園バスの窓から、ピンク・フロイド「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール パート2」が大音量で漏れ聴こえてくるような、のどかな朝であった(ウソ。本当は、心張り裂けるようだった。がんばれ、娘!)。
 
 伝書鳩が鳩の帰巣本能を利用しているのだとすると、返信はどうするのかという点が突如気にかかり、アマゾンで『伝書鳩〜もうひとつのIT』黒岩比佐子著(文春新書)を購入。
 同様に、温泉につかる雪国のサルは、温泉を出た後どうしているのか、という点も前々から気になっていて、冬のニュースでサルの映像が出ると熱心に見る。しかし、温泉をあがった後のサルが映ったためしはない。全身ずぶ濡れで、暖房もタオルもないのだから、凍死は免れないのではないか。大丈夫か、サル。気になる。

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