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   <title>目黒考二の何もない日々</title>
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   <title>８月２７日（水）</title>
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   <published>2008-08-27T00:33:59Z</published>
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   <summary>　新刊を探しに新宿へ。ジュンク堂で数冊買ってから紀伊國屋書店本店へ。すると新刊コ...</summary>
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      　新刊を探しに新宿へ。ジュンク堂で数冊買ってから紀伊國屋書店本店へ。すると新刊コーナーに、仙川環『聖母』（徳間書店）という本が並んでいる。先日、双葉社からも新刊が出たばかりだが、また新刊だ。このところ精力的な執筆ぶりである。

　実はこの作家、学生時代に本の雑誌でアルバイトしていた。それを知ったのは、某新聞社の記者と飲んでいたときで、２年ほど前になる。
「うちにいた記者が、もう辞めましたけど、作家になっているんです。学生時代はおたくにいたらしいですね」とその記者が言ったのである。名前を聞いても私にはわからない。その段階でもう３冊は本を出していたのだが、読んだことがなかった。実はまだ読んでないんだけど。

　仙川環がアルバイトしていたのは、本の雑誌社が新宿５丁目のビルに入っていたころのことで、当時は編集部と、アルバイト諸君が毎日つめていた総務営業が別々のフロアだったから、社員のことは覚えていてもアルバイト諸君のことまでは覚えていないのだった。もっとも編集部にいた吉田伸子に尋ねると、彼女はしっかりと学生時代の仙川環を覚えていたから、私がぼんやりしていただけなのかも。関西の理系の大学院に進んだことも吉田伸子は覚えていた。仙川環はその後、新聞社に入社し、『感染』で小学館文庫小説賞を受賞して作家になったわけだが、後日その話を池上冬樹にしたら、小学館のパーティで仙川環と会った彼が飲み会に誘って、先月池林房に現れた。

　顔を見ても思い出さなかったけど（もともと私、数回会っただけでは顔を覚えられないのである）、来る人ごとに「彼女はね、学生時代にうちにいたんだよ」と自慢げに話すと、「覚えていなかったのに」と言われてしまったが、なかなか酒も強く、話も面白く、気持ちのいい酒宴だった。

　紀伊國屋の新刊コーナーで『聖母』を見た瞬間に、その飲み会のことを思い出したが、『聖母』の帯に顔写真が付いているのが目にとまったので、本を手に取ってみた。お前、これはやりすぎだろ。

　よくありますね。いちばんよく撮れた写真を使うってこと。いつだったか、某新聞の日曜版かなんかに書評家３〜４人がブックガイドを寄せたとき、大きな顔写真が一緒に載ったのだが、吉田伸子の写真だけが異常に綺麗で驚いたことがある。吉田伸子の顔が綺麗なのではなく、写真が綺麗なのだ。同じ紙面には私の顔写真も載ったのだが、そこいらにあったやつを適当に選んで送っただけだから、なんとなく全体がくすんでいる。それに比べると吉田伸子の顔写真は、いかにもプロが撮ったというオーラが漲っている。その紙面で彼女の顔がいちばん目立っているのである。

　あとで聞くと伊勢丹の写真館で撮った、ということだったので、よおしと私も早速行ってみたが、伊勢丹の写真館でもダメなものはダメで、それならと京王デパートの写真館までまわったことが今となっては懐かしい。

　ええと、何の話をしているのか。『聖母』の帯に顔写真が付いていたという話の続きである。誤解されないように書いておけば、仙川環は可愛い人である。形容に困ってそう言うのではなく、純粋に可愛い。しかし、『聖母』の帯に付いた顔写真は、美しいのだ。可愛いというレベルを超えている。ちょっとやりすぎだろと思ったのには、そういう理由がある。

　本を棚に戻してから、まてよと再度手に取って見た。やっぱりどうもヘンだ。もう一度、しみじみと見た。すると、その帯に某女優が推薦文を寄せていて、顔写真はその女優のものであることがようやく判明。最初にその顔写真を見たときは、これじゃ修正しすぎだろと思ったのだが、なんとなく彼女の面影があったので、疑わなかった。どうして疑わなかったのかなあ。第一、作者の顔が帯につくなんて、タレント本にはよくあるケースだが、小説本には少ないはずだ。

　遠目で新刊を見て、その帯に顔写真が付いているのを見て、それが細面の女性だったので、疑うことなく、彼女だと思ってしまった……ということだろう。記憶の中の彼女とは少し違っていたのだが、その段階では別人とは思わなかったのだから、先入観というのはおそろしい。いや、私がぼーっとしているだけかもしれないが。

      
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   <title>８月１９日（火）</title>
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   <published>2008-08-19T06:52:00Z</published>
   <updated>2008-08-19T06:52:42Z</updated>
   
   <summary>『色川武大・阿佐田哲也全集』というのがあった。福武書店から１９９３年に全１６巻で...</summary>
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      『色川武大・阿佐田哲也全集』というのがあった。福武書店から１９９３年に全１６巻で刊行されたものだ。後半の５巻が阿佐田哲也の巻で、その各巻の解説２０枚を私が書いた。合計で１００枚だ。そのうちの８０枚は、のちに『余計者文学の系譜』（角川文庫）に収録したが、短編をまとめた巻（これは収録作品まで私に決めさせてくれたので、楽しい仕事だった）の解題２０枚はそのときかぎりで、その後どこにも収録していない。パソコン導入前に書いた原稿も、すべてテキスト変換してハードディスクに入れたはずなのに、どういうわけかその原稿が私のパソコンにも入っていない。だから阿佐田哲也の短編群についてどういうふうに書いたのか、わからない。

　しようがねえなあと書棚を探したが、２時間格闘しても出てこない。出てきたのは、必要ないものばかりだ。たとえば、白井喬二『東遊記』。数回前の当欄に書いた島津書房版である。なんとなんと、買っていたのだった。そうなんですか、買っていたんですか。

　で、『色川武大・阿佐田哲也全集』は見つからなかったという話だが、それが今回の本題ではない。あるはずの本が見当たらないというのは珍しいことではない。よくあることだ。何気なく、ウィキペディアの阿佐田哲也の項を開いたのである。するとそこに、「１９４１年旧制第三東京市立中学に進学」とあった。えっと思ったのは、続けてそこに「現東京都立文京高等学校」とあったからだ。なんとなんと、私の母校である。

　阿佐田哲也が私の先輩だとは知らなかった。私が東京都立文京高等学校に入学したのは１９６２年で、阿佐田哲也の２１年後だ。戦前と戦後では校舎も変わっていたかもしれないから、同じ学舎で学んだわけではないかもしれない。しかもウィキペディアには「ガリ版同人誌をひそかに発行していたことが露見し、無期停学処分を受ける」とあるから、阿佐田哲也にとって文京高校は一時期、ほんの少しだけ在籍したことのある学校にすぎない。いや、それだけの話なんだけど。
      
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   <title>８月１２日（火）</title>
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   <published>2008-08-12T00:34:27Z</published>
   <updated>2008-08-12T00:35:18Z</updated>
   
   <summary>　週末に競馬仲間と函館に行ってきたが、驚いたのは飛行機に乗るときにチケットのない...</summary>
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      　週末に競馬仲間と函館に行ってきたが、驚いたのは飛行機に乗るときにチケットのないことだった。幹事から、「ｅチケットお客様控」というのが送られてきて（これはどうやら航空会社からメールで送られてきたものを幹事が印刷して送ってくれたもののようだ。ようするに、ぺらぺらの紙である）、そこに「２次元バーコード」というのがついていて、それを「保安検査場」と「搭乗口」でかざせばいいというのである。こんなんで本当に飛行機に乗ることが出来るのか。チケットがないと、なんとなく不安である。

　それだけでも、いったいどうなっているのかわからないのに、さらにその数日後、幹事からメールがきて、航空会社から携帯にメールがいくのでそこにアクセスして２次元バーコードを画面メモに保存しろと言うのだ。で、「保安検査場」と「搭乗口」でその画面メモに保存した２次元バーコードを呼び出して、かざせばそれで飛行機に乗ることが出来ると言う。

　最初はてっきり方法が変更になったものと思ったら、違うんですね。先に郵送した「ｅチケットお客様控」に付いている「２次元バーコード」をかざすか、携帯の画面メモに保存した２次元バーコードをかざすか、どちらでもいいという。面白いので携帯をかざせば乗れるというやつも準備してみましたと幹事は言う。ふーん。

　携帯の画面メモに保存する方法も知らないので（そんなもの、使ったことがありません）、次男に聞いてやってみた。で、飛行場でそれを呼び出して、「保安検査場」に携帯をかざすと、ゲート番号の書かれたメモが出てくるのだ。「搭乗口」にまた携帯をかざすと座席番号の書かれたメモが出てきて、本当に乗ることが出来るのでびっくり。

　いつからこういうシステムになったんでしょうか。ずっと前から一部ではこうなっているのに、それを知らずに旧来のシステムでオレは乗っていたのか。だって昨年、小倉に行ったときは羽田−福岡空港を往復したのに、私、普通のチケットで乗ったのである。帰りの日、福岡空港から羽田に帰るためには小倉から博多に行かなければいけないのに、東京行きののぞみに乗ってしまって大あわてしたときだ。あのときは私一人で小倉にいき、現地で友人と合流したのだが、切符の手配もすべて自分でしたので、たとえ「２次元バーコード」システムになっていても、何のことやらわからなかっただろう。

　今回の競馬旅の幹事はコンピュータソフト会社を経営する男なので、こういうことは私の１万倍くらい詳しい。そうか、彼に聞いてみればよかった。今でも旧来のチケットシステムは残っているのか。まさかすべてが「２次元バーコード」システムになったわけではなく、併用だとは思うけれど、いずれはそうなってしまうのだろうか。航空機だけでなく、新幹線もそういうシステムになってしまうんだろうか。いや、いちばん可能性が高いのは、電車地下鉄などいま「スイカ」をかざして乗っているものすべてが携帯をかざすだけで乗れるようになることだろう。もうそうなっているのかどうか、実はよく知らないんだけど。

      
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   <title>７月１４日（月）</title>
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   <published>2008-07-14T01:06:49Z</published>
   <updated>2008-07-14T01:07:19Z</updated>
   
   <summary>　必要があって本誌バックナンバーの編集後記を読み返していたら、２０００年３月号の...</summary>
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      　必要があって本誌バックナンバーの編集後記を読み返していたら、２０００年３月号の後記に私が次のように書いているのが目に止まった。

「▼問題は、いくら探しても見つからない新刊だ。あまり見つからないものだから自分の記憶を最近は疑い初めている。というのは、どの雑誌で読んだのか忘れてしまったのだが、復刊シリーズが出るという記事を読んだのである。それが名著の復刊なのか、物語性の濃い作品の復刊なのか記憶も曖昧なのだが、私が購入しようと思ったのは、その第一回配本が白井喬二の長編だったからだ。すでにその第一回配本分は発売になっているという記事であった。それなら購入しないわけにはいかない」

「▼で、新刊コーナーに行くたびに白井喬二の作品がありそうなコーナーを探しているのだが、影もかたちもないのだ。その記事は本誌のゲラで読んだような記憶があったので確認すると、本誌にはなし。すると、どの雑誌で読んだのか、もうわからない。そのうちに、その記事は私の夢なのではないかという気がしてきた。実際には出てないものを私は探しているのではないか」

「▼夢なら夢でいい。はっきりしてくれればいいのである。それがはっきりしないと書店に行くたびにその幻の本を探してしまうので大変困るのである。どなたか情報をお持ちの方、教えて」


　この後記を読んで、おやっと思った事情についてはあとで書く。その前に、この翌月の４月号の後記もついでに引いておく。

「▼前号の後記で、幻の本について書いたら、たくさんの情報をいただいた。どうもありがとう。実は前号の下版直後に判明したのである。正解は、島津書房の白井喬二『東遊記』。どこでその新刊情報を読んだのかと思ったら、業界では有名なホームページ「銀河通信」であった。それはいいのだが、実はまだその本が入手できていない。それが心配だ」　　　　　　　　　　　　　

　おやっと思ったのは、その白井喬二『東遊記』（島津書房）を、今年の春に買ったばかりだったからである。新宿ジュンク堂の棚をずーっと眺めていたら、横田順彌責任編集、日本「奇想小説」コレクションの一冊として、この本があったのである。奇想小説コレクション？　そんな面白そうな企画があったなんて聞いてないぞ。で、あわてて買ってきたわけだが、８年前の後記を読んで今回気がついたことは、

（１）日本「奇想小説」コレクションのことをすっかり忘れていた
（２）白井喬二『東遊記』をその後も探さなかった
（３）書店の棚にその本を発見しても思い出さなかった

　という３点で、まったく情けない。ようするに私、本を探すことにそれほど熱心じゃないんですね。若いときは探している本の書名も手帳に書いて、その探書リストを持って古書店をまわっていたが、そういう人並みの努力を中年以降はしていないのである。ということは、いまの私が忘れているだけで、探そうと思った本がまだほかにもたくさんあるのかもしれない。

　気になるのは、この日本「奇想小説」コレクションがほかにも出たんだろうかということだ。というのは、『東遊記』の巻末に予定作品一覧があり、面白そうな書目がそこに並んでいるからだ。幸田露伴『宝窟奇譚』には、ハガードの名作『ソロモン王の洞窟』を文豪・露伴が舞台を北海道に移して描く異色作、という紹介がついている。読みたいよなあ。こういうのは、だいたい期待を裏切られることが多いんだけど、それを確認するためにも読みたい。

　その巻末に載っている広告を見ると、日下三蔵や北原尚彦の名前が収録予定作品の解説者としてあがっているので、彼らに聞けば簡単にわかるのかもしれないが、たぶん絶対に、彼らに尋ねることをそのうち忘れてしまうだろう。で、そのうちに、幸田露伴の何だっけなあ、読みたい作品があったんだよなあ、と思うようになるのだ。ま、いいんだけどね。
      
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   <title>７月８日（火）</title>
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   <published>2008-07-08T02:30:36Z</published>
   <updated>2008-07-08T02:31:21Z</updated>
   
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      　よしだまさしさんのネット日記を読んでいたらびっくり。その７月５日の項に、「目黒考二さんが若い頃に作った同人誌『星盗人』が某古書店の目録に載った。値段によっては欲しいと思っていたのだけれど、さすがに３１５００円では手が出ない。同人誌は発行部数が少ないから高くなるなあ」とあったのである。

「星盗人」は、本の雑誌の創刊前に、私が作っていたコピー誌「ＳＦ通信」（読書ジャーナル、目黒ジャーナルと何度もタイトルを変更したが、ようするに私の読書メモだ）がたった一度だけ刊行した増刊号で、Ａ５版タイプ印刷６４ページのもの。私の記憶が正しければ、製作したのは１５０部だ。椎名誠が『アド・バード』の原型となる短編「アドバタイジング・バード」を寄せてくれたのも、この一度だけの増刊号だったし、「北上次郎」の筆名を最初に使ったのはこの増刊号だった。

　ただし、同人誌ではない。個人誌だ。作ったのは私が二十代の半ばすぎのころで、父親が孔版印刷業を営んでいたから、原価すれすれで儲けなしという印刷代金とはいえ、費用は私が全部負担し、その代わり、掲載するかしないかの権限も私に所属するというシステムであった。つまり、つまらなかったら載せないけど、それでもよかったら原稿を書いてね、と知人に依頼して作ったのだ。同人誌は学生時代からそれまで何度か経験していたが、もう同人誌ごっこはしたくなかったのかもしれない。その気分は、それから数年後に本の雑誌を創刊するときにもずっと続いていて、定価は幾らでもいいから書店に置いてもらって未知の人たちに買ってもらおうと最初から考えていたのも、その延長だったのかも。

　二十代の半ばであるから、友人知人はせいぜい５０人。だったら製作部数は５０部でもいいのだが、５０部も１５０部も、代金にそれほど大差はないのである。じゃあ、思い切って１５０部作っちゃえとなったわけだが、これは無謀だった。いくらなんでも、全然興味を示さない人に渡すわけにもいかないから、どんなに配っても５０部くらいしか減らないのだ。つまり「星盗人」の１００部近くが余ってしまった。

　あれから四十年近くがたってみると、その１００部が１部もない。いや、１部くらいならどこかにあるはずだが、最近見かけたことがない。なくなるもんなんですね。１００部残っていれば、１部３万で合計三百万かよって、そういう計算じゃないだろうが。

「本の雑誌」の創刊号を５００部と決めた理由の一つに、この「星盗人」１５０部がほとんど残ってしまったという経緯がある。１０００部や２０００部も作る勇気は、とてもなかった。１５０部でも余るのに５００部も刷って大丈夫なのかよと不安だった。「本の雑誌」創刊号５００部のうちの１００部は仲間うちでわけてしまったので、書店売りしたのは４００部だが、あのとき、見知らぬ人が４００人も買ってくれたのだ、と今さらながらに驚く。

　津野海太郎、鏡明の両氏が創刊号を買ってくれたと後日知ったが、それでもまだ３９８人の見知らぬ人が買ってくれたのである。すごいよなあその人たち。よくあのとき買ってくれたよなあ。素人の作った雑誌を金を出して買ってくれたそれらの人たちに、いま素直な気持ちで御礼を言いたい。あるいは買ったものの読んでみたらつまらなかったので捨ててしまったというケースも中にはあったかもしれないが、しかしちょっと面白そうだから買ってみようと手を伸ばしたあなたの好奇心が、間違いなく３９８個の好奇心が、「本の雑誌」を育てたのである。
      
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   <title>７月４日（金）</title>
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   <published>2008-07-04T01:00:16Z</published>
   <updated>2008-07-04T01:00:43Z</updated>
   
   <summary>　関東はとうの昔に夏競馬に突入しているが、関西はただいま開催中の阪神が終了しない...</summary>
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      　関東はとうの昔に夏競馬に突入しているが、関西はただいま開催中の阪神が終了しないと夏競馬に突入しない。つまり、７月の３週目から全国的に夏競馬が始まるのである。その夏競馬の開幕にあわせて、なんと３連単が全レースで発売になるらしい。おいおい。

　中央競馬の３連単の発売は９Ｒ以降に限られている。だから３場開催のときに３連単を発売するのは全部で１２レースである。それがなんと、秋競馬が開幕するまでの８週間の期間限定とはいえ、いきなり３６レースになっちゃうとは大変だ。

　そんなのに見向きもしなければいいんだけど、売ってると買いたくなる。競馬をやらない人には関係ないことだが、あなた、１００円が１０００万円になる可能性があるんですよ。それがこれまでは１日に１２レースしか売ってなかったのに、この夏は３倍になるわけです。つまり、悩みが３倍になるということだ。困るよなあ。

　と思っていたら、『外れ馬券に微笑みを』（ミデアム出版）の見本が届いた。週刊ギャロップに連載している藤代三郎名義のコラム「馬券の真実」を年に一冊、単行本としてまとめてもらっているこの「外れ馬券シリーズ」もこれで１４冊目だ。ということは雑誌の連載は１５年目に入っているのか。忘れていることが多いので、つい読みふけってしまって本日は仕事にならなかったが、よくこれほど失敗をしてきたものだと我ながら感心する。

　この本は来週発売になるのだが、版元に迷惑がかからない程度には売れてくれると嬉しい。そういえば６月には、双葉文庫から北上次郎『冒険小説論』が出た。日本推理作家協会賞受賞作全集77巻である。この元版は１９９３年に出ているから、なんと１５年前に出た本だ。５月には、大森望との共著『読むのが怖い！　帰ってきた書評漫才〜激闘編』が出ているから、５〜７月の３ヵ月連続で私の本が出たことになる。こんなこと初めてだ。もちろん今年はもう何も出ません。
      
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   <title>６月１３日（金）</title>
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   <published>2008-06-13T03:57:28Z</published>
   <updated>2008-06-13T05:06:04Z</updated>
   
   <summary>　車のナンバーを見るのが癖になっている。交差点で信号の変わるのを待っているとき、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/koushin/meguro_n/">
      　車のナンバーを見るのが癖になっている。交差点で信号の変わるのを待っているとき、止まっている車のナンバーを見る。あるいはタクシーに乗っているとき、すれ違う車のナンバーを確認する。意識して見ているわけではない。いつも無意識に見ているのだ。だから「癖」なのである。ナンバーに「春日部」とか「習志野」とか地名が付いていますね。あれを確認するのである。

　たとえば近所の駅周辺に、自転車とバイクが大量に停められている。線路際がその駐車スペースになっていて、斜めにずっと停められているが、そこを歩くとき、一台づつ確認していくのである。もちろん圧倒的に「町田市」が多い。中に「青葉区」とか「八王子市」があるが、これはどちらも隣接している街だから、そういうバイクが停められていても不思議ではない。ところが中には、どうしてこんなところに停まっているの、というものがあるのだ。

　先日見かけたのは、「松山市」と「呉市」で、ええっとびっくり。そんな遠くからどうやってお前は来たの。こういうのを先に見てしまうと、「前橋市」が出てきても驚かない。えっ、前橋なのかよ、と驚きたかったという気がしないでもないが、こればかりは仕方がない。

　ずいぶん前、皐月賞を観戦しに中山競馬場まで早朝車を飛ばしたことがある。私が運転したわけではなく、知人の車に乗せてもらっただけだが、ＪＲＡの駐車場に停めて、正門に向かおうとしたら、「函館」ナンバーの軽自動車がその駐車場に停まっていたので、思わず足がとまってしまった。函館かよ。見て見て、と知人に言ったが、どうして私が感服しているのか知人には理解できなかったようだ。

「松山市」や「呉市」のナンバーをつけたバイクは、そこからいきなり町田にやってきたわけではないのかもしれない。ＪＲＡの駐車場に停まっていた「函館」ナンバーの軽自動車も、皐月賞を観戦しに北海道からやってきたとは限らない。たまたま東京か千葉にきた人が、その日中山を訪れたということも十分にありうる。他にもいろいろな事情があっても不思議ではない。

　しかしそういう遠い地のナンバーをつけたバイクや車を見かけるたびに、そこから延々とやってきたイメージが浮かぶのである。で、すごいよなあと勝手にため息をつくのだ。ええと、それだけの話なんだけど。
      
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   <title>６月５日（木）</title>
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   <published>2008-06-05T12:53:37Z</published>
   <updated>2008-06-05T12:54:08Z</updated>
   
   <summary>　私の実家は池袋から歩いて２０分ほどのところにある。池袋駅を背にして西口に降り立...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://column.webdokusho.com/koushin/meguro_n/">
      　私の実家は池袋から歩いて２０分ほどのところにある。池袋駅を背にして西口に降り立つと、右前方に伸びているのが東上線。左前方に伸びているのが西武池袋線。その東上線の大山という駅と、西武池袋線の東長崎という駅を線で結び、池袋西口を背にしてまっすぐ前方に引いた線の交わったところに、私の実家はある。

　ようするに、どの駅からも遠い。したがって高校時代は池袋までバスに乗っていた。そのバスに乗ると約１０分。で、先日、実家に行く用があったので、実に久々にそのバスに乗ったのである。２５年ぶりか。当時とは池袋のバス停留所の位置も変わっていたが、これはすぐにわかる。
　問題は、実家の近くにあった停留所の名前である。いくら考えても思い出さない。まあ、近くに行けばわかるだろうと、とりあえずそのバスに乗ってみた。バスは大通りから狭い道に入り込んでいく。方角はいいのだ。間違いなく実家の方にむかっている。しかし、こんなに狭い道だったのか、とびっくりするほどの道をバスは走っていく。その道幅は、私の記憶の半分しかない。
　夜なので外の景色がよく見えない。記憶を振り絞る。「水道タンク裏」というバス停留所名だけは記憶にあるが、ほかの停留所名はまったく記憶にない。そろそろ、実家の近くなのだが、こんな名前じゃなかったよなと降りずにいると、バスは右に曲がっていくのでようやく通りすぎたことを知る。さっきの停留所でよかったのだ。結局、一つ先の停留所で降り、戻ることになったが、そのバス停まで戻っても、その名前は記憶にない。本当にこんな名前だったのだろうか。

　先週、池袋で読売新聞の取材を受け、夏目書房で撮影したあと、しばらく西口付近を歩いたが、街の風景が変貌していることに驚いた。高野書店がもはやないことは知っていたが、近藤書店までないとは知らなかった。大学生のとき、麻雀で大勝ちしてすぐに萩原朔太郎全集を買ったのは近藤書店だ。大通りは変わってないが、そこに面した商店がほとんどといっていいほど様変わりしているのだ。
　実家近くの家々の風景も、私の記憶とはまったく違っていた。すぐ近くに鬱蒼とした木々のある一角があり、そこを「森」と私たちは呼んでいた。その近くの豆腐屋を「森の豆腐屋」と呼び、パン屋さんは「森のパン屋」と呼んでいた。ところが今回、訪ねてみると、これが森なの？　と驚くほど、普通の木が一本あるだけだった。たしかに大きな木ではあるけれど、森というほどのものではない。
　近所の家も建て直したのだろう。大半の家が見知らぬ家になっている。実家の前は駐車場になっていたからびっくり。そうか、Ｎさんは引っ越していったのか。さらに住宅街だというのに、手打ち蕎麦の店があったので驚いてしまった。その場所に住んでいたのは誰さんだったのか、名前を思い出せない。

　その手打ち蕎麦の店の前の路地で、小学生の私たちはローラースケートに興じたのである。一日中遊んでいても、車は滅多に通らなかったので、路地は私たちの遊び場だった。そうだ。森の真下に、紙芝居のおじさんがやってきて、みんなで駆けていったことを思い出す。母親から貰った50銭を持っていくと、「ぼうや、それは使えないよ」とおじさんに言われ、泣きながら帰ってきたことを思い出す。でも母親に言えず、土間の入り口に佇んでいたら、どうしたのと母親が振り向き、わけを話すと、かあさんは悲しそうな顔をした。そうか。あれは私がまだ小学校にあがる前だ。
「じゃあ、オレが言ってやる」と小学生の兄が、紙芝居のおじさんに交渉して、５０銭でせいべいを買ったことは覚えている。そのとき、どんな紙芝居をやったのか、そういうことはまったく覚えていないが、土間で母親が掃除をしていて、その後ろ姿を見たら何も言えなかったこと、紙芝居のおじさんとの交渉がうまくいったときの兄の得意満面の顔。そういうことは覚えている。ほかのことは全部忘れても、そういうことを覚えていればいいか、と思いながら、バスに乗って帰ってきたのである。

      
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   <title>５月１９日（月）</title>
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   <published>2008-05-19T00:33:39Z</published>
   <updated>2008-05-19T00:34:11Z</updated>
   
   <summary>　週刊朝日に連載中の嵐山光三郎「コンセント抜いたか」は愛読しているコラムだが、そ...</summary>
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      　週刊朝日に連載中の嵐山光三郎「コンセント抜いたか」は愛読しているコラムだが、その５月９日号に、あるパーティで出版業界の先輩から「６０歳をすぎたら原稿執筆依頼なんか来ねえぞ」と言われたエピソードが出てくる。その出版業界の先輩とは、「週刊女性」の編集にたずさわったり、「家庭画報」を創刊し、プレジデント社の社長になり、エッセイや小説も書いた諸井薫である。
　諸井薫さんは嵐山さんより１１歳上で、「俺がそうだった。俺だけじゃない。ＮＡだってＹＪだって、みんな、仕事が来ねえんだ」と言ったそうだ。

　そのとき、嵐山光三郎さんは５９歳で、月刊誌５本、週刊誌３本の連載を持ち、テレビ番組のレギュラーもあって結構売れていたが、そう忠告されたので用心ぶかく、そーっと６０歳を迎えたものの、６１歳になっても６２歳になっても、さしたる収入減にはならなかったという。
　変化が現れたのは６３歳からで、６４歳、６５歳と仕事の量が減り、６５歳のときの収入は５９歳のときの半分になった、と書いている。

　いろんな先輩作家と会うたびに、「いくつぐらいからビンボーになりましたか」と尋ねると、「６５歳」という答えが多く、「６５歳になると、原稿を注文されても書く体力がなくなるし、性欲、金欲、表現欲がなえるんだ」というのも興味深かったが、変化が現れたのは６３歳からだったというくだりがいちばん印象に残る。
　というのは、私、今年で６２歳になるからである。おお、あと１年じゃん。本人はまだまだ若いつもりでいるが、６２歳といえば、おじいちゃんだ。そんな歳になったとは信じられないが、これから仕事が激減するとは複雑な感慨がある。

　もっとも収入が半分になったというのは、月刊誌５本、週刊誌３本の連載を持ち、テレビ番組のレギュラーもあった人の場合であって、つまりもとが大きい人の場合なのではないか、という気がしないでもない。書評家の収入などはたかがしれている。もとはかなり小さいから、これが半分になったら大変だろう。

　いや、仕事は減らないと言っているのでない。やっぱり仕事は減るだろう。どんなジャンルでもどんどん世代交代していくものであるから、書評家だって例外ではない。オイルショックのときに各誌から書評ページがいっせいになくなったことがあるように、歳を取らなくても仕事の場が失われることは今後も十分にあるけれど、歳を取れば確実に仕事は減っていくのである。

　しかし、その境目が６３歳であるとは知らなかった。まだ３０代や４０代の人、あるいは５０代前半の人にとって、６３歳というのはおそらく遙か彼方の出来事で、「そんなの全然先のことだろ」と実感がないに違いないが、私にとってはとてもリアリティのある年齢なので、うーむうーむと深く感じ入ってしまったのである。

　ところで、ＮＡさんとＹＪさんって、誰のことなんでしょうか。

      
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   <title>５月１２日（月）</title>
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   <published>2008-05-12T00:52:33Z</published>
   <updated>2008-05-12T00:53:49Z</updated>
   
   <summary>　千駄木往来堂書店と、神田三省堂書店のイベントは無事に終了。その神田三省堂書店の...</summary>
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      　千駄木往来堂書店と、神田三省堂書店のイベントは無事に終了。その神田三省堂書店のトークショーが終わって打ち上げの会場に向かおうとしたら、「これ、見本、出来たから」と大森望が差し出してきたのが、大森望と豊崎由美の共著『文学賞メッタ斬り！　たいへんよくできました編』（パルコ出版）。シリーズ第４弾。

　シリーズ第３弾の『受賞作はありません編』は、大森望と対談した折りにやはり見本を貰い、町田に帰ってくるまで読み続け、とうとう自宅に着く前に読了してしまった記憶があるが、読み出したらホント、止まらないのだ。

　私は、この二人とは小説の評価が食い違うことが多く、この本の中で語られる小説についても必ずしも同意見ではないのだが、しかし読み物としては最高に面白い。それは噂の真相を読んでいたときのように、業界裏話が面白いということが大きいが、もう一つ、理由がある。

　大森望とサイト誌で対談をやって８年になるが、その前から本の雑誌の座談会などで会っているから、長い付き合いになる。私の『笹塚日記　ご隠居篇』に寄せた原稿の中で、「目黒考二はとにかくわがままである」と大森望は書いているが、「ワガママ」というよりは「マイペース」と言ってほしいなという気はするものの、まあ、これは認めてもいい。しかし私のキーワードが「ワガママ」だとするならば、大森望のキーワードは「イジワル」につきる。

　唇の端を歪めて褒める（活字になるとそれが伝わらない！）ということ自体が、そのイジワルな側面を語っているが、しかしこの「文学賞メッタ斬り」シリーズになるとそれが俄然活きてくる。もともと批評というのはイジワルなものだから、どんぴしゃなのである。そうか、それでは「ワガママ」な私よりも、「イジワル」な大森のほうが正統的な批評家ということになるか。うん。たぶんそうなんでしょう。

　それにしても、もう４冊目だというのに飽きるどころか、もっと読みたくなるというのが不思議。年に１冊じゃ待ち遠しいんで、年２回刊にしてくれないかな。

      
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   <title>５月７日（水）</title>
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   <published>2008-05-07T01:05:29Z</published>
   <updated>2008-05-07T01:06:59Z</updated>
   
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      　６月末に仕事で某地に出かけるのだが、仕事が終わり次第、その日のうちに新幹線に乗ってもう一つの目的地に行くか、それともその日はその地で宿泊するか、それを決めたくて連休中に現地の知人にメールを出した。

　私を呼んでくれたのはその知人であり、彼に迷惑をかけてはいけない。ようするに彼の了承が得られれば、その日のうちに新幹線に乗って移動しようと思ったのだ。
　すると折り返し、彼からメールがきた。ずいぶん先の話をするのが好きだなあと彼は言うのだ。普通、６月末のことならば、６月中旬にならなければ話を具体化しないよ、と言うのである。で、こんなふうに書いてきた。　
　せっかちなのか、たんに予定を立てるのが好きなのか。計画が崩されることが怖いのか、対人関係に不安があるのか、すべて管理したいのか、思う通りに世の中を動かしたいのか（笑）、そのへんの深層心理、エッセイにでもしてください。

　そうかなあ。月末のことを中旬になってから決めるとは遅すぎるんじゃないの。それではホテルが満室になってしまいかねない。そうなのである。私が早く物事を決めるのは旅に関することだけだ。どのみち行くことが決まっているのなら、ホテルを押さえるのは早いほうがいいではないか。遅くする意味がなんにもない。
　私の知人に、そういう物事をなかなか決めないやつがいる。ただいまは地方都市に転勤中で、ときどき東京に遊びに来るのだが、日程が決まっているなら早くホテルを予約すればいいのに、いつもぎりぎりまでしないのである。何とかなりますよ、というのが彼の癖だ。いつだったか、府中近辺のホテルがどこにもとれず、結局新宿のマンガ喫茶で夜を明かしたことがある。何とかなってないぜ。

　ずいぶん前、突然菊花賞の指定がハガキ抽選に当たり（当時はその連絡が来るのが数日前だった）、あわててホテルを探したことがある。電話をかけたのは浜本で、私は見ていただけだが、淀から大阪に向かって１駅ごとに電話しまくったら、寝屋川という町のビジネスホテルで空室があった。それを今でも覚えているのは、「窓のない部屋にしますか、窓のある部屋にしますか」と尋ねられたことで、浜本が受話器を押さえて、「どっちにします？」と聞いてきたからだ。その設問があまりに斬新だったので、これは忘れがたい。後年、三重県の競馬友達にその話をしていたら、「そのホテル、ぼくも泊まったことあります！」と言われたから、直前予約の客には有名な宿だったのかも。

　つまり、そういうことがあるから、ホテルは早く予約しておいたほうがいいわけだ。私だって、普段のスケジュール表で決めるのは１ヵ月先までで、それ以上は決めていない。仕事はいつも１ヵ月先までしか決まってないから、書きたくても書くことがない、ということもあるけど。ところが旅行はずいぶん前から決まっているから、早く決められるのである。出来れば、新幹線の切符も早く買いたいところだが、１ヵ月前にならないと買えないのは不満。

　ところで、さっきのメールにあった「対人関係に不安」というのがどういう意味かわからない。物事を早く決めるのが、どうして「対人関係に不安」がある、と繋がるのか、誰か教えて！

      
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   <title>４月２８日（月）</title>
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   <published>2008-04-28T09:37:07Z</published>
   <updated>2008-04-28T09:57:02Z</updated>
   
   <summary>　古い知り合いからメールがきた。『読むのが怖い！　帰ってきた書評漫才〜激闘編』（...</summary>
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      　古い知り合いからメールがきた。『読むのが怖い！　帰ってきた書評漫才〜激闘編』（ロッキング・オン）に誤植があったという指摘のメールである。２００６年のブック・オブ・ザ・イヤーで、大森望があげた小川一水『天涯の砦』について、面白かったという私の発言を受けて、大森望が「去年翻訳が出たジェフリー・Ａ・ランディスの『火星縦断』も北上さんに薦めればよかったね。地球に帰る帰還船が壊れちゃって、火星に取り残された五、六人が赤道から北極までを旅するサバイバル冒険小説」と言ったあと、私は次のように続けている。

　北上　面白そうじゃないの！　冒険小説の名作に『不死鳥（フェニックス）を倒せ』（アダム・ホール／ハヤカワ・ミステリ文庫）っていう、映画にもなったやつがあるんだけど。砂漠に不時着しちゃった十数人の男女がどうにか脱出してくるっていう、名作中の名作。

　このくだりについて、Ｎ君はメールの中で、それは『不死鳥（フェニックス）を倒せ』ではなくて、『飛べフェニックス号』（トレーバー著）ではないかと書いている。おお、そうだ。砂漠に不時着した人間たちが奇想天外なアイディアで脱出するサバイバル冒険小説は、『不死鳥（フェニックス）を倒せ』ではなく、『飛べフェニックス号』だ。

　最初に翻訳が出たのは四十年ほど前、講談社ウィークエンドシリーズの一冊で（Ｎ君がメールで書いていたように、この叢書には、マクリーン『原子力潜水艦ドルフィン号』も入っていた）、映画のときの題名が「飛べ！　フェニックス」。数年前にリメイクされ、「フライト・オブ・フェニックス」の邦題で公開されたとはＮ君の情報である。彼は映画雑誌の編集部にいたので、映画には詳しい。

　大森望との対談のときには、フェニックスなんとかだよ、と曖昧な発言をし、それを編集部が調べ、『不死鳥（フェニックス）を倒せ』としてゲラを出したんですねたぶん。それを本来ならゲラの段階で厳しいチェックをしなければいけないのに、ふーんとそのままにしてしまったのである。だからこれは編集部の責任ではなく、全面的に私が悪い。

　アダム・ホールという著者名を見たときに、ヘンだなと思った記憶がある。そんな作者名ではなかったのだ。そのときに、待てよと調べればよかったのに、あとにしようとスルーして、そのまま忘れてしまったのだろう。

『不死鳥（フェニックス）を倒せ』は、私の記憶が正しければ、たぶんスパイ小説で、冒険小説ではない。絶対にこれではない、とどうしてそのときにチェックしなかったのか。しかも「冒険小説の名作中の名作」とまで、私は断言しているのだ。まったく恥ずかしい。この『飛べフェニックス号』については、『面白本ベスト１００』か『冒険小説ベスト１００』（どちらも本の雑誌社刊）のどちらかで紹介した記憶があるので、いまそれを調べようとしたら、本棚をいろいろ漁ってもなかなか見つからない。そうだ。あのときも、同じことをして見つからず、あとで調べようとしてそのまま忘れてしまったことを、たったいま思い出した。

　本に誤植はつきもので、珍しいわけではないが、ホントに恥ずかしい。この『読むのが怖い！　帰ってきた書評漫才〜激闘編』は、季刊誌「ＳＩＧＨＴ」連載の対談書評をまとめたもので、２００５年３月に出た『読むのが怖い！　２０００年代のエンタメ本２００冊徹底ガイド』に続く第２弾だが、出来上がった本を見て、えっ、これ、漫才だったのかよとびっくり。どうもそうらしいんですね。ま、いいんだけど。

　この本の出版を記念してトークショーが行われる。５月５日は７時からやなか往来堂書店にて、５月９日は６時半より神田三省堂書店にて。いま本が売れないと言われている中で、こういうマイナー本をとりあげてくれる書店が嬉しくて、バカ面をさらします。増刷が掛かれば誤植を直す機会にもなるから、出来れば売れてほしいのです。

      
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   <title>４月２５日（金）</title>
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   <published>2008-04-25T01:24:44Z</published>
   <updated>2008-04-25T01:25:18Z</updated>
   
   <summary>　知人の日記を読んでいたら、書評の一部を宣伝用のＰＯＰに使わしてもらいたいと版元...</summary>
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      　知人の日記を読んでいたら、書評の一部を宣伝用のＰＯＰに使わしてもらいたいと版元の人間から電話がきた、というくだりがあった。どの部分ですかと尋ね、それをこれからＦＡＸしますと先方は言い、で、送られてきたＦＡＸを見て、問題もないのでＯＫのメールを出そうとしたら、ＦＡＸのどこにも先方のアドレスが記載されていなかったという日記である。電話を待たなければならないのはイヤだ、と知人は書いている。さっさとメールを出して、仕事に掛かりたいのに、絶対に来る電話を待っているのは気分的に落ちつかないと言うのである。

　こういうことはよくある。おそらく、そこにアドレスを書いてしまうと、お前のほうから連絡を寄越せ、と暗に催促していると誤解されるのが心配で、編集者は遠慮して書かないのではないかと思うのだが、彼は違う推理だ。

　おやっと思ったのは、この日記にすかさず某評論家がコメントを寄せていたことだ。この中身が凄かった。某社の文庫が重版に際して、解説の一部を帯に引用したいと編集者から電話がきたんだという。どの部分ですかと尋ね、じゃあＦＡＸしますという返事までは通常だが、それが全然来ない。来ないまま重版され、彼は書店でその現物を見て、引用部分をようやく知ったのだが、いまにいたるもその文庫は送られてこないという。

　その同時重版に、私が解説を書いた一冊も入っていたので、「北○おやぢも同じ目にあったのかしら」と彼は書いているのだが、私、その文庫解説を書いていたことを、初めて知りました。その程度なので、そういう連絡が来たことも、あるいは来なかったことも、そしてどうなったのかも、まったく覚えておりません。

　という話を書きたかったわけではない。こういうのを読むと、オレなんてもっとひどい目にあってるぜと書きたくなるのだ。ようするに、被害自慢である。

　つい先日、見知らぬ編集者からＦＡＸがきた。文庫解説の依頼である。すごいのはこの先だ。本をすでに発送したというのだ。えっ、発送ずみってどういうこと？　ＦＡＸの最後の一文にのけぞってしまった。

「お受けいただけない場合は、お手数ですが、同封の着払いの伝票でご返送いただけますようお願い申し上げます」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　そちらでどうにでも処分してくれてかまわない、というならまだ理解できるが、返してくれというのが想像を絶している。送ってくれ、と頼んだわけではないのだ。先方が勝手に送ってきたのである。いくら着払いの伝票が同封されているからといって、それでいいというものではない。ちなみに、そのＦＡＸにもアドレスは記載されていなかった。

　久々の自慢である。どうだ！

      
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   <title>３月２６日（水）</title>
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   <published>2008-03-26T01:12:24Z</published>
   <updated>2008-03-26T01:14:06Z</updated>
   
   <summary>　知人のネット日記を読んでいたら、文庫解説を書いたのにその文庫を一冊しか送ってこ...</summary>
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      　知人のネット日記を読んでいたら、文庫解説を書いたのにその文庫を一冊しか送ってこない版元があると書いていた。怒っているというよりも不満というニュアンスだ。

　普通、本を出版すると「著者用」として何部かが版元から著者に贈呈される。その部数は出版社によって異なるが、10冊〜20冊くらい。無料なのはそれだけで、それ以外の部数を著者が必要とする場合は（たとえば、知り合いに寄贈したいという場合など）、版元から著者が買い取るのが通例である。

　文庫解説はその応用バージョンといっていい。著者ではないから10冊も15冊も送る必要はない。しかし一冊きりというのは愛想なしだと思うのかどうか、解説者に２冊郵送するケースが多い。それが一冊しか送ってこなかったので、知人は不満を書いたわけである。

　その程度のことで契約書を交わすわけではないから、二冊郵送はこの業界の慣習のようなもので、二冊でなければいけないというものではない。何とはなしに、いつの間にかそういうケースが圧倒的に多くなっているということだ。

　しかし私、実は二冊も送ってこなくてもいいと考えている。本が増えるだけではないか。ただでさえ本の収容に困っているのに、同じ本が二冊も送られてくるというのは、困るとまでは言わないが、少なくても歓迎すべき事態ではない。通常の献本は一冊だから、封を切って二冊入っていると、そうか、オレが解説を書いたんだと気づく効用はあるけれど、それくらいか。

　実際に二冊送られてきても、書棚に置いておくのは一冊だけだから、あと一冊は処分に困って知人に進呈するケースが多い。笹塚にいたときは、そういうのは一階に持っていったが、いまは遠く離れているのでわざわざ持っていくのも面倒だ。

　そうか。一冊して送ってこないと不満を述べた知人も、知り合いに進呈したいのに一冊しか送られてこないのでは友人に進呈することも出来ない、ということなのかも。

　私の個人的な希望を書けば、最初に一冊、一年後にもう一冊という分送をしてもらえると嬉しい。一年もたつと、本が見つけられなくなっているから、こういうふうにわけて送ってもらえるなら助かる。二年後のほうがもっと嬉しいし、十年後なら絶対に紛失しているから泣きたくなるほど嬉しい。ま、無理だろうけど。

　それよりも私の不満を書いておけば、ゲラ（もしくはプルーフ）を読んでから、版元のＰＲ誌に書評を書くことがあるが、その後にゲラから単行本になったあと、その単行本が送られてこないケースが時々あることだ。

　誤解されないように書いておけば、これも版元側が必ず送らなければならない、と決められているわけではない。著者でもないし、解説者でもない。ただ書評を書いただけの人間に、その本を無料で贈呈する義務は版元にない。

　だからこれも慣例の域を出ないことだけど、ゲラ（もしくはプルーフ）を読んで版元のＰＲ誌に書評を書いた人間には完成本を贈呈するという慣習がこの業界にはある。ようするに、お礼ですね。

　だから、送ってこなくてもいいのだ。今日からそのシステムは中止、ということでも一向にかまわない。買えばいいだけの話である。

　しかし、まだこの業界には慣習というものがあるから、せこい話だが、本が届くのを待っていたりする。で、えっ、来ないのかよ、と気がつくのである。書評を書いた側からすると、気にいったから書評を書いたのである。それなのにその本が自分の書棚にないのは淋しい。つまり二冊はいらないが、１冊は欲しいのである。たぶんそのときの担当者が本を送る手配を忘れただけなのだろうが、それをいちいち催促するのもなんだし、年に一度くらいしかないことだから、ま、いいかと思っているのである。
      
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   <title>３月１８日（火）</title>
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   <published>2008-03-19T03:39:52Z</published>
   <updated>2008-03-19T03:40:30Z</updated>
   
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      　禁煙生活を始めて、そろそろ１ヵ月になる。あれから１本も吸っていない。禁煙はもっと大変なものだと思っていたが、こんなに簡単なものであったのかと驚いている。辛いのは最初の数日だけだ。その数日はホントに辛いが、それを過ぎてしまえば、あとは嘘のように平気になる。ずいぶん前に禁煙を実施した杉江君から、なかなか辛いですから禁煙補助剤を買ってきたほうがいいですよ、とメールがきて、急いで「ニコレット」というニコチンガムを買いに行ったが、それも結局は買ったままで封も切っていない。
　最初に心配していたのは、いらいらして仕事にならないのではないか、ということだった。原稿につまると以前はそこで一服していたのだが、それが出来ないとなると、仕事が捗らないのではないか。そう考えていたのだが、全然ＯＫである。いまでも吸いたくなるのは酒を飲んだときだけ。これは無性に吸いたくなる。以前ならここで一服したよなというときに、することがないので手持ち無沙汰になり、仕方なくまたグラスを口に運ぶのである。つまり酒を飲むピッチが早くなる。だから酔うのが早い。違いはそれくらいか。
　現在は分煙社会だから競馬場でも喫煙コーナーはガラスで区切られている。そこを通りかかるたびに、煙草を吸っている人を見ることがあり、いいなあと思う。自分の健康のために禁煙したわけではないから、煙草を吸う人がいまでも羨ましいのだ。いつだったか町中の喫煙コーナーの近くを通りかかったら、紫煙が漂ってきて、思わずそこで足を止めたこともある。紫煙が甘いものだとは思ってもいなかった。すごくいいのだ。その甘い香りをいつまでも嗅いでいたい。
　ところが禁煙したと言うと、目の前で吸わなくなる人が少なくない。どんどん吸ってください、とは言うのだが、やはり遠慮するのだろうか。こないだは競馬友達と競馬場の帰りに居酒屋に入ったとき、「煙草を吸ってさ、オレの顔にふっとかけて」と言ったら笑われてしまった。
　ほんの時々、こんなに簡単に禁煙が出来るのなら、時々一本くらい吸ってもいいのではないか、と思うことがある。誰も見ていないんだしと部屋の中で思うこともあれば、居酒屋でグラスを傾けながら思うこともある。どうせすぐにやめられるのなら、一本くらいいいよなと思うのである。いや、吸わないけどね。
      
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