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10月30日

終わりました! 佐伯泰英を読破です!
ご存じない方もいらっしゃるでしょうが、今月号に浜本さんが書いたとおり、ぼくは佐伯泰英時代小説読破に挑戦していたのでした。遅読ゆえに想定したより時間がかかってしまいましたが、なんとか生きて還ってくることができました。よかったよかった。
この度の詳細は日記形式で文庫王国に載せて頂くことになるでしょう。なるでしょう、というのはいまだ出版のことがよくわからないので、ボツでもくらったらどうしようという懸念のためです。
もし掲載されていたら、どうかみなさん読んであげて下さい。

加えてなんと! 今回の文庫王国の大目玉がなんと! 二十一世紀文学界に新たな道を切り拓く作家・町田康さんがオールタイム文庫ベスト10というものを書く事になっているのです! すごいや! 本の雑誌ブラボー!
もしかしたらもしかしたら、目次なんかで町田さんのお名前の横に自分の名前が連なられるかもしれない。もしかしたらもしかしたら、町田さんのページの前のページに載るかもしれないそれはつまり前座だ! 大久保Tだ!(クロコダイル日記8月10日参照)
おおお興奮してきたぞ血湧き肉躍るぞ! こころなしかビックリマークが多出しているぞ!
もしかしたらもしかしたら、町田さんはわたくしの拙文を読んでくれるかもしれない。町田さんは時代劇が大好きなのだ。ということは、少なくとも時代小説にも興味がおありなはずだ。かの爆笑パロディー「逆水戸」や、ただいま文庫化中の傑作『パンク侍、斬られて候』だって時代小説といえなくもない。すごいぞすごいぞ繋がった! やった、ということは、佐伯氏の某作品などは町田さん(を好きな読者)向けで、その作品をもしかしたら、ぼくの文章をご覧になって読みたくなるかもしれない。おお! 「読みたくなる」! すごいぞすごいぞ。読みたくなってほしいぞ!
そんでもしかしたらもしかしたら、町田さんがぼくの拙文に原石の素質を見出し、ああ! なんということだ、町田さんがこの南台4丁目にいらっしゃったではないか! こっ、これはまさか……
ここでぼくの脳みそはショート、これ以上考えると卒倒しかねないのでこれにて終了いたします。

ということでいまぼくの体はとても軽く羽のようです。つい解放感で吉野朔実先生の漫画を徹夜読みしてしまいました。いやはや、ますます目が冴え渡って眠れない。
昼に会社へ行く時は意気揚々と、一時下宿に置いていた91冊もの佐伯時代小説を持って行きました。達成感でほくほくしていました。
会社へ着くと杉江さんも藤原さんもいません。しかたなく黙って棚に本をつめていると浜田さんが聞きました。
「それ、何の本?」
「佐伯泰英が終わったんで、持ってきたんです」
「ふーん」
なんだか反応が鈍い。いっぱい読んだのに。いっぱい(日記を)書いたのに。
気分が沈降して落ちついて、新聞を読みながら、まあそれほどのことでもないかなといつものペースに戻ったのでした。

今日は図書館返却遊行。新宿と目黒と渋谷と千代田区の本を返却しに行きます。復活したチャリンコで走りまわります。
あとは千代田区を残すのみ、というところになって悩みます。この東京自転車巡りの問題というか最大の難関は「山手線越え」です。人通りが繁くなる高田馬場大久保新宿代々木原宿渋谷のこの鉄壁のディフェンスをかいくぐっていかねばならぬのです。
学校に通う時もはじめはかなり悩みました。地図と格闘すること数ヶ月、やっとわがベストロードを確立したのです。しかし東京は日々変化し続けるモンスターですから(どんな表現じゃ)、油断はできません。いまは神田川護岸工事に日々注意を払っているところです。
今日はいつものルートを取る事にしました。それは甲州街道越えです。新宿駅の南を横断しているこの道は広い車道と幅のある路肩が長所です。客待ちタクシーが多いのが難点ですが。
この日も快走、新宿通に移って四谷へ。昔この通りを東に行こうとして西に行ったな、などとかつての方向音痴振りを思い出しつつ、いまや知る人ぞ知る東京通のわたくし、などとほくそ笑んでいると目の前に警視庁の文字。
四人の警察官が自転車をこいでいるのを見て、まずは思うのは「まずい」、逃げる体勢を取るのですが、まだ大丈夫ばれてない。わが自転車のサスペンスポイントはサドル後方である。相手方からは見えないのである。
そうとわかればしめたもの、ぼくは悠然と彼らの後をつけました。なぜ警察官の自転車はあとを追いたくなるのでしょうか。関係ないですが夕方図書館前で別れる司書さんたちを見た時はなぜかドキドキしました。どちらも秘密の匂いがします。故郷のお母さん、東京は面白いところです。

10月26日

午後五時、愛車での図書館回りからの帰り道、中野通りにてクリーニング屋の立て看板にハンドルの端がつっかかってしまいました。思いっきりつんのめりました。
あわてて体勢を立て直し、辺りを見回し、そこに集団が通過、ぼくは、あわわ、なんて動揺はせず、全く困るなあこんなとこに立て看板、というクール表情で再び走りだしました。
すると、自転車がなにやら変です。チェーンの辺りがひいひい言っています。これはまずいなあと思い、とちゅう弥生町にある自転車屋さんに立ち寄りました。
ペダルの中のほうが壊れているのでこれは時間がかかる、とのことで、仕事の帰りに取りにくることにして南台まで歩いて帰ることになりました。
この道のりが思いのほか長く、暗く、足取り重く、風が冷たく、前にもここら辺をあるいたことがあるなと思ったらあれはたしかパンクしたとき、自転車を押してとぼとぼ歩いていたのだ、あのとき自転車は自分の足なので大事にしようと言ったのに、と心はますます沈み、労災降りるかなあなどと考え考え社路へとつきました。

今、いまさっき日本ハムが日本一を決めました。ブラボー。感動的でした。
日ハム稲葉が試合を決定づける一発を打ち(昨日もスリーランを打っていた)、MVPとしてお立ち台に上っていました。コメントがとても爽やかですてきでした。今年はイナバウアーに始まり、稲葉うわーに終わった年でした、なんてくだらんことをだれかが言うのでしょうか。
うわー、というのに少し無理があるかもしれません。
先日、杉江さんとどちらが勝つか予想をしました。ぼくは中日、杉江さんが日ハムでした。結果はぼくの負け。稲葉がホームランを打った時はほんとうに「うわー」と悲鳴を上げました。
それにしても杉江さんはさすが、長年ヤクルトを応援してきただけあります。経験と鋭い観察に基づくスポーツ眼というものを持っているのですね。尊敬します。そして謝罪します。杉江さんに挑戦するなんて十年、いや百年早かったです。これからはプロ野球に関してはまず杉江さんの卓見をご教授願いたいと思います。いやあ杉江さんってすごいなあ。

10月16日

本日は終日パソコンの前で引用チェック。頭の中に「ええかげんにせんと気いくるて死ぬ」という町田町蔵の歌詞がリフレイン、なんとか平静を保つ。

新聞の天気予報を見ると、旭川から那覇まで、全部晴れマークと星マーク。ぜえんぶ。降水確率の行には暗示をかけれそうな0の羅列。手抜きなのか本気なのかわからない。朝日以外もそうだったのだろうか。

10月13日

母の実家が小岩にあります。
祖父母は二人とも麻雀好きで、その二人の叔父も打ちました。一人娘(=母)だけが打ちませんでしたが、来訪する友人らはほぼ全員打ちました。というか打つために来訪しました。面子が揃わないときは花札などでお茶を濁しました。母はお茶汲み係でしたが、ともに濁すことはなかったそうです。
かつてはにぎやかで、狭い部屋に三卓並べたこともありました。壁に対して斜めに配置してなんとか卓を入れました。
友人らとともに旅行に行くときは、必ず雀卓を持っていきました。というか旅先で麻雀をするために旅行しました。
雀卓になったこたつの下で眠るのが好きな猫もいました。牌をかき混ぜる音がやかましくはないのか。過剰適応です。
叔父らの学生時代は友人らが大勢来て活発でした。今でもその当時の人々が来訪します。目的は言わずもがなですが、それ以外のために来ているのを見たことがありません。
正月などに顔を合わせても、トイレに行って帰ってくるともう始まっている。これはこの家独特のもてなしだったのかもしれません。もてなしされているのに毎回負けて帰る人もいるけれど(叔父らは強い)。
父も打ちました。母と親しくなってしばらくすると実家の人々とそれ以上に親しくなっていました。「お前らのミルク代はこれで稼いだんだぞ」と牌を手にもって言っていましたが、ぼくらがこの世に生まれた瞬間もこの家でそれを握っていたんだよね、とは一応遠慮して言いません。実話なのです。まあ、「関口天和」なんて名前になってないだけ幸せか。
そんなかんじで、ぼくら孫の世代が生まれても麻雀交流は続いていました。
幼少の記憶は、タバコのにおい、悲鳴の次に来るとじゃらじゃらかき混ぜる音、ひんやりとした牌の手触り、大人たちの大きな背中、甘いもの好きのアサノおじちゃんのために用意されたチョコの味。ひとつのイメージが他を芋づる式に引き出します。
しかし、ぼくが麻雀を覚えだした時にはもうほとんど打つ人がいませんでした。おじいちゃんはいなくなって、おばあちゃんは長丁場はできませんでした。
高校時代にはなかなか麻雀仲間を作れず、パソコン麻雀などで発散していました。
たまに小岩に遊びにいっても面子が揃わず、一人で牌を玩んでいると母が言いました。
「生まれてくる時代をまちがったね」
思わず、あんたがそれをいうんかい!と突っ込んでしまいましたが、その言葉が頭から離れませんでした。

夕方(さてみなさん、やっと今日の話です)、学校が終わると直接池林房へ向かいました。目黒さんの還暦パーティーなのです。助っ人たちも来てもいいよ、というので参加させてもらいました。なんと会費はただ。すぐに参加用紙に名前を書きました。
会は木村弁護士の挨拶に始まり、目黒さんへちゃんちゃんこが贈呈されました。それを着た当人ははにかんでいましたが、じつによく似合っていました。
会は終始にぎわしく、元社員の方や大先輩助っ人の方々が大勢来ていて、これはまさに『本の雑誌風雲録』の世界でした。目黒さんもあちこちまわって忙しそうで、嬉しそうでした。
現役の助っ人らは隅で固まっていました。おかげでたくさん食べられましたが。(鯛が最高に美味でした)
十時になり、中締め。
このときも木村さんがマイクを握り、なんというか、口舌に尽くしがたいパフォーマンスを繰り広げていました。あいだに沢野さんも登場し、一時間は経っただろうか、と思ったところでやっと目黒さんにマイクが渡りました。
いつもは見られない、ほんのり上気したような表情で目黒さんは語りはじめました。
その言葉を聞きながら、ぼくは母のセリフを思い出しました。
もし30年前に生まれていたら。そんなことを想像しようとしたら、なぜか上手くいきませんでした。

二次会はそのまま池林房で。アームレスリング第一回木村カップが開催されました。座は盛況、試合が終わった後も、天野さんを生徒に腕相撲講座が開かれました。藤原さんはとてもくやしがっていました。ぼくはその時はどうということはありませんでしたが、その後二日間筋肉痛で肩が上がりませんでした。
人がまばらになったころ、藤原さんと本池さんに付いてふらりと夜風に当たりにいきました。新宿の街はおとなしく、御苑前で巨木がぬっと無言でした。風はもう冷たく、夜空が綺麗でした。
「空を飛びたい」突然そう思って口にしました。二人は「飛べば」と冷たいですが、いやいやあなたがたは夢の中の我が雄飛をみたことがないのですよあれはもう惚れ惚れするような飛びっぷりで……と演説をしていたら、あ。
最近空を飛ぶ夢を見ていないことに気づきました。

「うーむ」
酔いのどんどん覚めていく新宿二丁目秋の宵なのでした。

10月10日

本日ツメツメをやっていましたら、浜本さんが後ろを通りぎわ、突然ぼくの肩を掴みました。
すわっ、これはまさか世に言う解雇宣告ではないか!? ぼくは震えました。
なにか悪いことでもしたんだろうか? それとも本の雑誌社の財政はそれほど窮迫しているのだろうか? 頭の中をいろんな思考が駆けめぐります。
すると浜本さんは何も言わずぼくの頭をがしがしと荒らし、そのままコーヒーをつくりに給湯室へ消えていきました。
なんだったんだ?
目の前でツメツメをしていた小野さんは不思議そうな顔をしていました。

さて、これを書いているいま現在、というかいまさっき十分前のことです。
お客さんが来たようでした。ぼくはこういうとき、なんだか動揺してしまいます。六時以降はオトナの時間で場違いな気がするのです。
しかし社員の歓待で迎えられたその人は、鈴木先輩でした。ぼくは一気に気抜けしました。
鈴木先輩は紙袋を下げていました。そこから取り出したのは、土俵でした。
家で作っていたのです。
もうみんな驚くばりでした。それに我関せず、鈴木先輩が組み立てた物は異常なほど立派でした。依頼主もこれほどのものができるとは考えていなかったようです。
次号の本の雑誌はどうなるのか非常に楽しみです。

ちなみにぼくと杉江さんで試技をしてみました。やってみるとかなり熱が入りました。結果はぼくの二戦二勝でした。くほほ。

10月3日

「おお! 鈴木くん!」
鞄を置いて鈴木先輩は振り返りました。浜本さんが椅子から立ち上がりました。
「来たか!」
「来ました」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
鈴木先輩はいぶかしげに「はい」なんなりと仰せ下さいの姿勢。
「あのねえ、土俵作ってくれない?」
土俵?
「これね、本のカバーでね、こうやって、紙相撲するの」
そう言って村上龍と猪瀬直樹のカバーをはずして立たせ、たたたんっと机を叩きました。
「はい」
平然と答える鈴木先輩。ぼくが違和感を感じると、やはり、
「この会社おかしいよー」
横から杉江さんが入場してきました。「いきなり『土俵作って』っていうほうも変だけど、それを平然と請け合ってるほうもおかしい」
先輩はダンボールなどを準備しはじめました。広げてみて「うーん」曲げてみて「うーん」頭の中で図案が出来上がって、目はうつろ。どこを見てるのか怖くて聞けません。

じょきじょきぺたぺたで二時間、だいたいの形が出来てきたようです。
「すげえな」杉江さんがいいました。
「いえ、まあ」
「でもよかったな。一つでも取り柄があって」
ひどいことをいう人です。だめじゃないですか、ほんとのこと言っちゃ、とは言えず代わりに、
「熱心ですねえ」
「うん、なんかさ、さっき思ったんだけど今って文化祭の時期じゃん」
「そうですね、そんな季節ですか」
「だからさ、なんか体うずいちゃってさ」
「うずきますか、そういうもんですか」といいながら、きっと文化祭の時には鈴木先輩はいろんな仕事を引き受けていたんだろうなあと思いました。
「客席とかは周りに絵を描くんですか」
「うん、でもいろんな人が、助っ人とかがそれぞれ描いたりしたほうがいいんじゃないかって」
「そうですね、いいかんじになりますね」
「なんか文化祭みたいでいいだろう」文化祭離れができてないのでしょうか。

帰り、本池さんと三人で笹塚駅に向かう途中、雨が降ると靴下が臭くなる、という話をすると鈴木先輩は大仰に驚きました。
「えっ? くさくなりません?」
「ならないならない」
「おかしいなあ」
「おかしいのはお前の足だ。それより駅向こうの百円ショップに行こう」
「いきなりなんですか」
「土俵の俵を買うんだよ」
仕事が終わっても頭の中は文化祭気分です。「なかなかないんだよなあ、本物っぽいのって」そういって眉を寄せて「困った顔」を作っていましたが、楽しくてたまらないのが容易に伺い知れました。
ぼくはぼくで買い物を済ますと、鈴木先輩と本池さんが見当たりませんでした。なのでそのままクイーンズ伊勢丹に行くと、携帯がぶるぶる。メールだ。
「いまどこ?」「クイーンズ伊勢丹です」帰ったのかと思った。
その後紀伊國屋で立ち読みをしていると今度は電話「いまどこ?」「紀伊國屋です」「じゃあいま合流しよう」なんで合流なのかが分かりませんでしたが、表に出ると鈴木先輩がいました。
「これプレゼント」本池さんが差し出したのは「備長炭入インソール」靴の中に入れる防臭剤みたいなものです。
「こんなの買ってたんですか」二人はにやにや。しかたなく「じゃあ、使ってみます。ありがとうございます」
「うん、これちゃんと(クロコダイル)日記に書けよ」
「はあ」足臭を公表しろということか。それが100円ではデメリットが大きいとは思いましたが、物を貰いなれていないので唯々諾々と従いました。

9月29日

午後六時、もう清算も終わって帰ろうとしたとき、思いつきました。
「そうだ、いま分けましょうか」
以前から棚に置かれていた浜本さんの少女漫画コレクションを譲っていただけるという話で、今日来ていた本池さんとぼくが「ぜひいただきたい!」と名乗りを上げていたのです。
「そうしよう!」
本池さんも急に張り切って、さっそく棚から本を出し始めました。ぼくは作家ごとに積み分けていきました。全部を出すと、助っ人机が完全に覆われてしまいました。浜本さんが「なんだなんだ」といって通り過ぎていきました。
まずはすでに同じ版形で持っているものを譲りあいました。あとはじゃんけんでの争奪戦ということになるところでした。
しかし宝を前にしたぼくは弱気になっていました。そこで民主主義を提案しました。
「どうでしょう、一冊ずつ交代に取っていくっていうのは」
小学生時代はそれを「トーリー」といっていました。「トーリー」はサッカーのメンバー決めなどでよく使われました。
「そうしよう。その方がいいね」
本池さんも同じ気持ちだったようです。
まずは大島弓子から分けます。どちらから先に取るかを、じゃんけんで決めることにしました。気合いが入ります。気分はドラフトです。
じゃんけんぽいっ、あいこでしょいっ、あいこでしょいっ「わっ」「あっ」
勝ったぼくは抜く手を見せず、一年前から目を付けていた一冊を取りました。「あーっ、それ欲しかったのにー」しかし勝負は無情、仕方ありません。
「じゃあわたしはこれ」
「あーっ、それは……」
「ふふん」
考えることはだいたい同じようです。
やがて大島弓子はきれいに分譲されました。次はぼくにとっての目玉、清原なつのです。めちゃくちゃ燃えていますが、相手にそれを悟られてはいけません。これは駆け引きの勝負なのです。
じゃんけんぽいっ、あいこでしょいっ、
このとき、ぼくは本池さんのじゃんけんのくせを見抜きました。一定の流れを読んだのです。次の手は……開く!
あいこでしょいっ「あっ」「よしっ」
こっちはチョキ、相手はパーでした。的中です。「くやしいー」
一冊目を、音速の手際で懐にかかえこみました。『花岡ちゃんの夏休み』です。
「そうきたか」「これしかありませんよ」わが青春の書です。
次に本池さんが一冊引きました。「あっ、だめ」「そんなのきかないよ」民主主義になんてしなければよかった。そのときは全神経全集中力全勘を総動員すれば八割の勝率は自信がありました。
こちらも一冊。つづいて相手も一冊。「未来より愛をこめて」です。
「ふふふっ」
本池さんが訝しげに訊きました。「なに?」
「それ、もうぼく持ってるんです、文庫版でね」
版形がちがうのでいいのです。もうかなり陰湿に戦いになっていました。
そうした戦いが三十分続き、ようやく山分けが終了しました。
「ふー」
「あー、満足満足」
数えるとそれぞれ七十冊ありました。
「浜本さんありがとうございました。頂いて帰ります」
「ん、はい」
浜本さんは、どちらかというとまだダンボールに積んである本の方を、という様子でした。しかしこれ以上持ち帰ると床が抜ける危険があるのでそこは気づかぬ振りをしました。
バッグにパンパンに詰め、あとは両手で抱えました。自転車のカゴに積むのも一苦労です。来週一週間は助っ人には来ないつもりなので今日全部もって帰りたかったのです。
よろよろと自転車を押して、ほうぼうの態で下宿に戻りました。自転車を止めて、玄関と二階の間を三往復して運び込みました。待望のお客様をじっくりと丁重に愛でました

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