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第6回

「花見にカニは持って来るな」
 私が育った青森には、こんな言葉がある。本当はカニとガサエビ、なんだけど。
 あ、ガサエビというのは、こっちで言うシャコのことです。ただし、お寿司屋さんでお馴染みの、あのむき身の、じゃなくって、殻付きの。頭から尻尾まで20センチくらいあるやつ。これを甘辛く茹で挙げて、殻をはずしながら、むしゃむしゃ食べるのだ。
 カニ、というのは、「栗毛ガニ」のことで、正式な名前は他にあったと思うのだけど、手のひらサイズの、毛ガニっぽい見た目のカニのこと。
 この二つが、青森ではお花見の頃に旬を迎えるのだけど、これをお花見に持って来るのはタブーとされているんである。
 それは、どっちも殻をむくのに一所懸命になるのと、あんまり美味しいので、夢中になって食べるのとで、座が静まり返ってしまうから、だ。
 お花見、に限らず、カニを食べる時は、無口になる。ならざるを得ない。どうやったら、できるだけ多くの身を取りだせるか、とか、あの、足の先の先の細っこいところに入っている身まで、何とかして取り出したいっ! とか、それはもう、カニと人との攻防みたいなものなんである。
 もう、目の色変わって当たり前、みたいな感じ。
 カニを目の前にして目の色を変えない人、というのは(アレルギーがあるとかいう場合は別だけど)、人として何だかあんまり信用できない感じがする。ものすごい偏見なんですが。

 私が実家にいた頃は、父のお給料日の晩ご飯、に毛ガニが並ぶ確立が高かった。今から思えば、あれは祖母なりの父に対する「ご苦労様でした」だったんだなぁ、と思う。
 祖母と父と私と3人でカニを食べる時、祖母はいつも自分の足を、私と父に分けてくれた。その代わり、父と私は祖母に甲羅の部分をあげるのだ。祖母は、その甲羅の部分にご飯を詰めて、カニミソと混ぜたところにお醤油をたらっと落として食べる、カニミソご飯に目がなかったのだ。魚好きのくせに、しかも酒飲みのくせに、カニミソに限らず、「磯くさいもの」が苦手だった父にとっても、この「カニトレード」は都合が良かったらしい。
 カニミソの美味しさ、が分かってからは、私はこの「カニトレード」には加わらなくなったのだけど、それでも祖母は、「いいから、食べなさい」と、足を私の皿に乗せてくれた。「それじゃ、お祖母ちゃん、ちょっとしか食べられないよ」と言うと、「お祖母ちゃんは、美味しいものはちょっとでいいの」と言った。
 祖母からは、色んなことを学んだけど、この「美味しいものはちょっとでいい」というのは、私には身につかなかったし、多分これからもつかないような気がする。それとも、もう少し年がいったら、自然とそうなっていくのかなぁ。

 ところで、毛ガニといえば、私には、恥ずかしいというか、苦い思い出がある。
 毛ガニ、がもとで、当時つきあっていた彼と大喧嘩になったことがあるのだ。原因は、こうだ。
 行きつけの飲み屋さんで、彼と一緒に飲んでいたら、お店の人がサービスで、その日届いたという「浜茹で」の、それはそれは見事な毛ガニをだしてくれたのだ。「うわぁっ!」、ともう、その場で小躍りしそうなくらい喜んだ。案の定、プリップリとした身がぎっしりと詰った足が5つ!(半身分、出してくれたのだ)
 興奮しつつ口にした、その一口目の美味しかったこと!「うまい~~っ」、カウンターにつっぷす私。「これはすごいね」と彼。と、ここまでは良かったのである。すかさず二つ目の足に手を出す彼を横目に、私はお酒の追加を頼んでた。ふふんふんっ、美味しいものはじっくり味わって食べなくっちゃ。サービスしてくれたお店の人に「いやぁ、本当美味しいっ!」と頭を下げ、それからしばらくカニ談義に花を咲かせ、どれどれ、じゃぁ、二つ目に行こうかな、とお皿に目をやった瞬間。
 ない! 
 あと二つあるはずの足が、一つしか、ない!
 見ると、隣の彼が、今まさに三つ目の足を口にするところだった。
「あーーーーーっ!」
 今でも思うのだけど、あの時、声をあげる代わりに、口元に伸ばされた彼の手を止めれば良かったのだ。
「ちょっと、それ、ラスいちじゃん!」と。
 私の目の前で、三つ目の足は、彼の口の中に飲みこまれていった。
 で、その時私はどうしたか、というと。
 彼の喉の辺りに目をやったまま、怒りの余りの震えを通り越し、気がついたら、ぽろぽろと涙をこぼしていたのである。
 さすがに、自分でもこれはマズイ、大変にマズイ、ここはひとまず冷静にならなくちゃ、というくらいの頭は残ってたので、何が起きたのか、どうなったのか、さっぱり分からない、といった表情の彼をその場に残し、お手洗いに駆け込むことしばし。
 トイレの中で、さめざめと私は泣いた。
「カ、カニが……」
 あぁ、今こうやって書いてると、何てアホなことしてるんだ、と思うのだけど、その時はもう、全身全霊で哀しかったのだ。悔しかったのだ。二人で一緒に食べてるんだから、奇数の場合は、ラスいちになったら半分こかジャンケンじゃんかぁ! 何でそんなことも分からないんだよぉ! しかも、カニなのに。
 席に戻ると、心配そうな顔をした彼が待っていた。
「どうしたの?」
 どうしたもこうしたも、おめぇのせいじゃ、馬鹿もんっ! 哀しみモードから一転して怒りモードになった私は、それから延々と彼を責めた。あんまり責めたので、彼は逆ギレした。逆ギレした彼に、さらに腹が立った。
 店を出てからも、私の怒りモードは冷めやらず、新宿駅に着いた時、思わず出た言葉。
「今度うちから毛ガニ送ってもらうけど、あんたには絶対食べさせないからねっ!」
 何だよ、それ。
 口にしてから、余りの自分の間抜けさに気がついた私は、ぷっ、と吹き出していた。彼も彼で、私の余りの幼稚さに気が抜けたらしく、吹き出した。
 それでも、そこで彼を許すほど私は人間ができていなかったので、「カニの怨みは怖いんだからねっ!」と、訳の分からないタンカを切って、ホームへの階段を上っていた。
 ホームに着いたら、苦笑しながら反対側のホームで彼が手を振った。
 その後、実際に実家から毛ガニを送ってもらった。
 大ぶりの2匹の毛ガニは、二日にわけで、一人で家で食べた。
 事情が事情なので、さすがのカニも、胸につかえるかと思ったが、そんなことは全然なく、素晴らしく美味しいカニだった。

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