子供を産んでこそ一人前とか、そういうことを言う人を、私は好きじゃない。
子供を産もうが産むまいが、そんなのその人自身には何の関係もないことだ、と思う。
子供がいる、いないと、その人の人間的な成熟の問題って、全然関係ないと思う。
子供を産んでも半人前の人もいれば、産まなくても一人前な人もいる。
で、これは私の偏見なんですが、そういうことを言うような人に限って、子供が産まれたら産まれたで、「子供は一人より二人の方がいい」とか、そういうことを、あたかもそれが正論のように、押しつけてくる、ような気がする。
「一人っ子だと可哀想よ」とか。
余計なお世話だ、と思う。
一人っ子が可哀想、なんじゃなくって、一人っ子が可哀想だと言う、そういう人がいるから、一人っ子が可哀想なのだ。
自分が欲しいから、という理由で二人目、三人目を望んで、たまたま授かる人はそれで幸せだと思うんだけど、「一人じゃ可哀想だから」という理由で、二人目を望む人、の気持は、私には分からない。
どうして、一人っ子だと可哀想なんだろう?
私は一人っ子である。
で、私は自分が一人っ子であることに、何の感慨も持っていない。
強がりでも何でもなく、兄弟が欲しい、姉妹が欲しい、と思ったことがない。
そもそも、兄弟が、姉妹が、どういうものなのか、実感がない私には、想像がつかないのである。
大人になって、私が一人っ子だ、と言うと、ごくたまに、「あ、なるほどね、だからね」みたいなリアクションをされることがあって、あぁ、これが俗に言う「一人っ子に対する偏見」なんだなぁ、と感じたことはあったし、逆に、「そんな、全然一人っ子には見えないよぉ」というリアクションに対しても、それって、一人っ子に対する逆差別じゃないか? と思うことはあったけれど、でも、基本的にそういうことを言うのは、友達じゃない誰か、だったので、どうでもよかった。
私が我が儘だったり、性格が悪かったとしても、それは私が一人っ子だから、じゃなくって、あくまでも私個人の性格の問題だ、と思う。
兄弟、姉妹がいても、我が儘だったり、意地悪だったりする人だっているわけだし。
要は、個人の問題だ、と思うのだ。
それを、生い立ちや環境や、誰かや何かのせいにするのは、おかしい、と思う。
高校の同級生が自殺したのは、もうずいぶん前のことだ。
田舎の共通の友人だった女の子から、電話をもらった時のことを、今でも覚えている。
彼女とは、高校二年生の時、同じクラスだった。目が大きくてくりっとしていて、誰からも好かれる性格のいい子だった。影で、彼女のことを「ぶりっ子」だと言う子も中にはいたけど、そしてそれは多分、彼女の耳にも届いていたとは思うのだけど、そして、そのことで傷ついてもいたとは思うのだけど、彼女はいつも明るかった。
私は彼女のことは嫌いじゃなかったけれど、何ていうんだろう、あんまりいい子過ぎて、時々鬱陶しくなることがあった。
この感じ、当時は自分じゃ分からなかったんだけど、多分、彼女があんまりにも真直ぐだったから、そういう彼女と向かい合うと、自分の拗くれた部分、ってのを思い知らされるような気がして、それで、そんなふうに感じたんだと思う。
彼女の側の問題じゃなくって、自分の側の問題、だったんだよね。
あの時、何がきっかけだったんだっけかなぁ。
私は彼女に言ったのだ。
「ねぇ、何でそうなの?」と。
どう見ても彼女が悪いわけでも何でもないのに、彼女が、「きっと自分が悪かったからだ」みたいなことを言った時だった。
「ねぇ、Iちゃんは腹立たないわけ? 悔しくないわけ?」
Iちゃんは、そんな私の言葉にすら、「そうだよね。だから私はダメなんだよね」と、自分を責めるので、私はますますいらいらした。
「Iちゃんがダメなんじゃなくって、そういうことじゃなくって、怒るべき時にちゃんと怒らない、っていうか、そういう事なかれ主義が、いい子ぶってる、って思われちゃうんだって思うよ」
言い過ぎてる、とどこかで思う自分がいたけれど、この際言っちゃえ、と思う自分もいた。
Iちゃんは、しばらく黙ってうつむいた後で、ぽつんと、「分かってるんだ、私」と、言った。
「こういうのがぶりっ子に見られることも、誰にでもいい顔してる、って思われてることも」
だったら、どうして……、と言いかけた私の言葉を遮るように、Iちゃんが言った。
「でも、それでも、私、ダメなんだよね。人から嫌われるのが怖いんだ」
人から嫌われるのが怖い、とその時にはっきり言えたIちゃんを、今の私はすごい、と思う。そういうことをちゃんと私に言ってくれたIちゃんを、あの時の私は、ただ、ぎゅっ、と抱きしめれば良かったのだ、と、今は思う。でも、その時の私にはできなかった。
Iちゃんは、高校卒業後、東京の看護学校に進学したのだけど、そこで「いじめ」にあったらしい。一年と少しで、田舎に戻って来たIちゃんは、身体も心も壊してしまっていたそうだ。
Iちゃんが地元の病院に通って、心身ともに立ち直りかけていたころ、偶然に会って、一緒に飲んだことがある。あれは、私が大学二年の夏休みだったはずだ。
Iちゃんは、薬の副作用で太ってしまった自分を恥ずかしがっていたけれど、私が人づてに聞いていたよりも、ずっと元気そうだった。「春からこっちで、もう一度看護学校に入り直そうって思ってるんだ」とIちゃんは言った。「一からやり直し」そう言って笑ったIちゃんの顔を見て、あ、良かった、と思ったことを覚えている。
それから、Iちゃんと会うことはなかった。私が次にIちゃんのことを聞いたのは、彼女が自殺した後だった。
結婚して、出産した直後、Iちゃんは焼身自殺をしたのだ。
直前の電話で、異変を感じ取ったご主人が急いで帰宅した時には、もう遅かったらしい。
電話で知らせてくれた女の子は、自分もその前の年に出産したばかりだったこともあって、「子供を置いて死んじゃうなんて信じられない」と、泣いていた。お通夜の席でも、みんながそのことを口にしたそうだ。「何でまたこんなことを」とか、「子供が可哀想だ」とか。中の一人が、酔った勢いか何なのか知らないが、「やっぱり片親の子は」みたいなことを口して、さすがに窘められていたそうだ。Iちゃんは、小さい頃お父さんを亡くしていた。
Iちゃん、私はIちゃんのしたことは肯定しない。肯定できない。
でも、でもね、子供を「置いて」いったんじゃなくて、子供を「道連れ」にしなかったIちゃんを、私は偉いと思う。誰が何と言っても、そう思う。私は、そう思うよ。