あ、気持がささくれだってるなぁ、と思った。
いつもなら気にならないようなことが、ちくちくと胸に刺さる。
息子の我がままに対する忍耐力が低下する。
言わなくてもいい言葉を、ついダンナにぶつけてしまう。
何て言うんだろう、全てのことに対しての「堪え性」が落ちきてしまう、みたいな。
昔はそういう時は、お酒を飲んだ。
誰かを誘ったり、一人で馴染みのお店に行ったりして、深酒をした。
でも、元々の気持がささくれているから、お酒が美味しくないんだよね。
自分から誘った手前、暗い顔で飲むわけにもいかず、笑えば笑うほど、家に帰ってから、さらにささくれた気持を持て余したり。
そうかと思うと、ささくれた気持を、一緒に飲んでる相手にぶつけて、八つ当たり的に絡んだりして。
絡まれた方は、いい迷惑である。
でもって、かつての私の嫌らしいところは、そういう、絡み酒になりそうな時には、「絡んでも怒らない人」を無意識に選んでいたことだ。
「しょーがねーなー」で済ませてくれる相手をつかまえて、絡んでいたことだ。
ひゃぁ。今思い返しても、かなり恥ずかしい。
あの頃は、自分で自分の気持がささくれていることに、気がつけなかったんだと思う。
いや、薄々は気がついていながら、そのことから目を逸らしていたかったのだ。
酒に逃げていたのだ。
ある時期から、「基本的に楽しい時しかお酒は飲まない」と決めているんだけど、それでも、ごくたまに、やっぱり、くしゃくしゃした気持を持て余して、お酒に手が伸びることもあるなぁ。
そういう時のお酒は、例えどんなにいい酒でも、まずい。
今は、気持がささくれてるなぁ、と思ったら、そのささくれ度の程度によって、対応することにしている。
ツバつけて治る程度のささくれなら、普段はかけない手間をたっぷりかけて、料理を作る。これが、効く。
丁寧にだしをとって作る煮物、なんぞが大変によろしい。
野菜をしっかり面取りしたり飾り切りにしたり、と、ちまちまとした手作業を続けていると、それだけで何だか気持が晴れてくる。
やがて、お鍋からふつふつと湯気が立ってくるころには、気持もほかほかとしてくるのだ。
気持のささくれも治まるし、美味しい料理も出来上がるし、と、これはこれで、中々気に入っている解決法の一つだ。
ツバつけるくらいじゃ治らないなぁ、絆創膏張らなくっちゃだ、というささくれ度の時は、いくつか対応パターンがあって、そのうちの一つは、どこか知らないところへ行ってみる、だ。
とはいえ、片道切符を握りしめ、一路機上の人、になるわけにはいかないので、「知らないところ」とはいえ、所詮は、都内近郊限定、になってしまうのだけど。
プチ家出、なんてのにすらならない、プチ遠出、みたいな感じ。
自宅の最寄り駅もしくは沿線の駅のロータリーから出ているバスに、ふらっと乗ってみる。
距離は長ければ長い方がいい。こ一時間前後、バスに揺られていられる路線を選んで、何の当てもなく乗ってみる。
車窓から見るともなく、ただただ通り過ぎていく景色をぼんやりと眺めてみる。
耳慣れない町名が次から次へとアナウンスされて、商店街から住宅街へ、一般道路から環状線へ、くるくると変わる景色を、ぼぉーっと目で追う。
終点で降りる町は、勿論知らない町並みで、そこでしばし、ぷらぷらとその町を探検してみたりするのだ。
本屋さんがあれば、そこに立ち寄ってみたり、歩き回った後で、立ち飲みのコーヒー屋さんで、行き交う人の流れをぼんやり眺めたり。
そうこうしているうちに、何だか、ささくれだってた気持が、すとん、と落ち着いてくるのだ。
「よしっ、帰って美味しいものでも作って食べよっ」
と、思う頃には、気持のささくれば、もう気にならなくなっている。
プチ遠出するほど、今一つ気が乗らない時は、「健康ランド」だ。
二つ先の駅前に、こぢんまりとした「健康ランド」があるので、お財布だけポケットに入れて出かける。
様々な効能が書かれた、様々な種類のお風呂に、気が済むまで入り倒すのだ。
疲れたら、ラウンジの椅子をリクライニングさせて、お昼寝だってできちゃうし。
老いも若いも、ぴちぴちもたるたるも、色んな女の裸が目の前を過ぎて行く。苦行のように目をつぶってサウナに入っている女もいれば、全身の力を抜いてジェットバスに身を浸らせている女もいる。
こんなに大勢の女がいるのに、みんなそれぞれ自分の身体のことだけにかまけている、というのがいい。
打たせ湯を肩に受けながら、ふ~っ、なんてひと息入れている自分が、何だか可笑しくなってくる。
ふと、鏡を見ると、家を出てくる時よりも、さっぱりつるんとした顔があって、何だ、大丈夫じゃん、と思えてくるのだ。
そうやって見てみると、あの背中も、この背中も、心なしか、入ってきた時よりも、ほんの少し、しゃん、となっている気がする。
それよりも、もっとささくれ度が大きい時。まぁ、そんなことは、そうそうないんだけど(そうまでならないように、事前に対応しているから、ね)、その時はもう、「寝る」。
何だ、すんごく単純じゃん、と思われるかもしれないけれど、これ私には良く効く。
眠ってしまうことで、ささくれだった気持を一旦クローズさせてしまうのだ。
息子を保育園に送り出した後、最低限の家事をこなしたら、とりあえず、目の前にある仕事には目をつぶって、朝っぱらからもう一度パジャマに着替えて、息子を迎えに行くまでの間、ひたすら眠る。
夜も、息子を寝かしつける時に、一緒に寝てしまう。これに限る。
単純なことだし、実は簡単なことなんだけど、これは、いざ実行しようと思うと、結構勇気がいる大技だ。確実に仕事は遅れるわけだし、家事だって最低限にすることで、どこか後ろめたいような気持にもなる。
でも、えいやっ! と寝てしまう。
自分で自分の日常を仕切り直す、みたいな感じ。
その上で、ささくれた自分の気持を見直すと、仕切り直す前には見えなかったことが、ぽつんと見えてくるのだ。
できれば、気持にささくれなんて作りたくない。
でも、できちゃうんだからしょうがない。
できちゃったささくれに、どうやって対応していくか。
これって、私にとっては一生もんのテーマかもしんないなぁ。でも、それはそれでいい気もする。
少なくとも、私は自分の気持のささくれから、もう逃げたりはしない。