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 最近、ときめいてな

 最近、ときめいてないなぁ。
 浴槽にとぷんとつかりながら、ふと思った。
 ひょっとして、あれか? 私の恋愛能力は結婚したことで、「あがって」しまったのか?
 いや、そんなはずはない。ないと思う。
 ないと思うのだけど、じゃぁ、最後にときめいたのはいつだったのか、というと、うんうん唸って頭をひねらないと思い出せないのだ。
 あぁ、何てこったい、血中恋愛モードが限りなく下がっているではないか。
 いかん、いかん、こんなことじゃいかーんっ! と思わず浴槽から立ち上がってしまったその後で、あ、何ムキになってんだか、自分、と、可笑しくなってしまった。
 どうなんだろう、私。恋をしたいんだろうか?
 ずずずずずっとお湯に沈みながら、自分に問いかけてみた。
 で、分かったのだ。
 私は、「恋をしたい」んじゃなくって、「もう恋ができないかもしれない」という、そのことが、何だか嫌なのだ。
 嫌だ、というのとはちょっと違うな。
 何か寂しくて物足りないような、そんな気がするのだ。
 
 恋をして、そして結婚したわけだけれど、じゃぁ、今も夫に対して恋をしているか、と聞かれたら、ちょっと困ってしまう。
 まぁ、いくら夫とはいえ、突き詰めて言ってしまえば、基本は今でもお互いがお互いに片思い、な状態なわけだ。
 私が夫を想う気持と、私が夫を想う気持、って、イコールじゃないから、さ。
 イコールじゃなくって当たり前だし。
 若い頃の私は、その当たり前に気づけなかった。
 だから、いつだって、「私はこんなに想っているのに」という気持がどっかにあったんだと思う。
 それは言い換えれば、「私がこんなに想っているんだから、あなたにも、もっともっと私のことを想って欲しい」ということだ。
 欲ばりだったよなぁ。
 でもって、私は自分のことを、いわゆる「尽くす」タイプだとも思っていた。
 いや、確かに、ある意味ではそうだったんだけど、でも、それは何て言うの、「真性尽くし型」ではなくて、「仮性尽くし型」だったのだ。
 つまり、私は、「こんなに相手を想って尽くしている自分」ってものに、独りうっとりしていただけだったのだ。
 だから、「尽くす」一方で、相手を振り回した。
 当時は振り回している、という意識はなかったんだけど、いや、充分振り回してましたってば。今から思えば。
 そして、その根っこには、無意識の「だって私、こんなに尽くしてるんだもん」という、すんげぇ思い上がりがあったのだと思う。
 性格悪すぎ。
 そうじゃなくって、尽くすとか尽くさないとかいうことじゃなくって、ごく自然に気を遣う、自分が気を遣っているという意識なしに、相手を思いやれるかどうか。
 それが大事なことなのだと思う。
 ちょっと話がズレちゃったな。
 私にとって夫という人は、すごく分かりやすく言えば、気を遣わないで思いやれる相手、ということになる、ということが言いたかったのだ。
 そういう意味では、今も夫との恋は継続すているのかもしれない。でもそれは、いわゆる「恋」とは、またちょっと別なものだからなぁ。
 
 江國香織『東京タワー』は、大学生の男の子二人が、、それぞれ年上の女生徒恋をする物語だ。
 一人は純粋に。もう一人は打算的に。
 一見、男の子が主人公の恋愛小説に思えるけれど、でも、この本で作者が本当に言いたかったこと、は、多分、いくつになっても女は恋ができる、ということだと思う。
 純粋に恋をする方の男の子と、年上の女性とは、二十歳も年齢が違うのである。
 40歳の女性と19歳の男の子。
 げっ、犯罪的じゃん、それ、と思ってしまう私がいる一方で、こういう物語があって欲しい、と願う私がいる。
 19歳の男の子に恋をする自分、は想像でできないけれど、19歳の男の子と恋ができるような自分でありたい、とは思うのだ。 
 そういう40歳でいたいなぁ、と思うのだ。
 そして、そう思えるうちは、何だか自分は大丈夫だ、という気がする。
 何が大丈夫なのか、自分でもよく分からないのだけど。

 とはいえ、今の私は、例え誰かを好きになっても、それを「恋」としてではなくて、「友情」として大事にしていくだろうなぁ、という気はする。
 そんなのは、恋じゃないよ、と言われればそれまでなんだけど、ね。
 実際、江國香織の本の帯コピーには、「恋はするものじゃなくて、おちるものだ」(ものすごく秀逸なコピーだよなぁ)と、あるんだけど。
 でも、もう人生の半分まで来ちゃっている私の実感として、一瞬の強烈な関係よりも、ゆるやかに穏やかに、永く続いていく関係の方を選んでいきたいなぁ、と思うのだ。
 そして、それは、「恋ができない」故の選択ではなくて、ちゃんと「恋ができる」その上での選択、でありたいのだ。
 だから、いくつになっても恋ができる自分でいたい、と思う。
 
 久しぶりに恋のことなんか考えて、お風呂から上り、歯を磨こうと思って歯磨き粉を手にしたら、結婚以来、口を酸っぱくして注意しているにもかかわらず、例によって、チューブの真ん中のところが、ぐにゅっとへこんでいた。
 何で、ちゃんと下から押さないかなぁ、もうっ、と夫を呼びつけようとして、止めた。
 多分、これからもこうやって、何度も私が怒って、そのたびに夫は聞いてるふりして、でもきっと彼のこのクセが改まることはないだろうなぁ、と思ったら、何だか可笑しくなってしまったのだ。
 ま、いっか。
 ぐにゅっとへこんだチューブを直して、いつもより時間をかけて、丁寧に歯を磨いた。

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