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 久しぶりに、祖母の

 久しぶりに、祖母の夢を見た。
 夢の中で、私は祖母を抱きしめていて、そして、泣きながら謝っていた。
「ごめんね。おばあちゃん、私にそばにいて欲しかったんだよね。そばにいてあげられなくて、ごめんね」
 目が覚めた時、目の周りがびしょびしょしてたので、あ、本当に泣いてたんだ、と分かった。
 そして、そうだ、私が祖母にすべきだったことは、祖母の孤独に共感してあげることだったんだなぁ、とその時、知った。
 もう、祖母が逝ってから、七年もたつのに。
 七年たって、ようやく、私は気がつくことができたのだ。
 いつも、私は大事なことに気づくのが遅い。

 生前の祖母は、事あるごとに、帰って来い、と、私に言い続けていた。同時に、「吉田」という姓を捨ててくれるな、とも。
 私は、そのどちらも守れなかった。
 どうして、あんなに、祖母は姓にこだわったんだろうなぁ、と思っていた。
 そのことは、長いこと私の中でひっかかっていたのだけど、自分が祖母にすべきだったことが分かって、ようやく、気がついたのだ。
 祖母がこだわっていたのは、姓ではなくて、ただただ、ごく普通の穏やかな家庭だったのだ。 
 自分は伴侶に先立たれ、一人娘は出奔し、残るは、血の繋がらない義理の息子(私の父である)と、ただ一人の孫である、私。
 祖母が望みを託せるのは、私しかいなかったのだ。
 私が築く、普通の穏やかな家庭の一角に、祖母は入りたかったのだと思う。
 そんな、ごくごくささやかな望み、は、でも叶うことはなかった。
 叶えてあげられなかった自分を、ずっと心のどこかで、私は責めて来たのだと思う。

 祖母が生きている当時は、でもそのことを言われるのが、本当に嫌だった。
 田舎に帰ったって、私のしたい仕事なんてなかったし、そもそも結婚する気がさらさらなかった私にとって、「吉田の姓」云々の話は、苦痛でしかなかったのだ。
 私の母は一人娘だったので、父は婿入りだった。
 で、その結果はどうか、といえば、当の母は、何もかも捨てて、家を出て行ってしまったじゃないか。
 そんなことも、祖母に面と向かって言ったりした。
 自分の娘ができなかったことを、孫の私に押しつけないでくれ、と。
 そんなに、姓にこだわるなら、私はこのさき一生独身で、「吉田」の姓のままで生きるから、とさえ言ったこともある。
 そのたびに、祖母は哀しそうな目をしたけれど、じゃあ好きにしなさい、とは言わなかった。
 そんなにも、祖母がこだわっていたことに、田舎を離れ、姓も変わった今になって、私は気がついている。
 何で、あの時、祖母の寂しさを受け止めてあげられなかったんだろう。
 私が責めを負うとしたら祖母のささやかな望みを叶えてあげられなかったことではなくて、祖母の傷みに共感してあげられなかったことだ。
 祖母の傷みを分かち合えなかったことだ。
 ずっと祖母の孤独から目を背けてきていたことだ。
 そのことを、祖母にずっと謝りたかった自分がいたんだなぁ、と思った。

 寂しさは、共有できない。
 例えば私があることで傷ついたとしても、夫はその傷みを共有できない。
 同じように、夫がどこかで傷ついて来たとしても、私はその傷みを共有できない。
 でも、共感することはできる。
 そうして、その、共感こそが、大事なことなのだ、と思う。
 
 山口瞳『居酒屋兆治』を知ったのは、同名の映画でだった。降旗康男監督で、主演は高倉健。
 兆治と幼なじみのさよを演じたのが大原麗子で、兆治の妻役が、加藤登記子だった。
 訳あって、結ばれなかった兆治とさよ。結婚後もさよは兆治を忘れることができない。
 兆治は、そんなさよの気持を知りつつ、どうすることもできない。既に兆治もさよも、それぞれの人生を歩んでいるのだから。
 それでも、兆治の心の中にも、さよはいる。
 兆治の妻は、そのことを知っている。
 そして、彼女は言うのだ。
「心の中で思っていることはとめられないもの」と。
 ずいぶん前に観た映画なので、多少の記憶違いがあるかもしれないけど、言っていることはそういう内容だったはずだ。そして、私の心の中に、一番残ったのが、その台詞だった。
 あんまり胸にしみたので、すぐ原作を買って来て読んだ。
 原作には、そういう台詞はなかった。
 なかったけれど、地の文から、兆治と妻の確かな絆みたいなものが透けて見えた。だから、映画のあの台詞は、ものすごく的を得た台詞だったんだなぁ、と改めて思った。
 つまり、心の中でさよを断ち切ることのできない兆治に、妻である彼女は、兆治の心のその部分には踏み込まないことで、共感しているのだ。
 それが、「心の中で思っていることはとめられない」という言葉に表れているのだ。
 相手の心の中に踏み込んでいくのではなく、そうやって、静かに相手の心に添うようにする共感もあるのだ、と私はその時知ったように思う。
 そういうふうになりたいなぁ、と思った。

 夢の中で、ぎゅうっと抱きしめた祖母の身体は、薄かった。
 何で、祖母が生きている間に、ああやって抱きしめてあげなかったんだろう。
 祖母が望むように生きられない、というのと、祖母の孤独に共感する、というのは、全く別のことだったのに。
 もし叶うなら、今一度だけでいいから、祖母を思いきり抱きしめてあげたい。
 あなたの人生は、でも、胸を張っていいことだったよ、と言ってあげたい。
 辛いことのほうが多かったろうけど、でも、ほら、私を見て。私は、今ここにこうして、しっかりと生きているよ、と。
 あなたは、私の中で、ずっと生きているんだよ、と。

 祖母の遺影に手をあわせて、明日は、お供えの花を買いに行こう、と思った。

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