« 前の記事 | 最新 | 次の記事 »

 祖母は子供好きな人

 祖母は子供好きな人だった。
 親戚の子供は言うに及ばず、家の前を登下校時に通りかかる子供たちとも、いつの間にか仲良くなっていたりした。
 犬を飼っていたことも、子供たちがちょっと立ち寄るのに丁度よかったのかもしれない。
 夕方、犬の吠え声に混じって、子供たちのきゃっきゃっ、という声が聞こえると、いただきもののお菓子を前掛けのポケットに入れて、そそくさと外に出て行った。
 犬を撫でやすいようにお座りをさせ、子供たちが代わる代わる、犬の頭を撫でているのを、愛おしそうに眺め、帰り際に小さな手にお菓子を渡して、遠ざかる背中に手を振っていた。
 ある時、祖母とスーパーに買い物に行くと、祖母がキャンディの袋に手を伸ばした。
「お祖母ちゃん、これ食べるの?」と聞くと、「たまに甘いものが食べたくなるんだよ」と言った。
 でも、それは、祖母が自分で食べるキャンディではなかった。
 下校時の子供たちに渡す、ちっちゃなおやつだったのだ。
「何で、よその子にそんなにまでするわけ?」 
 その頃私は大学生で、休みのたびに、しょっちゅう帰省していたのだ。
 で、当時の私は、そもそも子供、というのが嫌いだった。
 あんなもん、煩いだけじゃん。
 祖母は、あんたは何にも分かっちゃいない、という顔をして、「だってさ、考えてもごらん。あんなちっちゃな体に、あんな大っきなランドセル背負って、毎日毎日学校に通ってるんだよ。まだ、生まれてからたった6年か7年しかたってないっていうのに」
 祖母は、登校時に通りかかる子供たちには「行ってらっしゃい」と声をかけ、下校時に立ち寄る子供たちには、「車に気をつけて帰るんだよ」と見送っていた。祖母は、彼らから「犬のお祖母ちゃん」と呼ばれていた。

 そんなにも子供が好きだった祖母だが、自分の子供は一人しか産めなかった。それが、私の母だ。
 そして、祖母は、自分が産んだたった一人の子供から、去られていた。
「お祖母ちゃん、もっと子供欲しかった?」
 そう私が聞いた時の、祖母のあの、寂しそうな顔を覚えている。
「お祖父ちゃん、体が弱かったから」
 病弱だった祖父は、母が小さかった時から病床についていた。祖母は、祖父の看護をしながら、遮二無二働いて、母を育てた。
 私の質問が、何重もの意味で、祖母にとってはどれだけ残酷な質問だったか、あの時の私には分からなかった。
 そんなこと、聞くまでもなく、祖母は子供が欲しかったのだ。
 自分が育ったような、大家族が、きっと祖母は欲しかったのだ。
 祖母は、八人兄妹だった。

 柳美里『命』は、壮絶な物語である。
 この「命」には、生まれくる「命」と、閉じゆく「命」の二つの意味が込められている。
 生まれくる命は、作者のお腹の中の子供。
 閉じゆく命は、作者のかつての師であり、恋人であった男。
 各誌紙で絶賛されているこの物語(というよりは、ノンフィクション、か)だけど、そして、絶賛される理由も良く分かるのだけど、それでも私はこの物語を、半分しか好きになれない。
 閉じゆく命の物語には涙するけれど、生まれくる命の物語には、どうしても共感できないのだ。
 妻子ある男との恋、妊娠、そして別れ。
 その別れの壮絶さ、恋の終りの傷ましさ、が、単に男と女の物語であるなら、それはそれで、いい。
 一つの愛の終りには、多かれ少なかれ綺麗事では済まされない場面があるものだから。
 想いが深ければ深かったほど、受ける傷も、与える傷も大きいのは当たり前なのだから。
 しかも、この場合は、相手には既に家庭があったのだから、それだけでも、双方の傷の深さは伺い知れる。
 そういうことを赤裸々に書き残す、というのが、作家にとって、ある種の「業」のようなものだとすれば、それはそれでいい、と思うのだ。そのことは否定はしない。
 でも、じゃぁ、生まれくる命にとって、その物語が必要なのかどうか。
 自分の父でもある男が、自分の誕生そのものに否定的だった事実が、「作品として残っていくこと」は、少なくとも私には、とても残酷なことに思えてしまうのだ。
 だって、どんなに社会的な繋がりを断ち切ろうとも、自分の中には、その父である男の血が通じているんだよ。
 それは、あまりにも、切なくないか?
 私だったら、そんなドラマを予め背負わされるのは、嫌だなぁ。
 自分のドラマは、自分が生まれ落ちたその時から、始まっていきたい。
 勿論、作家であると同時に、母でもある作者は、そんなことなんか、百も承知のことだろう。
 その上で活字にしたわけだから、相当の覚悟もあったはずだ。
 そんなドラマをはね返すだけの、生まれくる命への愛おしさがあったのだと思う。
 でも、と私は思う。
 それでも、それは、やっぱり残酷なことだ、と。

 祖母と私は、あるドキュメンタリー番組を見ていた。もうタイトルもどの局で放映されていたのかも忘れてしまったけれど、それは、障害児を抱える一家の話だった。
 障害を持って生まれ落ちた、一人息子との日々。成人を過ぎた息子は、しかし、幼子のように、一人では何もできない。
 番組の終り近く、その夫婦は語った。
 今はもう、自分たちも年老いていくだけだけど、少しでも長く生きて、この子の世話をしたいのだ、と。
それだけが願いだ、と。私たちは、この子が可愛くて可愛くてしょうがないのだ、と。
 見終った後、祖母は目頭を押さえていた。
「本当に、可愛い、のかなぁ」ぽつりと私が漏らすと、祖母は私をしみじみと見て言った。
「お前は、大学まで出ても、やっぱり何にも分かってないんだの」と。「人間として、肝心なこと、まだまだ分かってないんだの」と。
「五体満足に生まれてもこんなに可愛いのに、そうじゃなくて生まれて来た子は、なおさら可愛いに決まってるべさ」

 あの夜から、ずいぶん時間が経ったけれど、私は未だに、あの時の祖母の言葉を超えられずにいる。
 今年は、祖母の七回忌だった。

« 前の記事 | 最新 | 次の記事 »

Powered by
Movable Type 3.34

ページTOPへ