以前にもちらっと書いたのだけど、私はいわゆる離婚家庭で育った。
祖母と、父と、私。祖母というのは、父方の祖母ではなく、離婚したその母方の祖母という、ちょいと込み入った構成だった。
込み入っている分だけ、愛情も憎しみも濃かった。
あの濃さは何だったんだろう、とずっと思っていたんだけど、ある日、ふと気がついたんだよね。
私たちは、祖母も、父も、私も、皆それぞれに「置いていかれた者どうし」だったんだ、と。
祖母は娘に、父は妻に、そして私は母に、と、それぞれ立場が違いこそすれ、みんな、置いていかれたんだ、と。
置いていかれた、というか、以前の私は、それをイコール捨てられた、というふうに思っていたのだけど、血の繋りってのは、捨てたり拾ったりできるもんじゃない、と、自分が子供を産んでみて、初めて実感できたんである。
そっか、私は捨てられたんでも何でもなくて、ただただ、置いていかれただけだったんだなー、って。
そして、気がついたのだ、祖母も、父も、また同様に置いていかれた者だったのだ、と。
そう思ったら、自然と泣けてきて、あらら、と思う間もなく、私は声をあげて泣いていた。
悲しいのだけど、それと同時に、自分の中にあった何かが浄化されていく気もした。
泣きやんだ後、あぁ、もっと早く気がつけば良かったなぁ、と思った。
祖母の遺影に、手を合わせた。
置いていかれた者どうしの三人が、じゃぁ、同じ傷みを持つものどうしで、労りあって暮らしていけたら、それはそれで、でも嘘くさかったよな、と今は思う。
同じ傷みを持つものどうしだからこそ、一旦ぶつかり合うとすごかった。
さすがに、祖母も父も大人だったから、口にこそしなかったが、私は、ばしばし、傷口を抉るような言葉を口にした。
家族のぶつかり合いにも、大波小波があって、小波ぐらいは何とかやりすごせても、大波はそうはいかない。
お互いのいいところも悪いところも、家族だからこそ、いや、家族にしかわからない部分というのがいっぱいあって、頭にかっかと血が上っている時には、その悪いところだけが、クローズアップされるのである。
私が祖母に向かって投げつけた、一番ひどい言葉は「何よ、おばあちゃんだって、自分の娘に捨てられたくせに」だ。
あぁ、今こうやって書いてても、自分の残酷さに身を捩りたくなる。
まぁね、うちの祖母も気が強い人だったので、そんな言葉に傷つくような素振りは、塵も見せなかったし、その言葉に怯むどころか、「それとこれとは話が別だ」と切り返してくるくらいだったのだけど、その裏で、どんなに私の言葉が祖母を傷つけていたか、もう謝りたくても謝れない今になって、よく分かる。
ただ、祖母にはそう言えても、父に対して、「自分のヨメに捨てられたくせに」とは、さすがに言えなかった。
どんなに馬鹿な頭でも、それだけは私が言ってはいけない気がした。
若くてどうしようもなく未熟だったけど、それでも、親子のことと、夫婦のことっていうのは、いっしょくたにしてはいけないことだ、というのはどっかで分かっていたんだと思う。
そして、いくら子供とはいえ、夫婦のことには立ちいってはいけないんだ、と、空っぽの頭ながら分かっていたんだと思う。
メアリー・モリス『シングル・マザー』を読んだ時、あぁ、これは私だ、と思った。
これは、ヒロインが文字通りシングル・マザーとして生きていく物語なんだけど、その物語の背景にある、「母に置き去りにされた娘」というヒロインの立場が、私と同じだ、と思ったのだ。
「家出をする前から、母は私を置き去りにする練習をしていた。」
この冒頭の一行で、私はこの本の虜になった。
ヒロインの母親に対する葛藤は、そのまま私の葛藤でもあった。
この本を読んだ時は、私には結婚する予定もなかったし、ましてや、いつか自分が母親になる日がくるなんて、思いもしなかったのだけど、シングル・マザーとして生きながら、自分を置き去りにした母親の影を、日々の暮らしの中で否応なしに追い求めてしまうヒロインの姿が胸にしみた。
母に置き去りにされたヒロインが、自分もいつしか自分の子供を置き去りにしてしまうかもしれない、というその不安。
同時に語られる、ヒロインが母親と過ごした、かつての美しい記憶。
この、静かで、哀しくて、それでいて勁さを持った物語を、何度繰り返して読んだか分からない。
読むたびに、いつも少しだけ、元気をもらっているように思う。
今、振り返っても、祖母も、父も、私も、本当に不器用だったんだなぁ、と思う。
不器用だったから、お互いの傷みに目をつぶることができなくて、かといって、それを取り繕うように労り合うこともできなかったけど、でも、親子なんて、多かれ少なかれ、そんなもんじゃないかなぁ、と思う。
親子だから、言ってはいけないことを言ってしまうし、でも、親子だから、それでも絶ち切れることはなく、どこかで伸ばした手と手が繋っている。
手を繋ぎあっているのが、どこか照れくさくて、手を伸ばしたりしてないよ、なんて、涼しい顔したりもしてるけど、でも、本当は、ちゃんと手は伸びている。伸ばした手の先には、もう一つの手がある。
よく、娘は自分の父親に似た人を好きになる、というけれど、私は、えー、そんなことない、少なくとも私には当てはまらないぞ、絶対、本当、なんて思っていた。
そんなの、照れくさいを通り越して、恥ずかしい、と思っていた。
だけど、最近、あ、でも案外当たってるかもなぁ、と思うことがある。
ばりばりの自衛隊員だった父と、フリーといえば聞こえはいいけど、その実ただぶらぶらしてるのが根っから好きなダンナとは、そもそも、似ているところを見つけること事体至難の技なのだけど、実は意外な共通点があるのだ。
それは、他人の悪口を言わない、ってことだ。
似ているところ、ったら、それと、後は大酒飲み、ってことの、それだけなんだけど、でも、そのことに気がついた時、私は何だかすごく嬉しかった。
素直に、すごく嬉しいと思える自分がいて、良かった、と思った。