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二十代の自分、をひ

二十代の自分、をひと言で表すなら、「何かになりたかった」ということに尽きるような気がする。
 何か、とは、その時の状況や気分によって、それこそ、ピンからキリまであったんだけど、まぁ、要するに「今の自分以上の何か」、ってことだ。
「りゅうとした」眉毛になりたい、「身長マイナス115の体重になりたい」なんてのから、「仕事の面で一目置かれたい」なんてのまで、とにかく、ちっぽけな今の自分から、もっとこう、何ていうんだろ、取るに足る自分、になりたかったのだ。
「何ものでもない自分」というのが、たまらなく嫌だったのである。
 あの頃、一つの恋が終わると必死になって次の恋を追いかけていたのは、一人になりたくない、淋しいのは嫌だ、というのが大きかったのだけど、同時に、この、「何ものでもない自分」から逃れたい、というのも大きな理由だったんだなぁ、と思う。
 つまり、恋をしている間は、「何ものでもない自分」が、少なくとも「誰かの彼女」という立場でいられるのだ。だからきっと、私はあんなに必死だったのだと思う。
 何だかなぁ。
「何ものでもない自分」が、そんなに嫌だったら、もっと努力すれば良かったのに、肝心の努力の部分には蓋をして、手っ取り早く「何か」になりたがっていたのだ。
 その、「何か」が「誰かの彼女」ってあたりが、本当に、何だかなぁ、だ。
 あの当時、恋に向かって・ばばぁーんとつっ走ったエネルギーの半分でも、もう少し「自分育て」に向けられてたら、もっとずっと早く楽になれてたのになぁ、と思う。
 と、同時に、あの、後ろを振り返ることなく、立ち止まることなく、がむしゃらに相手の胸に飛び込んでいった自分を、それはそれでまぁ、がんばってたじゃん、とほんの少し褒めてあげたい気もする。
 例え、それが、ちょっとピントのズレた頑張り方であったにせよ、真剣だったもんなぁ。その分、あちこちにすり傷をこさえたけ、痛くて泣いたりしたけど、それでもどっか少しだけは、褒めてあげたい気もする。

「何ものでもない自分」でいいじゃん。自分は自分そのままでいいじゃん。
 いつからそう思うようになったんだっけかなぁ。
 二十代の時はとてもそんなふうには思えなかったのが、するんとそう思えるようになったのは。
 婚約までしてた人と別れ、その1年半後には、幼い頃から母代わりだった祖母が逝き、と私の三十代は思いきり沈んだところから始まった。
 あんまり沈みすぎて、「何かになりたい自分」なんて、遠くの彼方へ行っちゃったんである。
 それまでは、淋しさを理由に、常に誰かに寄りかかっていたのを、これじゃいかん、と遅まきながら自分の中の淋しさと向かい合っていたあの頃。
 あの頃は、とにかく、現状の自分、あるがまんまの自分を維持するのがやっとだったんである。ついつい後ろ向きになりそうな気持を抱えて、それでも何とか次の一歩を踏み出すのに必死で、とてもじゃないけど「何か」になりたがる余裕なんてなかった。
 前を向くというよりは、自分の足下をはしっと見つめ続ける以外になかったのだ。
 そんなこんなの、じたばたともがいたりあがいたりして、日々を過ごしているうちに、自分の「身の丈」というものが、見えてきたんである。
 自分にできること、できないこと、かなう想い、かなわない想い、自分の中の嫌な部分、良い部分、それらを全部引っくるめて、それが自分なんだ、と腹を括ったんだと思う。
 できないことを嘆くでなく、できることを誇示することなく、なすがまんま、あるがまんまで、でも、前を向いて歩いて行こう、とそう思ったのだ。
「何か」になるんではなくて、自分でいよう、まんまの自分でいよう、と思ったのだ。
 だってさ、それしかないじゃん。
 私は私で、それ以下でもそれ以上でもない。はははっ、それでいいんだもんね。

 幸田文『月の塵』に収められている随筆の中で、特に私が好きなのは、「個人教授」という随筆だ。
 些細なことで、あてこすりを言われ、「くやしくて、むかむかして、ものもいえなかった」筆者が、父親に事の顛末を話して、諭される箇所が、いいのだ。
「そういうように、本当のことをいわれたときには、素直に、仰せの通りだといえばいい。恥かしいと思ったのなら、それもそのままお恥かしゅうといい、御指摘いただきましたのをよいたよりにいたしたく、何卒御指導を、と万事すなおに、本心教えを乞うて、何にもせよ、一つでも半分でもおぼえて取る気に
なれば、よかったではないか。水の流れるように、さからわず、そしてひたひたと相手の中へひろがってゆけば、カッと抵抗してたかぶるみじめさからだけは、少なくものがれることはできた筈だと教えてくれ、それを教えておかなかったのは、親の手落ちで、すまないことをした、といった。」
 幸田文の父は、かの幸田露伴であり、ならばこそ、の言葉であるのだが、この中の、「水の流れるようにさからわず、そしてひたひたと相手の中へひろがってゆけば、カッと抵抗してたかぶるみじめさからだけは、少なくものがれることはできた筈」という部分は、何度読んでも、はぁーっと思う。
 こんなふうに、心を穏やかに保っていたい、と思う。
 スーパーの値引き品に、同時に手が伸びた時、思わずむんずと自分の方に引き寄せたことも恥かしいが、取り損なった相手のオババから「ふんっ」と捨てゼリフならぬ、捨て鼻息を投げかけられて「カッと抵抗してたかぶる」自分は、もっと恥かしいんである。
 何かになりたい、とはもう思わないけど、こういう自分を、も少しどうにかしたい、とは思っている。

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