自分が結婚してみて思ったのは、「結婚って、するよりも、それを続けていくことのほうが面白い」ってことだ。
「あのな、どんなに好きな相手でも、一緒に暮らしてりゃ、嫌なとこの一つや二つは目につくんだよ。でもな、そんなもん、慣れだ、慣れ」
これは、私が結婚する時に、ある人から言われた言葉だ。
言われた時は、そんなもんかなぁ、ぐらいにしか思わなかったけど、今じゃ、その通り! と思っている。
相手の嫌な部分に慣れることができるかどうか、嫌な部分になれることができるくらいに、相手を許容できるかどうか。そして、これが肝心なんだけど、そのことを面白がれるかどうか。あ、面白がれるってのはちょっと違うか、それが苦じゃないかどうか。うん、こっちの方が近いな。結婚生活の鍵って、案外そんなあたりにあったりする、と私は思っている。
例えば、私は、汚れ物をひっくり返しにしたまま、洗濯籠に放り込まれるのがものすごく嫌だ。裏返ったまま洗濯されたものを、干す時にいちいち直すのにうんざりしてしまうのである。あ、面倒くさぁ、って思ってしまうのだ。
たかが洗濯。されど洗濯。日々の暮らしのこまごましたことって、結構馬鹿にならないんである。
ところが、うちのダンナという人は、何度言っても、裏返しのまんま、洗濯籠に放り込む人なのである。
最初のうちは、裏返った洗濯物を私が発見するたびに、洗濯籠の前までダンナを連行し、「現物」を突きつけて直してもらっていたのだけど、そのうち諦めた。今でも時々裏返った洗濯物を発見しては「けっ、またか」と思うことは時々あるけれど、そのことをいちいち指摘したりはしなくなってしまった。
これが、慣れ、ね。
たまに、私の機嫌が悪かったりすると(朝の8時に泥酔状態で帰宅されたりする時とか、である)、耳たぶ引っ張って洗濯籠の前に連行することは、今でもあるんだけどね。
洗濯物に関しては、私がダンナに慣れたケースの一つだけれども、その逆で、ダンナが私に慣れた、というケースもある。
それは、ゴミの分別である。
あ、そりゃ私だって、可燃ゴミと不燃ゴミの区別くらいしてる。加えて、私が住む区では、資源ゴミの分別もあるので、それもしている。
私がついついしてしまうのは、ペットボトルのフタをとらずに捨ててしまう、ことだ。これに関しては、根が大ざっぱ(ダンナに言わせると雑)な私は、別にいいじゃん、同じ燃えないゴミなんだし、ぐらいにしか思ってないのだが、これがダンナにとっては、堪えがたいことらしいのだ。
一緒に暮らした当初は、不燃ゴミにフタ付きのものを発見するたびに、いちいち注意され、同時にその大ざっぱさ(ダンナに言わせると雑さ)を指摘されたりしてたのだが、いつの間にか、不燃ゴミにフタ付きのものを見つけても、何も言わずにそっとフタをはずしてゴミ箱に戻すようになったダンナである(ただし不機嫌な時はため息付き、だけど)。
私は私で、ゴミにそんなに注意を払えるのなら、洗濯物にも注意を払えよ、と思ってるし、ダンナはダンナで、洗濯物にそんなに神経質になるのなら、ゴミの分別にももっと神経質になれよ、と思っているだろう。でも、暮らしていくうちに、どっちも慣れてしまうものなのだ。「嫌なこと」には変わりはないのだけど、それが気にならなくなってくるのである。気になら
なくなる、というか、「ま、しょうがないなぁ」で済んでしまうのだ。
これって、私は、すごく面白い。あんなに嫌だったことが、「ま、しょうがない」になるんだよ。面白いなぁ、本当、そう思う。
夫婦っていったって、所詮他人だ、と私は思っている。昔の私は、その「所詮他人だ」という事実を後ろ向きにしか捉えられなかった。
所詮他人ーー何て淋しいことなんだろう、って、そう思っていた。今こうやって手をつないでいる彼だって、結局は他人なのだ。人間って、何て淋しい生き物なんだろう、って←はははっ、馬鹿。
他人同士が手をつないでいる、そのことの面白さに気がつけなかったのだ。
結局は一人でしかない者どうしが、お互いに歩み寄る、そのことの素敵さを、素直に楽しめば良かったのに。
恋愛の真っ最中の、山あり谷あり状態にいるAちゃんが、「どうして彼は、私のことをもっと分かってくれないんだろう」と、グチりにやって来た。
「そりゃ、他人だからでしょ」と、私。
年下の友人は、えぇーっ、そんなぁ、あんまりなぁ、ってな顔をする。
「だってそうじゃん。それはしょうがないことなんだって。そんなことよりさ、相手が自分の目の前にいてくれる、そのことのほうがずっとずっと大事なことなんだよ。相手が自分に手を差し出している、そのことの方が、何倍も何倍もすごいことじゃん」
「そうかなぁ」
そうだってば。年上の意見は聞きなさい。
「でも、こないだだって、せっかくの休みの日だからって張り切ってシチュー煮たのに、少ししか食べてくれなかったし」
「シチュー嫌いだったんじゃないの?」と茶化したらAちゃんがむくれたので、も少し説明を加えた。
「あのさ、そのシチューって、彼のリクエストだったわけ?」
「じゃなくて、ほら、寒かったし、一人暮らしで野菜不足かな、とかって」
「じゃ、話は簡単じゃん。その時の彼は単純にシチューがそんなに食べたくなかっただけなんじゃないの」
「でも…………」
「シチュー作りたかったのはAちゃんでしょ。で、Aちゃんが作りたかったものと彼が食べたかったものが、一致しなかった、のかもしれない、ってことで、それだけのことじゃん」
うーん、と考え込むAちゃんを前に、私はグラスにビールを注ぐ。
「食べたくなかったものを無理して食べるのも優しさかもしれなけれどさ、食べたくないものを無理して食ないってのも、同じ優しさだって私は思うよ」
さらに言えば、私は、食べたくないものを無理して食べない男の優しさのほうが好きだ(ま、TPOもあるけどね)。そして、そういう男の方が、つき合う上では長持ちすることも経験上分かっている。まぁ、でもいいよ、Aちゃんがそのことに気づくまで、何度でもグチりにおいで。
自分が相手にしてあげたいことと、相手がして欲しいことが一致するってことは、すんごく難しいことだ。当たり前のことなんだけど。当たり前すぎて、つい忘れちゃいそうになるんだけど。でもこのことは「慣れだ、慣れ」の言葉と一緒に、私の結婚生活(あ、何か恥ずかしいぞ)の灯台になっている。