知り合ってまだ間もないある日のこと、オレはリリアナと連れ立って昼メシを食べに出かけた。連れ立ってなんて書いたけど、ほんとはスペイン語もろくにしゃべれないオレが、彼女のなじみの安レストランへ連れていってもらったのだ。
リリアナの行きつけの店は学生街の裏道にある、これぞ「正統派スペイン安食堂・気の良いオヤジつき」というものであった。
二人が赤い布のかかったテーブルにつくと、30代半ばぐらい、きれいに髪をなでつけた赤ら顔の小柄なセニョールがやってきた。人の良さそうな笑みを浮かべ、「ブエナス・タルデス!」と言いながら、テーブルクロス代わりの白い紙をピッピッと手際良く敷いてくれる。
リリアナに向かって、「元気にしてるかい?」「今日は何を食べる?」などと親しげに話しかけているプチトマトのようなセニョールの様子に、オレは、「ああ、これはいいレストランかもしれない」と思った。
店の奥の調理場から、これまた赤いホッペの元気そうなセニョーラが顔を出し、「あらっ、リリアナ! コモ・エスタス?」なぁんて。
おお、これは、おっかぁが料理を作り亭主がカマレロをつとめるスペイン夫婦食堂ではないか。
メニューを開いてサッと差し出してから並べるフォークやナイフは、そこらの金物屋で一組300円ぐらいで売っているような安物だし、テーブルの上に並んだ酢と油を入れたガラス製の容器や塩入れもそっけないシロモノだったが、明るくて気分の良い応対とよく掃除の行き届いた店内の様子に、すっかりうれしくなってしまった。
リリアナが「さて、何を食べようか?」とたずねる。そう言われても、おいらろくにメニューも読めやしなかった。
「オネガイ、キミ・タノム、ダイジョウブ……どーじょ」
電報のようなエンゲレッシュで意思を表明すると、リリアナは、
「ワタシ・タノム、アンタ・タベル、ダイジョウブ?」
こちらも電報エンゲレッシュで答えた。
オーダーを終えると、テーブルに置かれた籠いっぱいのパンを頬ばりながら、二人は怪しのエンゲレッシュをあやつって会話にはげんだ。
うまく話の通じないもどかしさに、リリアナはボールペンを取り出してクロス代わりの白い紙に絵を描いて見せた。(こいつはいいや!)と、オレもうまく説明できない時にはヘタな絵や地図を描いたりして、ボキャブラリーの貧しさをおぎなう。
デキャンタの赤ワインを運んできたプチトマ・セニョールは、そんなオレたちを見て怒るどころかニッコリと笑って、「そいつは名案だね!」と片目をパチッとつむって見せた。
パンを食べつつ描き語りにはげんでいると、一皿目の料理が到着した。まずは、レタス、玉ねぎ、トマトのミックスサラダ。これはお客がテーブルにある酢と油、それに塩をふって混ぜ合わせ、好みの味に仕上げる。きわめて単純な野菜サラダなのだが、スペインの陽射しの中で育った野菜はどれも本当の味がするのだ。
レタスは緑の生気をたっぷりと含み、玉ねぎはほのかに甘い。真っ赤に熟したトマトはグズグズと笑いくずれて、その果汁がスパイスと野菜を絶妙に調和させている。メルルーサ(白身の魚)のフライと付け合わせの山盛りフライドポテトは、どちらもこんがりパリパリのホックリふっくら。サッとふりかける塩味が実に効果的で、う、うまい!
これにパンと赤ワインが参加すると、シンプルなコンビネーションなれど、まるで小気味よいジャズカルテットの演奏のような味わい。いささかのコーフンと満足感につつまれて、ひととき生きていることの快感に酔いしれる。
食事が終わると、リリアナはデザートのオレンジの皮をナイフでクルクルと器用にむいて、ガブリとかぶりついた。
「うぅーっ、おいしいよ! これ……」
なんのなんの。オレはオーブンでこんがりと焼き上げられた卵たっぷりの自家製プリンをウグウグと味わいつつ、「ううーん、おいしい!」。
食後のコーヒーを飲み終わるまで、二人はゆっくりと食事を楽しみながらたくさんのことを話し書きまくった。白いスペースが無くなると皿をどかしてまた書いた、どんどん描いた。
勘定をするためにやってきたプチトマ・セニョールは、いつも通り白い紙の上に料理の値段をひとつずつ書きつけて計算をしようとして、目を丸くした。
「こりゃまた! 計算する場所がどこにも残っていない!」
オレとリリアナは思わず顔を見合わせて、「あはは!」と笑った。プチトマ・セニョールがちょっと首をかしげてニコニコと笑いながらたずねた。
「食事には満足しましたか?」
「ペルフェクト、ムゥイ・ビエン!」
とっても良かったと答えるリリアナの言葉に、オレは何度も大きくうなずいて見せ、
「ぺるふぇくと!」
おぼえたての賛辞をオウムのごとく叫んだ。
....つづく