1977年、24歳の秋。3年近い沖縄での生活から東京に戻り、先の見えない暮らしにくすぶっていたオレは、あるスペイン帰りの男と知り合った。
「スペインは最高だよ! 日本人なんか大歓迎。とにかく一度行ってみな……」
やたらと調子のいいところがいささか不安だったが、その言葉は、何かを待っていたオレの心に、まるで神からのメッセージのようにゴシック体で飛び込んできた。
その日から、頭の中はまだ見ぬスペイン一色となり、体を張って必死の旅費作りをはじめた。しかし、我慢も二カ月が限界。「いま行く、すぐ行く、早く行く!」鼻息も荒く、下北沢の安酒場で見切り発車を決断することになってしまった。金はまだ足りないが、飛行機の切符を片道にして浮いた分を滞在費にし、金がなくなったら現地で稼げばいいのだ。いま思えば無謀な話だが、要するにせっかちなのである。
とは言うものの、不安がまったくなかったわけではない。なんといっても初めての海外旅行なのだ。するとまたしても偶然のなせるワザ、今度はペドゥロというアルゼンチン人がオレの前に登場して、耳寄りな情報をもたらした。
このペドゥロというやつは、世界を股にかけての路上販売、いわば国際道売り稼業のツワモノで、先月は大阪のエビスさん、今月は東京渋谷あたり、来月にはタイで銀製品を仕入れてからスイスに向かい、その後は南半球のオーストラリアに飛んで夏のリゾート地で稼ぐのだと言う。東京での宿は引っかけたオンナの部屋(金髪に青い瞳の知的な男前だもんで、女の方から寄ってくるのだ。ゥンニャロメ……)で、うまくいかない時には知り合いの部屋を泊まり歩いていた。
彼が教えてくれた話とはこうである。
ある年の夏、南仏のリゾート地に一人の白人青年がやってきた。砂浜に一枚の布を広げた彼はリュックからワラの束を取り出すと、おもむろにワラジを編みはじめる。すると、海岸をブラつく人人が思わぬパフォーマンスに足を止め、まわりに人垣を作ったという。
やがて若者は編み上げたワラジを布の上に置くと、あたりの人々に向かって、
「オール・ハンドメイド。エニィサイズ・アイ・メイク」
と、笑顔でのたまわり、それから毎日、彼のワラジは飛ぶように売れたのだそうだ。空飛ぶワラジである。半月後、彼は海岸に並ぶ物売りの店の一角を借りてさらに増した人垣に囲まれワラジを作り続け、夏が終わる頃には一軒の店を手に入れて、若きオーナーにおさまったのだという。
「これだよ、これ! 絶対にイケるぞ! お前いくら払う? このネタに」
ペドゥロは、できることなら自分がやりたい、お前、ワラジの作り方を教えてくれないか? とオレにたずねた。さらに、
「もし日本人がやったら、もっと売れるぞ。お前キモノを着てやってみな、スゴイことになるぞ!」
などと言うものだから、それ以来、寝ても覚めても頭の中でワラジが舞い踊ることになった。よし、これでいこう。すかさず飛A高山へ出かけて行って、大量のワラジを買い込んできた。
しかし、オレの部屋に積み上げられたワラジの山を見て、ペドゥロは目を白青させた。
「ユー・ノォ、俺の話で一番肝心なところは……その場で作って見せるということなんだぞ。それでなくちゃ、ハンドメイドだといって感心してくれないんだぞ!」
「アイ・ノォ、アイ・ノォ……でもね、オレにはワラジは編めないんだ。そのかわり、オレにもワラジはほぐせるんだ!」
「ワット? ワッドゥユー・ミーン?」
ワラジを編めないなら、ほぐしていけばいいのだ。少しずつほぐしたワラジを海岸に持っていって、元の形に編み直していれば、人目には編んでいるように見えるだろう。いくつもほぐしているうちには、作り方だっておぼえるだろうし、編んでいるのはパフォーマンス用で、できてるやつをどんどん売ればいい。
「フゥーム……」
オレの話を聞いてペドゥロは唸りながら何度もうなずいた。
こうして、150足のワラジと古着物、それに万が一に備えた秘密兵器などを詰め込んだ旅の荷物は、恐ろしいほどの大きさに膨れ上がった。巨大なキスリングザックを背負って両手にバッグを下げ、鏡を見てみれば、初めての海外旅行に旅立つ晴れ姿というよりも、まるで上野駅の赤帽のようなオレが立っていた。
というわけで、片道切符にわずか300ドルの現金という、まさに背水の陣、正確には背ワラジの陣のエスパニア巡業旅は、プエルタ・デル・ソル「太陽の門」広場からはじまる。