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連載第9回  世話好きチョウさん 【その4】

 港で小用を済ませた私が、寒さに身を震わせながら、遅れて小屋に駆け込むと、中は一転してカラリとした熱気に包まれていた。入ってすぐ右側に、昔懐かしいだるま型のマキストーブが置いてある。私がまだ小学校のころ、わが家にもこれと同じストーブがあった。薪の入手が困難になったせいか、今ではほとんど見かけなくなったが、考えてみればここは造船所であるから、木材には事欠かないはずである。
 二人は、立ったままスト-ブに手をかざしていた。パチパチという薪の爆ぜる音に混じって、聞き覚えのある声が二つ、乾燥した小屋の中に小気味よく響く。どうやら漁の話をしているらしい。十数年ぶりの再会を果たしたというのに、二人の会話は心なしか淡淡としているように思えた。
 「こんにちは」
 私はコートについた雪を手で払いながら、ペコリと頭を下げた。長さんは、チラリとこちらを見ると、やや無愛想な声で「ああ」と言っただけで、すぐに的場さんの方へと顔を向けてしまった。
(あれっ、せっかく会いに来たのに……)
 もう少し濃やかな言葉を期待していた私は、内心ガッカリしていた。ひょっとしたら、長さんは私のことなど憶えていないのでは? そんな不安がつい頭をよぎってしまう。出会いを印象的なものとして心にとどめていたのは、どうやら私の方だけだったらしい。
 私は気を取り直して二人の側へと歩み寄った。漁師が三人、マキストーブを囲みながら海の話に耽ける光景というのは、はた目にはなかなか良いものかもしれないが、やっぱり長さんは、私の顔をすっかり忘れてしまっているようで、その実、長さんが私に向かって何かを話しかけるという事は、ほとんど無かった。私はなんとなく所在ない気がして、視線を宙にさまよわせながら、造りかけのテンマをぼんやりと眺めたりしていた。
 「ところで長さん、このあたりでふくべ網を使っている人はおらんかな? いや、実はね、知合いから探してくれと頼まれているんや。予備の網を持っている人がおったら、譲ってもらえんやろか?」
 それまで定置網の仕事について、色々と長さんに話して聞かせていた的場さんが、ふいに話を変えた。どうやら用事があると言ったのは、このことらしい。
 長さんはハイライトをくわえたまま、「う~ん」とうなるように考えこんだ。
 「何人か使っている人はおるけど…。ちょっと聞いてみようかい。」
 最後まで言い終わらないうちに、長さんはおもむろに歩き始めた。ストーブから2メートルほど離れた入口のすぐ側に、肌色の公衆電話がポツンと立っている。いまではすっかり見かけなくなった、硬貨専用の電話機である。長さん以外、人の出入りなどほとんどないはずの造船小屋に公衆電話など似合わない気がするのだが、マキストーブといい、公衆電話といい、こうした小物達の存在が、長さんをますます不思議な老人に仕立ててゆくのだなあと、私は妙に納得しながら、長さんと電話機を交互に眺めた。
 長さんは電話機の上に高く積まれた10円玉から一枚をつかむと、電話帳を開いてダイヤルを回した。電話はすぐにつながった。 
 「おお、わしや、立花や。いや実はな、いま知合いが来とるんやけど、その人がふくべ網を探しているんや。あんた、予備は持っとらんけ? ……おお、そうか、まあひとつよろしく頼むわい。」
 長さんは受話器を置くと、ニコニコと笑いながら的場さんの側へと歩み寄った。話の内容からして、どうやら脈はありそうである。
 「探してみると言っとったわい。多分あるやろ。」
 「ほんとけ、いやあ、助かるわい。なかなか見つからんで困っとったんや。」
 的場さんは嬉しそうに白い歯を見せた。
 「それで、もしあったらどうするね?」
 「そうやなあ、それじゃあスマンけど、俺の所に電話くれるけ?」
 的場さんがそう言うと、長さんはとたんにすまなそうな顔をして、頭をポリポリと掻きはじめた。
 「いや、ところで… わしはさっきからずっと気になっとったんやが…、あんたいったい誰やったかな?」
 的場さんはにわかに興ざめした表情で、ポカンと口を開けたまま、長さんの顔を眺めた。
 「ちゃ、ちゃんと顔は覚えとる。顔は覚えとるんやが、名前がちょっと…」
 たじろぐように、尻すぼみになってゆく長さんの声は、やがてストーブの音にかき消されてしまい、最後まで聞き取ることはできなかった。

*ふくべ網 一隻のテンマに、漁具や網がすべて収まってしまうほど、超小型の定置網。
      1864年、富山県灘浦で考案された。

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