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連載第8回  世話好きチョウさん 【その3】

 漁と造船。老人はこの港をねぐらにしながら、人生の大半を過ごしてきたのだろうか。世間のしがらみとはあまり縁がなさそうな飄々とした居ずまいには、どこかつかみどころがない不思議な雰囲気が漂っていて、私はいつの間にか、この老人に興味を抱き始めていた。
 それから数日後、私は的場さんの家で夕食をごちそうになっていた。肝臓が弱っているので、酒は控えるようにと医者からは釘を刺されているのに、これで最後だと言いながら、的場さんは三本目の燗を奥さんにつけさせた。
 「わっちゃ(お前ら)がうまそうに飲んどるのに、俺やって飲みたいわい」
 それが最近の口癖である。
 「そう言えば、この間はひどい目にあったよ。的場さんに教えてもらった防波堤に行ったんやけど、陸からは渡れないようになっとったんや。」
 私が話を切り出すと、的場さんは「ほんとかあ!」と言いながら、酒で赤らんだ顔に驚きの表情をうかべた。
 「いやあ、昔は歩いて渡れたんやけど…。もう十数年も前の事やから、あのあたりも変わってしまったんやあなあ。」
 どうやらあの港は改修工事が行われたらしい。そのことを的場さんは知らなかったようだ。的場さんの語り口は、言い訳をするというよりも、むしろ昔を懐かしんでいるふうで、私としても、それ以上的場さんを責める気にはなれなかった。
 「それで、釣りは出来なかったがか?」
 「それがね、面白い老人に会ったんや。立縄漁の漁師なんやけど、俺が港をウロウロしていたら、声をかけてきてね。カワダイを一匹持ってけって言うんや。俺も漁師だって言ったら、結局もらい損ねてしまったよ。その後は違う港に行ったんやけど、なんも釣れんかった。」
 「まったくダラ(馬鹿)やわい。さっさと貰ってしまえばよかったんや。」
 的場さんはそう言うと、ケラケラと笑いながら呆れたように顔をしかめてみせた。
 私は、あの日出会った老人の事を、事細かに的場さんに話して聞かせた。そうさせるだけの魅力を、あの老人は十分に持っていた。「へえ~」などと感心しながら、私の話を楽しそうに聞いていた的場さんだったが、その老人が舟大工もしているのだと、私が言ったとたん、「あれ?」という顔をして突然話を遮った。
 「おい、佐藤。その人なら俺も知っとるわい。ひょろりと背が高くて、眼鏡をかけとったんやろ。昔、よう世話になった人や。ええと、名前はなんて言ったかな…」
 的場さんは突然大声を張り上げると、今度は一転して「う~ん」とうなったきり、眉根を寄せて深刻そうに考えこんだ。ややあって、的場さんはパンと膝を叩いた。どうやら遠い記憶がよみがえったらしい。我が意を得たりとでもいうふうに、目は爛爛と輝いている。
 「そうや、長さんや。立花長造や。そうか、そうか、長さんに会ったのか」
 胸につかえていた物を、ようやく吐き出すと、的場さんは奥さんの方をチラリと盗見しながら、酒のグラスに手を伸ばした。
 的場さんの話によると、みんなが長さんと呼ぶその老人は、今ではめっきり減ってしまった和舟の舟大工として、つとに知られた人で、テレビや雑誌にも登場したことがあるという。温厚で面倒見がよいので、地元の漁師達からの信頼も厚いとのことだった。
 「そういえば、長さんの小屋には、猫がたくさんおったなあ。」
 的場さんは酒で喉を潤すと、心持ち遠い目で言った。
 「あの小屋には猫なんておらんかったよ。長さんは猫が好きなんですか?」
 「いや、そんな訳でもないんやけど、長さんは捨て猫を見かけるとついついかわいそうになって、拾ってきてしまうんや。そんな猫が一匹、二匹と増えてしまってな…」
 あの日出会った老人の姿が、まぶたに浮かんできた。なんだか、いかにも長さんらしい気がして、思わず笑いがこみ上げる。
 あの日の帰り際、私はずっと胸に秘めたまま、なかなか言い出せないでいた思いを、ためらいがちに口に出した。
 「あの、もしよかったら、今度漁に連れて行ってくれんかな? 大敷以外の漁も、いろいろと覚えたいと思っているんや。もちろん金も魚もいらん。ちょっとしたことだったら、手伝えるかもしれんし…。」
 おそらくはにべもなく断わられるだろうと、覚悟の上だった。漁船というのは遊覧船やフェリーとは違い、乗員の為のスペースが確保されているわけではない。仕事のできない人間が同乗しても、漁の邪魔になるだけだし、場合によっては危険を招くことすらある。
 私の口調が真剣そのものだっただけに、長さんとしてもいいかげんな生返事が許される状況ではないと感じたのだろう。ほとほと困り果てた顔をしながら、「う~ん、そやねえ~」と言ったきり、断わりの言葉を探しあぐねているようだった。
(あ~あ、やっぱり駄目だよなあ~)
 私はあからさまに落胆の色を浮かべると、「もーいいや、すみませんでした。それじゃあ…」と言って長さんに背を向け、小屋の出口へ向かった。
 「な、おい、とりあえず…、また来いや。な、そうしろ。」
 背後から声がして振り返ると、長さんは少しはにかんだように微笑みながら、柔和な目を私に向けていた。
 「ありがとう。今度は酒でも持ってくるよ」
 長さんの温厚な人柄がしみじみと伝わってきて、私は心温まる思いがした。またいつか来れたらいいな、そんなことを思いながら、あの日私はぼんやりとうきを眺めたのだ。
 「おお、そやそや。今度二人で長さんの所に遊びに行かんか? ついでに頼みたいこともあるしな。」
 突然閃いたように、的場さんが話をもちかけてきた。渡りに舟とはまさにこのことだ。
 「え~、ほんとに。行こう、行こう。長さんに会いに行きましょう。」
 私は遠足を明日に控えた子供のように、大声ではしゃぐと、グラスに注がれたビールを一気にグイッと飲み干した。
 年が明けて三週目の日曜日、私達は再び門前町を訪れた。北西の季節風は肌を切るように冷たく、北陸特有の重くベトついた雪が、その風に流されながら斜に降り注いで、あたり一面を白く染めた。
 「おいおい、佐藤、雪道でブレーキは踏むなって前に教えたやろ! シフトダウンしてエンジンブレーキを使うんや。」
 急峻な山道の下り坂で、助手席の的場さんはたまらず大声を張り上げた。車の運転はどうも苦手だ。一人のドライブならまだ気楽でいいが、隣に誰か座ろうものなら、いまだに緊張のあまりブレーキとクラッチを踏み間違えることがある。しまったなあ、俺が運転するんやった、そんな後悔の色が、的場さんの表情にはありありと浮かんでいた。
 山道を越えると、私は肩で大きく安堵の息をついた。平坦な海沿いの道は、雪もそれほど多くはない。すっかり余裕が出来た私は、荒れ狂う日本海の景色を楽しんだ。長さんのいる港へは、間もなく着いた。
 「ほら、あそこ。」
 そう言って私が離岸提を指さすと、的場さんは身を乗り出すようにして窓の外を眺めた。
 「ああ、ほんとや、離れとるわい。いいポイントなんやけどなあ…」
 いかにも残念そうに的場さんはつぶやいた。
 防風林や間垣など、さえぎる物が何もない港内は、吹きっさらしの風が容赦なく襲いかかる。車から降りた的場さんは、雪のつぶてから逃れるように体を丸め、「うひゃうひゃ」と奇声を発しながら、長さんの小屋に向かって一目散に駆けだした。
...つづく

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