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連載第4回  月の輝く夜に 【その2】

 「もうええぞ、代わらんか」
 仕掛けを海に投入した的場さんは、そういって私と舵とりを交代すると、再び船頭を務めた。アタリがきてから捕りこむまでの一連の行動は、完ぺきに頭の中にたたき込んである。たった今、見本を見たばかりだ。自信は十分にあった。あとはアタリさえあれば… 私は、今か今かという思いで、穂先を見つめていた。
「おっ、きたきた。」
 しかしその言葉は、またしても的場さんの口から発せられたものだった。
「なあ、それにしてもおかしいな。なんで佐藤にはアタリが無いんやろか?」
 三匹目の獲物をバケツに収めながら、的場さんは首をかしげてみせた。たしかにいわれてみればその通りだ。まったく同じ仕掛けを用い、しかも二つの疑似針の距離は5メートルと離れていない。いかにキャリアに差があるとはいえ、イカが勝手に食いつくのを待つ「向こうあわせ」の釣りで、釣果に差がでるというのは、どうにも腑に落ちないことだった。ひょっとしたら仕掛けがお祭り(からまる事)してしまったのだろうか?
 ひょっとしたら、もしかしたらという疑問符を、釣り師はいつでも胸の内に抱えているものだ。急に心配になった私は、一度仕掛けを引き上げてみることにした。リールには触れず、直接手で道糸をつかみ取ると、両手を交互に使いながら、ゆったりとした動作でそれを手繰り寄せる。的場さんが見せてくれた要領だ。テンマをスローで走らせたままなので、道糸をつかむ指先には、けっこうな重みが伝わってくる。
 きっと水の抵抗なのだろう、初め私はそう思った。しかし疑似針との距離が縮まるにつれ、跳ね上がる水しぶきが、心なしか大げさなように思えてきたのだ。やはりどこか変である。
 その不審が驚きに変わったのは、テンマに疑似針を引き上げた瞬間だった。なんと10cm程の小さなアオリイカが、自分の体よりも大きな木片の魚に、しっかりとしがみついているではないか。
(や、やったあ!)
 獲物の大小はこの際あまり問題ではない。念願の一匹目がようやく自分にも釣れたのだ。私は小踊りしたい気持ちになった。そして安堵すると同時に、自信がムクムクとわき上がるのを感じた。
 それにしても劣かなイカである。あまり喰い意地を張らずに、分相応のえさを求めていれば、ここで命運が尽きることもなかったのだ。私ははやる心を抑えながら、慎重に疑似針をつかむと、そのまま的場さんの方へと向き直った。
「ハハハ、上げたら釣れとったよ」
 照れを笑いでごまかしながらそういうと、的場さんは目尻にしわを寄せながら、
「やっぱり素人やなあ、そんなもん、いつまでもぶら下げとるもんで、他のイカが釣れないんや。」
 そういって苦笑した。
 的場さんのいう通りである。どうやら愚かなのはイカではなくて、私のほうだったらしい。これでも専業の漁師だというのだから、なんとも情けない話だ。
 しかしたいせつなのは、失敗を糧にして成功へと導くことである。そして私はすでに学習していた。的場さんが使っている磯竿と違い、私の船竿は非常に穂先が硬い。そのため、小さなアオリイカでは、十分なアタリを穂先に伝えることができなかったのだ。そこで私は、穂先には頼らず、直接道糸からアタリを得ることにした。
 そそくさとバケツの中にイカを落とした私は、自分の定位置であるトモ(船尾)の右舷側から、再び仕掛けを海に流した。そして、穂先から延びている道糸を、右手の人指指にからませるようにして持った。するとどうだろう。5分も経たぬうちに、グ-ッと引き込まれるような魚信が、指先に伝わってきた。やはり私の判断は正しかったのだ。
「きたきた~」
 歌うような声を出しながら、中腰になって道糸をたぐっていると、今度は左舷から声がした。
「佐藤、はようせーや。どうやらこっちにも釣れとるわい。」
 それからは二人とも入れ食い状態が続いた。舵とりを交代しながら、せわしなく仕掛けを引き上げる。バケツには次から次へとイカが落とされていった。
 クーラーボックスからハイネケンを取り出して、私は一本を的場さんに手渡したのだが、二人ともゆっくりとビ-ルを飲んでいる暇などなかった。的場さんは、はるか沖合いに見える漁船の漁火と、山の中腹に建つホテルの明りを線で結び、その線上からはみ出さないように、何度もテンマを往復させた。せっかく見つけたイカの群れから、はぐれてしまわないためである。私が学ぶべきことは、あまりにも多かった。
「なあ、どうするや。そろそろ帰って、俺んとこで一杯やるか?それとももうちょっこし粘ってみっか?」
 的場さんにいわれてふと時計に目を移すと、間もなく8時になろうとしていた。釣りを始めてから一時間半あまりの間に、私達は30匹以上のアオリイカを釣り上げた事になる。
「う~ん、そやねえ~」
 どちらともつかぬ曖昧な返事は、そのまま本心の表れでもあった。釣りたてのイカと、自慢話を肴に一杯やれば、確かに楽しい夜の続きを過ごせるに違いない。しかしその一方で、このままもう少し釣りを続けてみたいという気持ちも強かった。魚信は絶え間なく指先を刺激していたのだ。酒か釣り、どちらか一つだけを選択するのは、私にはとても難しいことだった。
 いつから吹きはじめたのか、南からのごくわずかな風が、頬をさするようになっていた。降り注ぐ月光が水面に反射し、青白い綾を織りなしている。私はぼんやりとそれを眺めながら、「たまには優柔不断でもかまわないや」という気持ちになった。

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