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連載第3回  月の輝く夜に 【その1】

 もともとは水色だった雨ガッパが、いつの間にか墨に染まってしまい、地の色はもはや分からなくなっている。顔にまでホクロのようにしぶきが飛んでいるに違いない。セピアといえば聞こえは良いが、けっして見ばえの良い色ではない。あまり人には見せたくない格好だった。
 別に誰の仕事と、決っていたわけではないのだが、いつの間にか「イカ選別隊係長」などと呼ばれ、私がその任務にあたるようになっていた。捕ってきたイカを、大きさごとに選別し、それを発泡スチロールのトロ箱にキレイに並べてゆく。足がだらしなくはみ出さないように、裏側に折りたたむのがコツである。イカが大漁のときには、いちいちトロ箱に並べてなどいられないので、容積が60kg程もある「タンク」とよばれるプラスチック製の箱に入れたまま、出荷することになる。
 もちろんトロ箱に並べたほうが、見た目もきれいで、良い値がつくに決っているのだが、市場への出荷は時間との戦いだ。一秒もむだには出来ない。このあたりの判断を的確に下すことが、「係長」の重要な仕事になる。だが、仮に判断を誤ったからといって、「課長」への昇進が危ぶまれる、なんてことはまずない。「課長」などというポストはもともと無いのだ。
 それにしても今年はイカが豊漁だった。春先はコウイカ、その後スルメと続き、夏になると、最も高値がつくアカイカが大挙して押し寄せた。やがて稲穂が金色に輝きはじめると、アカイカは次第に数を減らしてゆき、代わりにアオリイカの子が姿を見せるようになった。
 一口にイカといっても、このように沢山の種類があるわけだが、味という点に関しては、アカイカとアオリイカが他のイカを圧倒する。透明感あふれるシコシコとした歯ごたえのアカイカと、しっとりとした甘みが身上のアオリイカ、どちらを取るかは、人によって分かれるところだろう。 ただ、「選別隊」としての立場からいわせてもらうと、軍配はどうしてもアカイカのほうに上がってしまう。
 アカイカは墨が少なく、カッパが汚れる心配がない。それに姿も美しい。スマートな肢体にほんのりと浮かび上がるさくら色の肌、気品が漂っているといってもいいだろう。一方のアオリイカといえば、コウイカと並んで墨が多く、選別隊泣かせである。体色もくすんだような褐色で、あまりパッとしないのだが、それはあくまでも死んだときの話であって、水中を泳いでいるときには、七色に光り輝いて、幻想的な美しさを見せることがある。秋口のアオリイカは、一雨ごとに大きくなると言われているのだが、トロ箱に並べたイカ達が、日増しに成長しているのを見ていると、日本海がいかに豊じょうな海であるかを実感させられる。
 ある日、私がいつものように、選別作業にいそしんでいると、船頭の的場さんがつかつかと近づいてきて、高く積み上げられたトロ箱の中をのぞき込んだ。箱の数はすでに40を超えている。この日もイカは豊漁だった。
「お、ずいぶんと大きくなったもんやなあ。これやったら、イカ針にも食いつくわい。どや、今度の土曜にでも、ちょこっと行ってくるかい?」
「そやね、これだけ数がいるなら、俺でも釣れそうだわい」
 クロダイにスズキ、そしてアオリイカと、もともと釣りが好きで漁師を選んだ的場さんであったが、船頭業が忙しいせいか、今では一人で釣りに出かけることなど、ほとんどないようだった。そんな的場さんの口癖が、「秋になったらイカ釣りを教えてやる」だった。
 昼の間は水底の近くにいるのだが、夕暮れどきになると、水面あたりまで浮上してきて、活発にえさを追う。ヤッコさん達は、目を使ってえさを探すから、視野がよくきく月夜のほうが釣果は上がるのだと、そう教えてくれたのも的場さんであった。
 そして約束の土曜日、夕刻を待って私達は港に集まった。幸いなことに風もなく、イカ釣りにはもってこいの凪であった。そして、ふと空を見上げると、そこにはまん丸いお月様が笑っていた。
 漁に用いる船外機つきの小船を、漁師達は「テンマ」とよぶ。テンマに乗りこんだ私達は、港を出る前に仕掛の準備を済ませることにした。普通釣りといえば、釣針にえさをつけてするものだと思われがちだが、イカ釣りの場合は、専用の疑似針を用いるので、えさは必要としない。
 疑似針の本体は、10cm程の木製である。これは小魚の形をしていて、腹にあたる部分には、バランスをとる為の鉛が埋め込まれている。尾には鈎状の針があって、木片を餌の小魚と間違えたイカが、これにひっかかるわけだ。また、胸と尻の鰭のあたりには、鳥の茶色い毛がつけてある。
 これは、「名古屋コーチン」の羽毛らしいのだが、的場さんの話によると、白黒の毛色をした「プリマスロック種」の羽毛を用いたほうが、はるかに釣果は上がるとのことだった。もしも、20年前に的場さんと出会い、こんな話を聞かされたなら、私は的場さんのことを師と仰いで、どこへでもついて行ったに違いない。子どものころの私には、釣名人は神にも等しい存在だった。
 港を出たテンマは、おだやかな水面に白い飛沫を上げながら、沖へと向かった。暑くもなければ寒くもない、海を楽しむにはもってこいの夕暮れである。10分ほど船を走らせたあたりで、舵を握っていた的場さんが、速度をスローに落とし、それからニュートラルに固定した。
「どや、このあたりでええやろ。仕掛けを流さんか。」
 私は待ちかねたように竿を手に取ると、右舷の水面に疑似針を落とした。それから的場さんに教わった通り、道糸を7~8尋流したところでリールを固定した。的場さんは、私と同様に左舷から仕掛けを流すと、再び舵を握ってスローで前進を始めた。水中では疑似針の木片が、まるで本物の魚のようにスイスイと泳いでいるはずである。あとはイカが食いつくのを待つだけだ。これは、曵釣漁と呼ばれる漁法である。
 仕掛けを投入してから、30分程も船を走らせただろうか。残照の水面も群青に染まりはじめていた。最初にアタリがあったのは的場さんのほうだった。穂先の柔らかい磯竿が、ググッと後方に反りながら、しなやかな弧を描いたのだ。
「おっ、きたきた。悪りいけど、代わってくれや。」
  二人連れだっての釣りは、こんなときに都合が良い。私に舵を持たせた的場さんは、竿のほうへと歩み寄ると、リールは巻かずに、直接手で道糸をたぐり寄せた。これなら仕掛けを投入するたびに道糸の長さを計る必要がない。なるほど考えたものだ。水の抵抗を受けて疑似針が刻む白い轍は、明らかに先ほどよりも大きい。何かが釣れている証拠だった。
「お~お、ちゃんと釣れとるわい」
 引き寄せられた疑似針には、15cm程のアオリイカが、しっかりと触腕をからませていた。的場さんは慎重な手つきで疑似針をつかむと、イカをぶらさげたままバケツの上へと運んだ。それから疑似針の天地を逆さにするように手首をひねると、カエシのついていない針に食いついていたイカは、スルリと針から外れてバケツの中へと落ちていった。
 この間、的場さんは一度もイカには触れていない。不用意にイカに触れると、あたりかまわず墨を吹き出すおそれがあるからだ。バケツに落ちたイカは、案の定「ブシュッ」という音を立てて、墨を吐き出したが、時すでに遅しである。すべてが理にかなっている名人の一挙一動を、ため息が出るような思いで、私は眺めていた。 ...つづく

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