★大連で日本人オーナーに限って2年間賃貸料無料の物件を見つける
大連で案内役となってくれたTさんとおれは、都合3日間、カレー屋をやる物件探しに歩きまわった。街の雰囲気はよし。晴れ渡る秋天に気分もよし。さらに大連湾から水揚げされる新鮮な魚貝のうまさに加えて、中国Cリーグで屈指の強豪チーム「大連実徳」を抱えるサッカー熱沸騰の街となれば、カレー屋を開くのになんの障害があろうかといったところである。
難を言えば、酒場となるとホステスが媚び売るカラオケ・バーばかりで、ただひたすらに酒だけを飲みたい酒好きが行きたくなる酒場がないということ。大連に限らず中国では、酒を飲むというのはレストランで飯を食いながらか、カラオケ・バーで唄いながらということになっているのだ。もっとも高級ホテルに行けばカクテルなどを揃えたバーもあることはあるのだが、やはり料金もそれなりに高級。そうそう通える場所ではない。ならカレー屋で儲けて、ホステスもいないカラオケもない、酒好きだけのためのバーを開いてやろうか。そうだ、それがいい。大連在住日本人向けキャバクラはTさんにまかせて、おれは大連の酒場王になろう。
そんな考えに浮かれていた2日目の夜だった。その日から2年後、北朝鮮からの脱北者を匿った日本人NGO職員が、中国の公安に逮捕される舞台となった3軒となりの安ホテルのベッドで、大連発行日本人向けフリーマガジンをパラパラめくっていたおれは、信じられない広告を見つけてしまったのである。
“テナント募集中! 既に経験をお持ちの日本人オーナー様、南山日本風情一条街のショップが、2年間無料で借りられます。”
それは日本の建築設計会社と大連の地所開発会社が合同で企画した、日本人向け分譲別荘地売買の広告だった。700メートルの長さがあるアカシア並木も美しいメインストリートの両側に建てた、車庫と庭を持つ70戸の2階建て高級別荘1階部分を、飲食関係の経験を持つ日本人に限って飲食店舗として貸し出すというのだ。しかも信じられないことに2年間無料!
どうにも怪しいが、タダほどうれしいものはないと考えるのが貧乏人の性である。おれはすぐさまTさんに電話をかけた。
「ブツが見つかった!」
次の日おれとTさんは、管理を任されているという日本の建築会社の事務所へと向かった。
「ほほう。カレー屋さんですか」
会議室の大テーブルを挟んで向かい側に座った男は、にこやかにうなずいた。
高級そうなスーツにビシリと身を固めた男からもらった名刺には、専務取締役に首席代表と、日中両方の偉そうな肩書きが記されている。そのとなりに同じくスーツに身を固め笑顔を浮かべているのは、会長秘書だそうである。さらにそのとなりには頭の切れそうな若い中国人社員。
ひるがえってこちらときたら、Tシャツの上にダンガリーシャツを羽織ったジーンズ姿の50近い男と、同じくよれたワイシャツ姿の中国人中年である。とても商談に来るような格好ではない。まあ、スーツなんぞ1着も持っていないから、日本にいたって同じ格好だったことは間違いないのだが。
しかしいくら何でも2年間の賃貸料無料は話が良すぎる。聞けば、戦前の日本人街であった南山という地区を、あらたな高級日本人街として売り出そうというのがプロジェクトの趣旨なのだそうだ。大連駅の裏に数年前に造成されたロシア人街に対抗してのもので、日本の高級飲食店が並べば、地元の人にも話題になる。ならば、宣伝を兼ねて2年間賃貸無料の太っ腹にでたのだと言う。プロジェクトに一枚噛んでいる大連市の発案だと言うから、さすがに中国人はやることがでかいと言うべきか、わけがわからんと言うべきか。
だがそんなことはどうでもいい。2年無料は最高にオイシイ。が、それにしたって目の前の首席代表たちの目は、まるっきりおれを信用していない。ならば誠意と熱意しかあるまい。おれはかつて、それだけで映画館を作った。
「日本式のドロリとしたあのカレーライスを、この大連で大々的に展開しようと思って店舗探しにきたところに、こちらの広告を見たものですから。とにかく日本式のカレーは、中国ではまだ知られていない日本の味だと考えているんですよね。そこが狙い目でして。もちろん日本料理を看板にしているところは出しているかもしれませんが、わたしたちとしては、あくまでもカレーをメインにした店を考えているんです。日本に住む中国人は、日本風カレーを大いに好んでいるというデータもありますから、これは絶対に話題になり入るとふんでいるわけでして」
そんなデータなんぞはどこにもなかった。友人のFがカレー好きで、そのFが、自分が好きなら同じ中国人全部が好きなはずだと自信満々に言っているのを、すこしだけ変えて言ったまでだ。このくらいのハッタリは商談や外交では熱意と言うのだ。
それから延々四十数分。おれは中国全土で360店舗を展開し、カレー王となっているわたしを含めた壮大なる事業計画をまくし立てた。
しかし首席代表たちには熱意は通じなかった。
「いやああ、面白いですな。カレー屋さんですか。出来たらわたしらも行きたいですな。では、返事はクロダさんにということで。お聞きした、日本のご住所に連絡すればよろしいですね」
首席代表はにこやかに握手の手を差し出した。
日本に戻ってくると、さっそくFから連絡がきた。
「クロダさん。大連はもういいよ。場所が見つかった。わたしの友だちが天津で手広く美容院やってるんだけど、持っているビルの一角が空いてるから、一緒にカレー屋やりたいって」
あのなぁ、さっさと言えよな。
南山別荘無料賃貸についての返事は、3年後の今現在もきていない。