★そもそもなぜにビエンチャンでカフェなんぞを開こうと思い付いたか
話は2001年に遡る。
その年の8月。おれは中国大連で、カレー屋を始めるための不動産物件探しに走りまわっていた。
現地の香辛料を使って日本式カレーを出す。提案したのは中国人の友人Fだった。
「クロダさん、料理じょうずだよね」
「料理本を出したばっかりだって」
家でも朝・昼・夜の三食ほとんどを作っている料理好きのおれは、その春、冷蔵庫の余り物でだれでも作れるアジア・エスニック料理の本を出したばかりだった。レシピも載った、読んでも楽しい料理本。小学校4年生のときに学校の図書館で借りてきた料理本を見つつ作ったオレンジ・ババロアの感動忘れられず、いつか料理本を出すくらいの料理上手になってやろうという夢を抱いた末の、ささやかなる結果である。
「うん。じゃあ一緒に中国でカレー屋やらない? 中国の香辛料を使って作れば安上がりだし、中国には日本式カレーがないから流行ると思うよ。ついでにその香辛料で作ったカレー粉を、日本に逆輸出するっていう考え。安い野菜や肉も一緒に」
おりしも安い中国野菜が日本のスーパーを席巻し始めていた矢先。しかも一緒にやろうと誘ってきたのが、商売大好きのFである。
Fとは10年ほどの付き合いになる。知り合ったのは、酔っぱらって偶然入った札幌の街外れにあるスナック。当時、北海道大学大学院で水道工学を学ぶため上海から来ていたFは、そのスナックで雑用兼雇われ店長のアルバイトをしていたのだ。中国人不法就労者が地方都市に押し寄せてくる前の話である。
日曜日ということもあってなのか、店には客の姿もなく、そのうえいるだろうはずのママさんやアルバイト嬢の姿も見えなかった。いるのは若いが地味な身なりの男、Fただ一人のみ。場末のスナックであるにもかかわらず、ボックス席が6つ以上はあろうかという広さが、かえってうら寂しかった。
「中国人だろう」
注文したビールを差し出すFにおれは言った。訛のない日本語をしゃべってはいるが、かすかなイントネーションの違いが耳に引っ掛かったのだ。
「あれ、わかる?」
眼鏡を掛け、人の良さそうな顔をした丸顔のFは、少しばかり驚いた表情を浮かべた。よほど自分の話す日本語に自信があったに違いない。
「明白(ミンパイ)!」
旅先で流暢な日本語を操る悪徳中国人と嫌になるほどお付き合いさせられたのだ。わずかな中国訛くらい聞き取れるというものだ。
もっとも首のボタンまできっちりと留めた白いワイシャツに、細いベルトを巻いた濃紺のスラックス。おまけに七三分けの短い髪をした30前後の一見まじめそうな男が場末のスナック勤めとなれば、日本の捻ね媚びた坊ちゃんサラリーマンのバイトでないことだけは確かだろう。
「中国語できるの」
「便宜一点儿」
旅先で覚えた中国語を適当に並べた。と、そのときひらめいたのだ。
中国語を習おう! これからは中国の世紀。中国語を制すれば世界を制する!
ひらめきで生きてきたおれは、ほとんど人生長嶋茂雄である。魯迅も書いている。
“わたしは留まるのがいやだ”
おれもいやだ。ライク・ア・ローリングストーン。
「中国語教えてくれよ。普通語(プートンファ)。毎週1回1時間で、1カ月1万円。来週の土曜が第1回目」
結果、Fはおれの中国語の先生となった。駅前留学ならぬ、場末のスナック留学。やりたいことなんて、どこにだって転がっている。とは言っても、おれの中国語は結局モノにはならなかったが。
その後、中国語の先生から友人へと移行したFは、北大の大学院を無事卒業し東京の大手下水道設計会社に勤めるエリート・サラリーマンとなった。おれなんかよりよほどの高給取り。日本人ならそのまま一生会社勤めを考えたいところだ。
ところがさすがに中国人である。しかも金儲けが好きなことでは中国でも名にし負う上海人。何かとあれば独立して商売することを考えているのが面白い。ある時など、日本の切手商から買い集めた300万円分の中国記念切手を上海の切手市場に持ち込んで、日本円にして900万円で売り払った取引現場を目撃したこともある。中国の記念切手は日本に入ってはいるが日本人にあまり人気はなく、中国本土で買うよりも安いというところに目を付けての売買だった。恐るべし上海人。しかしその儲けた金のほとんどは、香港株の売買で失くしてしまったらしいのだが。
とにかく、そんな商売好きFの提案だ。
食指が動いた。何より中国でカレー屋やるってのがくすぐられる。サラリーマン辞めて映画館作った男の琴線にビリリとふれるというものだ。しかもバブル弾けて、日本は不況の底へときり揉みダイヴの真っただなか。政治家はバカばかりで、このままでは老後に安心して酔っぱらうこともできやしない。ここは一発、日本が駄目なら大陸があるさと海を渡った先人に倣えというものだろう。
「やろうぜ」
おれは答えた。さっそく夢いっぱいの企画書を書き散らかして、Fに送った。
さすがF。またたくまにその企画書で、何人もの投資者を集めてしまった。
おれは、中国に飛んだ。