<杉良太郎の危険性>
郵便局の親玉の郵政局というところでパートしていた時、管内の郵便パートの(主に)おばちゃんのための「慰安行事」として、郵便貯金ホールでの杉良太郎ショーを一公演借り切る、というのがあって、私も切符を一枚もらった。
ぐふふ、とほくそえんだ私。なぜなら私は杉良太郎のファンだったからです。
ファンって、別にオッカケるとか、そういうんじゃないけど。ああいう顔がタイプだったんです。ガッシリ系の、しかし決してエラ張りではない輪郭(今ふと思ったのですが、皇太子妃の雅子さんは、杉良太郎系の輪郭の持ち主だ。だから私は雅子さんの顔が好きだったんだな)、ツリぎみの大きな目(あ、これも雅子さんに似ている)(そういえば、皮膚感も似ているような気がしてきた……)、そしてうすい眉毛(雅子さんは薄くはなさそうだが、メイクを落としたらどういうふうになるかは興味がある)。どんなに杉良太郎がキモチ悪い男としてネタとなっていた時期にも「どう考えたってあれはかっこいい」としか見えなかった。結婚を申し込まれたら受けてもいい、と思っていた。
そんなわけで、アコガレの杉良太郎ショー、うれしくてうれしくて。いくら好きでもなかなかプレイガイドなどで「えー、こんどの新歌舞伎座の杉良太郎ショー、一枚」なんていって前売り券を買うまでにはいかない者として、こういう職場の催しはうれしいものです。いそいそと郵便貯金ホールに出かけた。
引き替えハガキを持って、座席は先着順ということで、パートを早退けして、さらに走って会場にかけつけたわけだが、ついたとたん目の前が暗くなった。「長蛇の列やん!」。座席券引き替えハガキを握りしめた大量のおばさんたちが、会館の回りを大蛇のように取り巻いているではないか。私は「あんなにキラわれている杉良太郎を好きな自分」について「たいしたもんだ」と思う気持ちが皆無じゃなかったんだが、この大蛇のようなおばさんの行列を見て、そんなちっぽけな自負などふっとばされた。みんな杉サマが大好きなんだ。
最前列に並んでカブリツキで杉良太郎を見る、という計画は早くも潰えた。私の席は一階のずいぶん後ろのほうで、さらに端っこだった。ダメダメな席である。ガッカリしつつ、開演を待つ。待ってるうちに始まった。じゃーん!という感じで、着物姿の杉良太郎がステージに登場する。
「あっ、杉良太郎だ……」私は絶句してしまっていた。杉良太郎という人が、私の想像していた杉良太郎と、まったく別人だったからだ。
顔は、私の好きな杉良太郎である。そういう意味で別人ではない。そういうことではなくて、もっと……なんというか……うまく言えないのだが……まるで死体のような……そう! 死体みたいだったんだ、スギリョー!
べっとりと塗られたドーランは黄色いような茶色いようなマットな色で、ドーランというのはそういう色なのかもしれないが、生きている人間の顔色ではない。先年死んだおばあちゃんの棺桶の中の顔色そのものである。いったいなぜ好き好んでそんな顔色に塗るのか。さらに、表情も、なんというか、やけに黒目が大きく感じられ、つまり瞳孔が開いちゃってるように見え、表情も、笑顔ではあるんだけど凝り固まったような、はりついたような表情で「見てはいけないものを見てしまった」という感情が津波のように押し寄せてきた。「私は甘かった。スギリョースキとか言ってたが、そんな、私みたいな者が軽々しくスキとか言えるようなお方ではないのだ杉サマは!」。
しかし、それは「ただキモチ悪い」というものでなかったということは確かだ。ものすごく、心を惹かれたのである。死体といってもゾンビ的ではない。ツヤツヤで精力に満ちあふれている。しかし、顔色と表情だけが死体的。私は大衆演劇も見たことがある。ドーランべっとりである。黄色いような茶色いような色である。しかし、べつに死体を感じさせたりはしなかった。せいぜいが人形程度である。杉良太郎は「絶対死体」なのだ。それがイキイキ・ツヤツヤでせまってくる。席は遠いんだが、遠近感を超越してせまってくる。ものすごくコワい。コワイが、見ずにはいられない。しかし、見てしまうと、眉間にツーンとした刺激がきて、目をあいていられなくなる。会場を埋めたおばさんたちは、みんなそんな杉サマを食い入るように見つめている。だいじょうぶなのか。
杉サマは着流し姿で、オリジナル曲を次から次へと歌いつぐ。合間に身の上話などもまぜる。ボランティアをやっているというと、ファンからどんどん現金書留が送られて来るといっていた。そしてふたたびマイクを手にして、歌いながら「クイクイッ」と腰を振る。すると会場中が「ヒャアー!」という絶え入りそうな悲鳴に包まれるのである。ものすごく露骨な、西川のりおがやるようなやつを、ギャグじゃなくて「おばさまがたをとろかせるためにやる」という腰の振りっぷりなのでそれも驚いたが、しかし「イキイキ・ツヤツヤの死体が迫りくる」ことにくらべればそんなもんはたいしたことではないと思えた。
このコンサートを見終わってから、私は「生半可なキモチでスギリョーに近づくことはやめよう」と誓ったのだ。私はコンサートを見てなお、杉良太郎が好きだ、と思った。しかしそのことを言う時には「杉良太郎ってカッコイイよね(笑)」などと軽く言ってはいけない。相手の目をヒシッと見つめて、「私は、ほんとうに、杉良太郎という人が、好きです」と言わなければいけないと心に決めた。そして、好きであるからこそ、近づくまい、と決意したのだった。
しかし私はなお甘かった。「杉良太郎に近づかなくても、世の中にはスギリョー的に人を幻惑する人がいる、ということを忘れていた」。(つづきます)