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   <title>第３９回</title>
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   <published>2008-05-16T10:46:36Z</published>
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   <summary>■昆虫という存在の耐えられない軽さ 　前回、恐るべきラオス蟻について書いたところ...</summary>
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      ■昆虫という存在の耐えられない軽さ


　前回、恐るべきラオス蟻について書いたところ、さっそく元カフェ・ビエンチャン店舗兼厨房主任より厳しいチェックのメールが入った。
「蟻が群がってたのはご飯じゃなくてポテトサラダですよー」
　とのことである。そうであった。さすが厨房主任。連日四〇度に達しようかという暑さと連夜のビアラオと赤ワインとジン・トニックとその他モロモロのアルコールによる泥酔で店主の脳が蕩けきっていたのをよそに、しっかりと仕事をこなしていたばかりか記憶もまた定かである。いや。彼女もおれに付き合って同じように連夜のビアラオと赤ワインとジン・トニックとその他モロモロのアルコールは欠かしてはいなかった。にもかかわらず、この記憶力だ。若さとは見るもの聞くもの触れるものすべてを記憶してしまおうとする強欲なまでの好奇心のことか。
　では老いとは。
　ポテトサラダが飯にすりかわってしまっても世界は変わりないと平然としている脳みそのことである。
「眞喜子さん、昼食は久しぶりにポテトサラダを作ってくれないかね」
「いやですわ、お父様。今朝お食べになったじゃありませんか」
「はははは。そんなはずはない。今朝食べたのはご飯と味噌汁と納豆、それに胡瓜の糠漬けだったじゃないかね」
「…お父様。今朝は食欲がないからとおっしゃって、ポテトサラダだけでお済ませになったんですよ」
「……そうだったかね」
「はい」
「…そうか。まあ、いい。それで眞喜子さん。昼食は久しぶりにポテトサラダを作ってくれないかね」
　さて眞喜子さんが登場したところで、当連載担当編集者の松村眞喜子（仮名）からも、前回のラオス蟻襲撃に関して衝撃的なメールが送られてきたことを思い出した。
“アリの恐怖は昨年夏に実家でひしひし体験しました”
　とのことである。
　このメールのどこが衝撃的なのか。
　問題は彼女の実家。つまり松村眞喜子（仮名）の出身地が関西圏であるということだ。
　これまでカフェ・ビエンチャンを作るにあたってシロアリが出ただの体長一〇センチはあろうかというゴキブリが飛来しただのを、さも池袋東口横にある公衆トイレの便器からゴジラが出現したがごとく大騒ぎした文章で書き連ねてきたが、どうもこの大騒ぎの仕方は北海道に生まれ育った人間特有の大げさな騒ぎ方ではなかったかという疑問にぶち当たったのである。
　青森から津軽海峡を列車で渡ったことのある人は、車窓から見る景色が青森で見ていた景色とまるっきり違っていることに驚いた経験があると思う。それは北海道と本州との植物相の違いだ。自然に生えている樹木の種類がまるっきり違うのである。生えている植物が違えば、そこに生きる昆虫の類も当然異なる。同じ種がいたとしても大きさが極端に違う。本州のものに比べてすべてがミニサイズなのだ。
　たとえばゴキブリである。北海道にもゴキブリはいるが、大きくても一センチ前後のミニサイズ。それも飲食店ビルに生息するくらいで一般家庭ではほとんど見ない。シロアリにしてもいるのだろうが、被害にあったとか気をつけましょうとかの話をまず耳にしない。厳しい冬のせいなのか、昆虫の種類も本州よりもずっと少ないような気がする。だからなのだろう。おれのまわりにいる北海道に生まれ育った友人知人は、おれを含めて極端に昆虫に恐怖心を覚える人間が多いのだ。だから本州の人間もみな同じように昆虫を恐れるか苦手にしているものだと思い込んでいた。
　ところが松村眞喜子（仮名）のメールである。一応そこには蟻への恐怖が綴られている。だが蟻という昆虫の存在に対する生理的な恐怖ではなく、その行動に対する驚きしか感じられないのである。
　蟻？　うざいけど、結局それだって存在の耐えられない軽さだけよね。
　みたいなものだ。午前二時の石神井公園でオオサンショウウオに後ろから抱き付かれても、本州人なら、松村眞喜子（仮名）なら、一瞬驚きはせよ“ああ！ウルセエッ！”と不機嫌な顔して蹴飛ばすだけではあるまいか。だが、それがおれであったなら声も出せずにウンコを漏らしてしまうと思うのだ。つまり何をいいたいのかといえば、本州人、とくに関西系本州人の多くは幾千万のシロアリも飛来する超巨大ゴキブリも日常茶飯事のことで、おれがここに書いていたほどには驚くべきことではないのではということだ。
　そのことを証明するかのような出来事があった。
　ネズミ殺し未遂事件である。
　カフェ・ビエンチャンは古い棟割長屋を改装して作っただけに、ネズミがやたらと多かった。いや。そもそもビエンチャンの古い住宅はネズミが多く出没するのがあたりまえで、別段驚くべきことではなかった。
　ある夜のことである。その夜は貸しきりパーティが入っていて、厨房は料理作りや食器洗いなどでおおわらわだった。しかしそこはカフェ・ビエンチャンである。パーティ参加者の一人が食器洗いを手伝ってくれていた。名前は彼女の名誉のために出さないが、元貧日会の小姐Ｍである。
　彼女はシンク前に立ってグラスや皿を手際よく片付けていた。
「助かるなあ」
　後ろで料理を盛り付けていたおれはいった。
「まかせてくださいよ」
「おう」
　おれは小姐Ｍの言葉に盛り付けを急いだ。
　そのときである。視界右四二度のあたりに何か動くものを見つけたのだ。
　おれは顔を上げた。
　体長一五センチほどのネズミが壁を伝って天井から降りてくるところだった。
　思わずおれは午前二時の石神井公園でオオサンショウウオに背中から抱きつかれたかのような声をあげた。最近の北海道ではめったにネズミなど目にすることはない。
「うわあああああっ！　ネズミだああっ！」
　運良くウンコは漏らさなかった。
　反応したのは小姐Ｍだ。
「うわっうわっ」
　しかし食器を洗う手は休めない。
　やるじゃないか。小姐Ｍの勇気におれは負けてはならじと、そばにあった箒を素早く手に取った。
　床に下りてきたネズミに振り下ろした。
　しかしネズミは五十を越えたおれよりも当然ながら動体視力がすぐれていた。箒をするりと抜けた。
　追いかけた。
　獣の浅知恵。すぐさま壁際に追い詰めた。
　ところがだ。いま一度箒を振り下ろそうとするや、窮鼠おれを噛もうと反転しておれに向かってきたのである。
「うわあああああああっ」
　おれは午前二時の石神井公園でオオサンショウウオに強姦されたかのような声をあげた。
　ネズミが足もとを抜けて小姐Ｍに向かって走っていく。
「そっちだ！、そっち！」
　おれの言葉に小姐Ｍが反応した。
「うわうわうわっ！」
　皿を手にしたままＭが叫ぶ。
　ネズミがＭの足もとをすり抜けようとした。
　そのときである。
　おれは信じられない光景を目にしたのである。
　Ｍがさらなる声をあげながらやったこと。
　驚くではないか。足もとをすり抜けようとするネズミを踏みつけにかかったのだ。
　息が止まった。
　目をそむけた。
「うーぃぃ！」
　Ｍがラオス人みたいな声をあげた。ちなみにラオス人は驚くことがあると必ずこのような声をあげるのだ。
　おれは恐る恐るＭの足もとを見た。地も肉片もなかった。
「逃げられましたね」
　小姐Ｍは何事もなかったかのように皿洗いを再開した。
　彼女の名誉のためにいっておくが、彼女は決して冷血ターミネーターのような娘ではない。小柄で気の優しい小娘である。しかしなぜ彼女はネズミを踏みつけるという暴挙に出たのか。
　いまならわかるのだ。
　彼女の出身である。
　彼女の出身は本州。しかも昆虫も動物もディズニーのアニメのなかのように豊富にいるらしい滋賀の山奥で育ったのである。
　野性の血が知らずに騒いだか本州娘。そう考えれば世界も広いが、日本も広いではないか！
      
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   <title>ふたりの育児　第42回</title>
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   <published>2008-05-01T05:00:10Z</published>
   <updated>2008-05-01T05:00:32Z</updated>
   
   <summary>　３月中旬の穏やかな晴れの日。ひーこの卒業式が行われました。私とパパのみならず、...</summary>
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      　３月中旬の穏やかな晴れの日。ひーこの卒業式が行われました。私とパパのみならず、義母も私の実母も一緒に参列。学校に向かう途中、下校中の低学年の子供たちとすれ違いました。うわ、１年生や２年生って、こんなにちっちゃいんだあ。まだランドセルが大きくて、ガパガパしてる。ついこないだまで、ひーこもこうだったなんて、なんかウソみたい。信じられない。小学生って、入学時と卒業時で本当に全然違いますね。この６年間で、たけのこみたいにぐいいーんと成長しちゃうんだなあ。カラダも心も。

　ひーこは、卒業式はどうしてもスカートじゃなくてズボンで出る！と半年も前から決めていて、母の説得は頑として拒否。昔は中学の制服着用だったからお金もかからず、ラクだったんだがなあ。結局ブレザーの上着は女子用ですが、ズボンは男子用を購入。まったくもう、この頑固さというかマイペースっぷりは誰に似たのやら。卒業式当日の朝、スーツを着込んだひーこは、どっから見ても立派な男子。コスプレか！（笑）実際、卒業式に出た卒業生のうち、ズボンを履いてた女子は、60人中彼女ただ１人でした。ある意味あっぱれ。

　やがて、先生の挨拶のあと、卒業生入場。ひーこも厳粛な顔で列に混じっています。着席、礼、挨拶ののち、さっそく卒業証書授与。パパはビデオ係。じいんと感動するかと思いきや、むしろひーこが呼ばれた時はドキドキハラハラ。転ばないかな、ちゃんと賞状受け取れるかな、緊張のあまり手と足を同時に出して歩いたりしないかな。しかしそんな心配をよそに、彼女はしっかりと返事をして、無事に賞状を受け取り、ゆっくり堂々とした態度で舞台から降りてゆきました。ほっ。最初からただただ涙、涙だった保育園の卒園式に比べると、親側もだいぶ余裕。

　その後もどんどん、以前同じクラスになった懐かしいお友達の名前が呼ばれていきます。今の子は私立中学に進む子も多いので、ほぼ全員そのまま同じ中学に進級だった昔と比べるとずいぶんバラバラになってしまうそう。ひーこもその点はとても不安なようで、よく「中学の新しいクラスってどうかなあ、ひこちゃん、うまくやれるかなあ」と心配しておりました。意外と小心者で心配性なんだよな、この子。

　やがて来賓の挨拶に続き、在校生と卒業生の呼びかけ。これはさすがにちょっと感動でした。「（ひとり）みんなで参加した、修学旅行！」「（全員）修学旅行!!」みたいなアレ。卒業生が、懐かしい思い出の行事をあれこれ振り返っていきます。ああ、そんなこともあったよねえ。「お父さん、お母さん、今まで育ててくださって、ありがとうございました！」なんて呼びかけには、シナリオどおりに言ってるんだとわかっていても、やっぱりぐっと涙が出てしまいました。

　最後の仕上げは「蛍の光」か「仰げば尊し」か？と思いきや、なんかタイトルはわからないけど「今、別れの時～♪」みたいな歌詞の合唱曲でした。今は「仰げば尊し」歌わないんだね。時代は変わったなあ。でも在校生や卒業生が一生懸命歌う姿に、じいいんとしてしまいました。なんで子供たちのナマ歌って、こんなに感動しちゃうんだろう。涙スイッチ入っちゃうんだよなあ。

　そして卒業生退場。拍手しながら、「ああ、これで小学校生活が終わったんだ…」と肩の荷が下りたような気持ちになりました。終わった終わった、全部終わったんだ。２年間、夜６時半に毎日迎えに行った放課後ルーム、半年くらいだったけど頑張ったバスケ部、そして４年の秋に転校、６年の春にはまた再入学、とけっこういろいろあったよなあ。６年間ってけっこう長い。６歳から12歳まで、ここで育ったんだなあ。先生方、本当にありがとうございました。つつがなく、無事に大きくなった。何事もなく、今日の日を迎えることができた。ただそれだけで、感謝の気持ちでいっぱいです。

　最後に、先生と両親と卒業証書を持った子供たち、全員一緒にクラス集合写真をパチリ。なごやかに、晴れ晴れとした気持ちで、みんな笑顔で。さよなら、さよなら、みんなありがとう。そういえば、感極まって泣いてる子はほとんどいなかったな。どの子も楽しそうな、うれしそうな、いい顔してた。とても和やかでよい式でした。

　春休みには、松本からひーこの友達が３人泊りがけで遊びにきてくれました。もうみんな、大喜びの大はしゃぎ。夜も全然寝なくて、12時過ぎまでしゃべってました。うちの家族も含めてみんなでディズニーランドに行き、楽しく過ごしました。ひーこがどんなにうれしかったか、もはや筆舌に尽くしがたい。よかったね。松本の友達もずっと大事にするんだよ。私も素直で天真爛漫な、この松本の子達が大好きなので、とても楽しかったです。

　そして４月。ひーこは私の母校でもある中学に入学しました。幸運にも親友と同じクラスになれたので、ほっとしてる様子。部活も決まって、中学生活も順調にスタートしたようです。

　いっぽう、カイトは４月19日で４歳になりました。お尻がかぶれるので、もう夜の紙パンツともさよならしました。最近はひらがなもほぼ読めるようになり、今は自分から書く練習をしています。たいがいのことは自分でできるようになったので、以前と比べて世話はぐっとラクになりました。夜の寝かしつけも、今はパパがやっています。

　というわけで、気がつけば４年半近く続いたこの連載も、今回でおしまいです。ふたりとも元気にすくすくと成長してくれて、親としてはこれほどうれしいことはありません。そして、育児にまつわるあれこれを書き残す機会を与えてくださった、本の雑誌社の皆様に心より感謝して、筆を置こうと思います。親から子供への何よりのプレゼントになると思います、って逆に怒られたりして（笑）。「ママ、こんなことまで書いたの！ヒドイ！」って。

　いつもふたりに言ってることだけど、最後に。
　カイトとひーこは、ママの一番大切な宝物ですよ。ママの子供でいてくれて、ありがとう。
      
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   <title>第３８回</title>
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   <published>2008-04-28T05:48:50Z</published>
   <updated>2008-04-28T05:49:17Z</updated>
   
   <summary>■ラオス蟻、襲来！  蟻が大量発生した。シロアリではない。普通のアリさんだ。普通...</summary>
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      ■ラオス蟻、襲来！


 蟻が大量発生した。シロアリではない。普通のアリさんだ。普通のアリとはどんなアリだと問われても、ファーブルの血筋を引いているわけでもジェラルド・ダールの弟子でもないから説明のしようがない。だから普通のアリさんで理解してもらうしかない。それでは不親切だろうというのなら、こんな説明ではいかがでしょう。
　昆虫の死骸や食い物の欠片に群がる日本でもおなじみのアリさん。しかし日本でよく見る蟻よりもずっと小さい。
　まあ、そんな蟻だ。
　で、その蟻が大量発生した。
　入居時に悩まされたシロアリのほうは完全駆除とはいかないまでも、殺虫剤散布による悪戦苦闘激闘卍固めの甲斐があってかずいぶんと少なくなった。しかし今度は普通のアリさんである。
　それまでも蟻はいた。寒い冬が過ぎ気温が上がってくる三月になると、店の壁を一列渋滞となって行進する蟻の姿はよく目にしていた。ラオス正月ピーマイが終わる雨季はじめの四月半ばから活動はやや衰えるが、それでも雨季が終わる十月半ばくらいまでは、来るべき冬の備えのためなのかせっせとお働きになっている。だがシロアリとは違って建物を食い荒らすわけでもなく、厨房でも被害は皆無といってよかったから、ほとんど注意していなかったのだ。
　それがこの年二〇〇七年は違った。なんと厨房に大量発生して、作る料理作る料理に次々と襲いかかってきやがったのだ。
「うげげげげげぇっー！」
　奇声を発したのはカフェ・ビエンチャン店舗兼厨房主任のアラ先生である。シーホムにある日本語学校の赤貧日本語教師というのは、初代カフェ・ビエンチャン・スターウェートレスだったクロコ先生と同じだ。しかし驚きであったのは、ビエンチャン最悪の料理屋であるシンガポール料理食堂で出していた飢えた犬も食わないような最低カレーを普通だと評する舌ながら、料理を作らせるとなぜか上手なのである。レシピを教えると、一度でみごとに思っていたとおりのものを作り上げてしまうのである。それだけではない。作る過程に創意工夫があるのだ。ということは、教えたなら自分なりの料理を創造することもできるのではないか。台所の天才であるおれは直感した。料理とは既存の料理への足し算・引き算でいくらでも新しい味が作り出せるものだ。その足し算・引き算ができるかどうかがもともと備わったセンスというものである。センスのない人間がいくら頑張っても決まりきったものしか作れないというのは、スタジオ・ミュージシャンがいくらテクニックに優れていようとキース・リチャードになれないのと同じである。上手だが面白くない。
　アラ先生には料理のセンスがあった。しかも舌がおかしいのにである。これはまことに不思議なことで、北大路魯山人も開高健も驚いて自著に書き記したに違いない珍現象である。残念なことに二人ともこの世にいないからわたしが代わりに書き記そう。
　センスの高さは舌の悪さを凌駕する。
　発見であった。
　おれは店舗担当主任だけを考えていたアラ先生に、すぐさま料理主任の称号を与えることにした。もっとも主任手当てはないから、現在問題になっている大企業の悪徳システム“名ばかり主任”と同じなのであるが。
　さて何の話であったか。
　蟻だ。
　話をはじめるとあちこちに話題が飛んでなかなか本題に入らないというのは、巣鴨世代のオバチャンたちに共通する悪しき性癖だが、前期高齢者であるおれもいよいよそこに仲間入りか。まあ、いいや。年寄りはこの世に言っておきたいことを山ほど抱えてるんでぃっ！
　えー、また脱線しました。
　蟻だ。
「ぎょえええええええええーっ」
　アラ主任の叫び声に本日の仕入れを記録していたおれは振り返った。
「蟻が！　蟻が！」
　日本の単位でいえば二十畳ほどの広さの厨房。奥の壁に沿って長さ二メートル、奥行き八〇センチほどの調理台兼ガステーブル。背中合わせに長さ一メートル半、奥行き八〇センチほどのシンク兼調理台がある。その間に立ってアラ主任は料理の下拵えをしていたのだが、壁に沿った調理台に置いてある皿を見て固まっている。
　おれはすぐさま立ち上がり、アラ主任が見つめ固まっている皿を覗いた。
　皿に盛られた白い飯が群がった蟻で真っ黒である。黒飯である。
「お皿に盛ってここに置いてから二分もたってないんですよ！」
　それ以前にも調理台に置いてある調味料や土鍋で仕上げた角煮などが被害にあっていた。蓋を閉めた炊飯ジャーの中にまで進入し飯粒を運び出していたこともある。その勤勉さは二宮金次郎も逃げ出したくなるほどものだが、今回はそこに速さが加わったのである。山下奉文将軍のマレー上陸にはじまるシンガポール攻略もかくありなん！　まさに電光石火の進撃であった！
「巣を叩かんとダメだな」
　売っている殺虫剤は、シロアリ、普通アリ、蚊に蝿にゴキブリと何にでも効くと表示されている強力なものだが、そんな強力な毒薬を料理を作る場所で噴霧したくはない。それに蟻というものは隊列をいくら殲滅しても、巣にいる女王蟻を倒さなければ無駄であると聞く。そこのところは世界悪女列伝中の首位をひた走るカトリーヌ・ド・メディチと同じである。カトリーヌの子どもを拉致して立てこもった賊に向かって傲然と立ち上がった彼女は、スカートをめくり上げてこう叫んだそうだ。
“殺すなら殺してしまいな！　子どもなんぞこの腹からいくらでも生んでやるわ！　くわっくわっくわっ！”
　うーむ…。
　目の前で黒い塊となった蟻が飯粒をせっせと運んでいた。隊列を追いかけると、調理台のタイルの目地に開いた針穴をすこしだけ大きくした穴から続々と出てくる。
「“蟻の巣コロリ”を仕掛けるしかないな」
　おれはアラ主任につぶやいた。
　翌日、日本で売っているのと同じ形態のタイ製“蟻の巣コロリ”を買ってきたおれは、見つけた蟻の巣穴近くに置いた。ほどなくすると、小さな黄色いプラスチックケースに入った顆粒状の毒粒を見つけた蟻が続々と集合し巣へと運びはじめた。
「愚かものめ。所詮、おぬしらは虫けらよのう。これを食った女王が死ぬとも知らずに」
　おれはほくそえんだ。
　一時間もすると、毒はすっかり巣に運び込まれて蟻の行進は終わりを告げた。これで終わりだ。
さらばだ！
　蟻よ！　
　しかし授業の合間を縫って料理の仕込みにやって来たアラ主任が、新たな叫び声を上げるまでに時間はかからなかった。
「ぎょええええええええっ！　蟻は死んでません！　なんだか昨日よりもっと元気になってますよ！」
　蟻の巣コロリの毒粒はユンケルだったのか。見ると蟻は元気百倍の勢いで調理台を縦横無尽に走りまわっているではないか！
「酢をかけろ！　焼き殺せ！　殺虫剤を撒け！」
　それは殺到する敵に我を忘れ叫ぶ敗軍の将そのものであった。
　それにしてもコンクリートで固め作った調理台のなかに巣穴を作るとは、ラオスの蟻の顎の強さと食い意地は強烈をとおり越して脅威ではあるまいか。ちなみに蟻の被害は食い物だけにとどまらなかった。なんと二階の洗濯場に置いてあった汗臭いＴシャツやパンツを食いちぎって穴だらけにしたばかりではなく、干しておいたバスタオルにも群がって、それと知らずにシャワーの後にそれで体を拭いたおれの体を噛み跡だらけにしやがったのである。スター・ウエイトレスのクロコ先生が発見し教えてくれた、“ラオスの蟻は汗臭いパンツを好む説”に疑問を持っていたおれだが、ここに彼女の説が正しかったことが証明されたわけである。
　もう一つ言い添えておくと、蟻に噛まれたあとに残る痒みは激烈だ。ラオスの蚊なら刺されても二時間もすれば痒みは引くが、このラオス蟻の場合はヘタをすれば一カ月近くも痒みが残るのである。蟻が群がったパンツを履かずに済んだ幸運に、おれは心から感謝したのであった。

      
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   <title>第３７回</title>
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   <published>2008-04-15T05:43:58Z</published>
   <updated>2008-04-15T05:44:19Z</updated>
   
   <summary>■はいなーっ！荒がやって来た 　三月。  乾季だ。  雨季には満々と水を湛えて流...</summary>
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      ■はいなーっ！荒がやって来た


　三月。
 乾季だ。
 雨季には満々と水を湛えて流れも急なメコン河もさすがにこの時期は干上がり、巨大な中洲がいたるところで露になっている。そのほとんどは乾いた泥が堆積しているばかりで、渡ってみてもレジ袋の山と枯れた葦があるだけだ。見るべきものは何もない。
　それでも探してみると遊べそうな場所というのはあるもので、街の中心部からバイクで三〇分ほど上流に遡ったところには、広くて美しい砂浜を持つ、ちょっとしたビーチ・リゾートのようになっている中洲もある。河が蛇行点となっていることもあり、流れもそれほどではないので泳ぐのに最適だ。これは香港生まれの知り合いのイギリス人トーマス君が探し出してきた中洲で、休みの日に何人かの仲間を誘い合って遊びに行ったことがあるが、街から離れていることもあって人もおらず、のんびりまったりと酔っぱらえて申し分なかった。しかもタイ側の岸辺に中洲が繋がっているため、歩いて密入国できてしまうオマケ付き。しかし渡ったとしてもビエンチャンよりも数段田舎の村があるばかりだから、万が一警察に捕まったりする面倒を考えたらこんなところで密出入国しても意味がない。渡るのは犯罪者か野良犬くらいのものだろう。もっとも中洲を伝って対岸に渡れそうなのはそこばかりではなく、ビエンチャンの中心部に面した観光客が必ず訪れる河岸も同様で、三〇〇メートルほど先のタイ側に行こうと思ったら、狭くなった河を犬掻きして中洲に渡り砂地を駆け抜けてから再び狭くなった河を犬掻きするだけの超ミニ・アイアンレースもどきで充分だ。別段警備艇が哨戒しているわけでもなく監視塔があるわけでもないから、地元民が暗闇にでも紛れて適当に行き来していてもよさそうなものだが、やはり行かないのはラオス人にとっても渡る意味がないからなのだろう。越境する意味のない国境。世界には越えたくてもどうしても越せない国境がたくさんあるのに面白いものだ。
　そして三月のその日だ。
　カフェ・ビエンチャンはいつものように午後六時に開店した。昼の部をやめてからの開店時間は、本来であれば午後五時だったが、仕込みが追いつかなかったり掃除が終わらなかったりでいつの間にか六時になっていた。その六時にしたってときには六時半になったり七時になったりで、いい加減なものである。最初こそ開店時間厳守を頑なに守ろうと考えていたのだけれど、ただ時間に追われている自分にハタと気づくと、なんだこれじゃ日本にいるときと同じじゃねえかとバカバカしくなってしまった。だいたい時間厳守をうるさく守らせねばならない従業員がいるわけでもない。自分ひとりなのだ。客にしたって開店時間を気にするような人間はほとんどいない。いるとすれば自国の時間を引きずっているラオスに来たばかりの外国人くらいである。しかも店長として雇われているわけでもなく自分の店なのだ。何時に開けようが誰も困らない。おれも困らない。文句あるか。えっ、おいっ、てなもんだ。
　ということで六時半に開店のしるしである亀のイラストの入った看板を、外との仕切りにブロックで積み上げた低い壁に立てかける。
　次には店内の照明と店頭の庇に一つだけぶら下げてある裸電球に灯りを入れる。外はまだ明るい。店内の照明も含めて、店側で使っている電球はすべて二五ワットの裸電球だ。蛍光灯は料理がまずく見えるから使わない。日本にいるときもずっとそうしてきた。それにラオス人は蛍光灯の灯りを好むので、夜ともなると隣近所の照明がみな白色光になっているなか、カフェ・ビエンチャンだけが柔らかな黄色い光を闇の中にふわりと浮かばせて、遠くからでもくっきりと店の在り処がわかるという利点もある。店のある場所が仲通りで、夜に開いている店はカフェ・ビエンチャンだけだからなおさら目立つというものだ。だらだらと一年かけて店を作っていたわりには、けっこうおれも考えていたのである。いや。正直に言おう。好きなように作っていたら、結果としてこうなった。なんだ。おれってやっぱり天才じゃないか。と自画自賛しなければやっていけない人生の残り時間が少ないお年頃だ。
　店頭の裸電球にはホーロー皿で作った笠をかぶせてある。店内の照明はメコン河で拾ってきた小さな流木を壁に這わせてそこにぶら下げたり、同じく小さな流木にソケットを取り付けて天井からぶら下げている。光が作り出す適度な影がクリーム色の天井や壁に小さな起伏を与えて、店内に居る者をやさしく包み込む。心が和らぐ。酒飲みの脳幹がとろける。
　天井に付いている飛行機のプロペラのような大型ファンのスイッチを入れる。速さは三段階。三〇℃前後の気温なら最も低い速さで充分だ。
　ファンがゆっくりと回って頭上から風を送ってくる。
　本とＣＤが並んだ壁際のカウンターの上にはＣＤラジカセ。
　コンセントを繋ぎスイッチを入れる。ヨドバシで二九八〇円で買ってきたそのラジカセは、持ってきて一週間もしないうちに、間違って変圧器を通さずコンセントを直接二〇〇ボルト電源に差込み壊れてしまったのだが、タラート・サオにある修理屋に直してもらって無事復活。修理代七ドル。ついでに一〇〇ボルトの日本仕様だったのを二〇〇ボルト仕様に変えてもらって使い続けている。ビエンチャンではたとえ電化製品が壊れても大抵のことなら修理屋が直してくれるから便利このうえない。しかも日本の家電メーカーのように部品がないから新しいものを買えなどというふざけたことはまず言わない。ストックしてあるガラクタから使えるものを取り出してきて、あれこれいじくりまわして結局直してしまうから大したものだ。日本でそんなことをすれば危険だからやめろと修理屋にメーカーから手入れが入りそうなものだが、考えてみると修理も簡単にできない危険なものを作ってるお前らが問題なんじゃないのか。それとも修理なんかさせずに、さっさと新品を買わせたいという魂胆か。なにがエコだ。笑わせるぜ。
　日本ならとっくにお払い箱になっているはずだったＣＤラジカセから音楽が流れはじめる。本日の店開けはダイア・ストレイツのライブ・アルバムを。
　奥のトイレへと通じる入り口には階段が二段あって、その先のスペースは店の床から三〇センチほど低くなっている炭置き場兼七輪での煮込み料理場だ。ここでいつもドミグラスソースを作ったり豚の角煮の下ごしらえの煮込みをしている。そこを抜けていくと床が三〇センチほど上がって厨房となっている。
　店内から奥へと入る階段脇に置いた裸電球の照明に灯りを入れる。その灯りを覆うようにして八〇センチくらいの二本の流木をシェード代わりに立てかける。
　以上、これが店を開けたカフェ・ビエンチャンのいつもの様子だ。
　おれは厨房からキンキンに冷えたビア・ラオを店に持ってきて、まずは一杯やる。これが儀式。というより習慣。この一杯のために掃除をしたり仕入れに行ったり仕込みをしたりしているようなものだ。
　冷たさが脳天を貫く。ビアラオを配達してくる兄ちゃんは、ビールの温度は六度から七度くらいがちょうど美味しいなどとレクチャーしてくれるが、そんなことは知ったことか。ことビアラオに関していえばキンキンに冷やしまくったほうがうまいのだ。おれはそう決めているのだ。
　ふうぇーっ！　
　うまいっ！
　と、口に出す。
　マーク・ノップラーの乾いたギターの音色が鼓膜をふるわせる。
　いつもならここでもう一杯を流し込むところだが、じつはその日は一人ではなかった。あらたなカフェ・ビエンチャンの仲間が目の前にいたのだ。
「うまーいっ！」
　同じように叫んだのは荒さん。ビエンチャンで日本語の先生をしている。カフェ・ビエンチャン開店時の花形ウェートレスだったクロコ先生の後任教師。店の常連でもある二十九歳。薄給で食うものも食えないところはクロコ先生と同じ。そこにつけ込み、夕飯とビールを餌に店を手伝わせることに同意させたのである。ただで労働力を確保するあこぎな男とはおれのことだ。
「この一杯が今夜の活力を生む！　悲しいことだらけの世界に光を灯す！」
　あこぎなおれは言った。
「そうですよねえ。この一杯ですよねえ」
　労働初日。今日の店開けは荒さんがすべて仕切った。
　それにしても初日にしてカフェ・ビエンチャンを切り盛りする楽しさの本質を理解した言葉。嬉しいではないか。
「とにかく楽しくやろう。よろしくたのむ！」
「わかりました！」
「というところで、もう一本ビアラオ」
「はいなーっ！」
　荒さんが正式にカフェ・ビエンチャンのスタッフになった夜だった。そして彼女はこの夜以降、考えていた以上にカフェ・ビエンチャンを盛り上げてくれることとなる。
　また一つの出会い。
　店が呼び彼女を寄せたのか。
　魔法の街だ。
　ビエンチャン！　
      
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   <title>ふたりの育児　第41回</title>
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   <published>2008-04-14T05:01:46Z</published>
   <updated>2008-04-14T05:02:22Z</updated>
   
   <summary>　仕事が忙しければ忙しいほど、そのぶん子供たちに癒される日々。ただ、子供の顔を見...</summary>
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      　仕事が忙しければ忙しいほど、そのぶん子供たちに癒される日々。ただ、子供の顔を見るだけでいいのです。それだけで心からほっとする。

　こんなこと言ったら顰蹙を買うかもしれませんが、小さい子供のいる家庭ほど幸福な場所はないんじゃないでしょうか。それはもう、本当にささやかでちっぽけで、どこにでもある、一見当たり前のような光景です。子供のほうは、その幸福に気がついてすらいないかもしれない。でも、親にとっては、こんなに大切で愛しい場所は他にない。

　夜、家族で一緒に食卓を囲む。大皿に盛ったおかずからカイトが食べる分を小皿に取って小さく切ってあげたり、お姉ちゃんに「野菜も食べなさい」と促したり。お姉ちゃんは学校での出来事を話し、カイトは自分の話も聞いて欲しくて負けじと茶々を入れたり、テレビの前で芸人の真似をして踊り出したりと忙しい。パパが帰って来れば「おかえり～！おみやげは？」とうれしそうにねだる。そのうちふたりでケンカが始まってカイトが「おねえちゃんが悪い子した～」とわあわあ泣き出す。ああまったくもう、うるさいなあ～なんて思うこともあるけれど、でも例えばどちらか片方でもいなかったりすると、それだけでなんだか家の中にぽっかり穴があいたみたいになっちゃって、妙にさみしい。日頃すぐカイトに怒るくせに「あれ、今日、カイトいないの？なんか静かすぎてつまんない～」とお姉ちゃんがぼそりとつぶやいたり。こんなたわいのない日常が、何よりも、何よりもいとおしい。今だけの、幼い子供たちのいる家ならではのあたたかさ。

　街の中で、若いお母さんと小さな子が歩いているのを見るのも好きです。子供がにこにこしながら何かお母さんに話しかけていて、お母さんがそれに甘い声でやさしく答えている。そんな風景を見ていると、こちらまでほんわかした気持ちになって、思わず微笑んでしまいます。おじいちゃんやおばあちゃんが、小さな孫の手を引いて歩いていたり、おんぶしながら何やら小さい声でゆっくりとあやしている情景も好き。まだおぶえるほど幼いこの時期だからこその、心あたたまる風景。

　結婚して子供が生まれて、家族ができて。すごくベタな表現ですが、自分が親という立場になってはじめて「愛情」というものが何なのか、わかった気がします。親でいる、ということがどんなに幸せなものなのかも。自分が親にならない限り、人は幾つになろうとも、永遠に「子供」という立ち位置のままなのですね。誰かに守られる立場のまま。こう言ってはなんですが、自分のことだけ考えていればよい状態。しかしいったん親になると、死ぬまで「親」のまま。常にまず自分よりも何よりも大事な、命を賭けてでも守らなければいけない、守ってやりたい大切な存在がいつも心の片隅にある。

　親になってみると、いままで気がつかなかったいろんなものが見えるようになる。自分の両親がどんな気持ちで私を育ててくれたのか、あのときどうしてあんなことを言ったのか、がおぼろげながらわかるようになる。そうか、一生懸命レールを敷こうとしてたのは子供に平穏無事な暮らしをさせたいからだったんだとか、偉そうに見えたけど、実は親だってただの弱い人間だったんだ、なんてことまで見えてきたりして。自分の今までのワガママぶりや傲慢ぶりに恥じ入ることもしばしば。ああ、あのとき自分はなんてひどいことをしたんだろうとか。いまさらながら、自分の親への感謝の気持ちが芽生えてきて。

　カイトをきつく叱ったあと、そっと「ママ、ママはカイトのこと、だいすき？」なんて確かめるように聞いてきたりすると、思わずきゅ～んとしてしまう。「もちろん大好きだよ」と言うとほっとした表情で「カイトもママがいちばんだいすき！」と言ってチューしてくれる。親ってなんて幸せなんでしょう。こんなにも無条件で愛してくれる存在がいる、この絶対的な幸福。ありがとう。あなたたちがいてくれて、ママは本当にうれしいんだよ。どうか、どうかずうっと元気でいてね。ただただ、元気で。それだけでいい。ケガや病気で苦しまないでおくれ。精神的につらいことはね、これからいっぱいあると思う。でもそれは生きていくうえである意味、しょうがないことなの。誰も彼も、みんなそれを乗り越えて生きてるんだ。だからあなたたちも、頑張れ。できる限りの援助はするから。困ったときは何でも言ってね、一緒に乗り越えていこうよ。

　なんでしょうね、トシのせいかなあ。30代のときはとにかく目の前しか見えなくて、バリバリと茨の茂みをかきわけかきわけ突っ走るような毎日で、子育ても何をどうしたらいいのかまったくわからず、ただがむしゃらにやってきたけれど。40過ぎてから、なんだか以前よりも子供がいとおしくてたまらない。ワガママな言い草さえも、んもうかわいいんだからぁ、なんて思えて。カイトは特に、自分と40歳近く年齢差があるせいでしょうか。お姉ちゃんも最近はなんかかわいくて、時々むぎゅーと抱きしめたりしています。もはや体格は私と同じなので、あんまり子供って雰囲気じゃないんだけど（笑）。

　心に余裕が出てきたというわけではないのですが、昔より少しだけ許容範囲が広くなってきたような気もしています。子育てを楽しむ、という境地にはまだ遠く及ばないのですが（何よりお姉ちゃんはこれから中学、思春期真っ只中でこれから新たな問題が頻発して大変だろうしなあ）、子供といる日々、それ自体を楽しんでいるというカンジでしょうか。特に何事もないんだけれど、二度と戻らない、かけがえのないやさしい日々を。
      
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   <title>第３６回</title>
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   <published>2008-03-31T08:30:53Z</published>
   <updated>2008-03-31T08:31:42Z</updated>
   
   <summary>■どうでもいいが黙っていないでビールを飲もうではないか！ 　二〇〇七年の正月明け...</summary>
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      ■どうでもいいが黙っていないでビールを飲もうではないか！

　二〇〇七年の正月明け。一月末に一旦札幌に戻った。仕事がフリーランスという綱渡り生活をしているため、確定申告をしなければならないからだ。ラオスでの納税は外国人投資法の適用によって営業開始から二年間免除されているので問題はない。しかし住民票は札幌に残したままなのだ。申告せずに放りだしておくわけにもいかない。二十代から続く相も変わらずの低収入は別段申告の必要などないように思えるのだが、収入のほとんどが原稿料収入で源泉徴収されているから、払いすぎている徴収分はきっちりと還付していただかねばならないということだ。それでなくても日本国は税徴収に関しては厳しいが使い方に関しては出鱈目な国だ。そんな国家をきちんとコントロールするためにも無駄な税は払わぬことが肝心である。サラリーマンよ、フリーターよ、税申告は会社任せにせず自己申告せよ！　納税の主権を国民に！　憲法第九条の改正より前に、納税は国民の義務であるという三十条を改正せよ！　と「反社会学講座」でパオロ・マッツァリーノ君も言っておるではないか。
　などとつらつら考えながらおれは日本への帰途についた。
　千歳空港を出て札幌までの電車に乗る。暖房の入った車内は寒さこそ感じないが、車窓の外に広がる景色は一面の雪で思わずふるえがきてしまう。キラキラと輝く太陽の光はまるで天から降ってくるつららの束で、ぶつかって反射する地上の雪から金属音が聞こえてくるようだ。雲ひとつない青い空が寒さに凍って見える。
　それでも暑いビエンチャンと冬季の北海道を何度か往復するうちに、その極端な温度差は慣れてしまったが、逆に気になって仕方がなくなってしまったことがひとつだけあった。街ゆく人々が一様に浮かべている曖昧な表情を見ると、そこに精神の温度の低さや心の冷たさを感じてしまうようになったのだ。どうにも居心地が悪い。違和感がある。拒否されているようなのだ。もっと言えば、とても寂しい。そんな感覚だ。札幌行きの電車に乗っているときの満席であるにもかかわらず奇妙に静まった車内。肩を寄せ合って座っているのに一億光年も離れているようなよそよそしさ。無関心と拒絶。人間だけは押し合い圧し合いするようにたくさんいるのに、皆頑なに閉じこもっている。
　おそらく、ビエンチャンに暮らしているうちに、支配しているゆるんだ空気とラオス人が持つ柔らかな押し付けがましさに、おれの精神と心はくたくたに揉み解され開かれてしまったのだろう。閉じた心がそばにあると、どうしようもない寂しさを感じるようになっていた。五十を過ぎて思春期だ。しかしその思春期は、十代のときのそれのように過剰な自意識の鎧を着たようなものではなく、どこまでも心地よい。ビエンチャンで一人暮らしを始めたとき、ラオス人によく聞かれたことがある。
“一人で寂しいだろう”
　大のオトナに何を言っているのかと思ったものだが、今なら感覚として分かる。だから列車内で思う。
　あのさ、せっかくだから話をしようぜ。
　ビールを飲もうぜ。

　引っ越して半月ほど過ごしただけだったアパートに着くと、猫が不思議な顔をしておれを出迎えた。十五年以上もの長い付き合いなのに冷たいやつだ。飯なんかやらんからな。とつぶやいたらそれだけは察したのか飯をくれと催促する。鋼鉄の妻は仕事に出ていた。仕方なく猫缶を開けた。ロバート・アルトマンが監督した「ロング・グッドバイ」のフィリップ・マーロウになった気分がした。アルトマンが演出したマーロウはすこしもハードボイルドではなく、飼い猫にもバカにされているいい加減な中年男だ。住んでいるアパートの隣に住む可愛い娘に買い物を頼まれれば夜中だって車を走らせる。見返りのあるなしに無頓着な男。それが定型的なハードボイルドのパターンを大きく逸脱して、とても新鮮に思えた。
　テレビをつけた。
　総理大臣の安倍晋三がカメラ目線でインタビューに答えていた。疲れた犬みたいだった。日本みたいに。
　何をしゃべっているのかわからなかった。
　テレビを消した。
　静かだった。
　寂しいくらいに。
　飯を食い終えた猫が炬燵にもぐりこんだ。
　さてカフェ・ビエンチャンに戻ったら、こんどはどんな新しい料理を出そうか。
　一カ月後。おれはビエンチャンに戻った。
「いいですよ！　手伝いますよ！　ビールに食事つきですよね！」
　待ち受けていた目の回るような忙しさの店で、客として来ていた常連の酔っぱらい“ハイな～”荒が言った。
　後期カフェ・ビエンチャンの欠かせない厨房兼接客係となる荒えりせ嬢、登場！
      
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   <title>ふたりの育児　第40回</title>
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   <published>2008-03-24T02:41:08Z</published>
   <updated>2008-03-24T02:42:40Z</updated>
   
   <summary>　最近、カイトとしゃべっていると、その言葉遣いにびっくりすることがしばしばありま...</summary>
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      　最近、カイトとしゃべっていると、その言葉遣いにびっくりすることがしばしばあります。「オレ、それいらねー」「オレ、それ食わねえ」「これ、オレのだぜ」「オレ、それ食うぜえ～」
　
　ええっ、カイちゃん、３歳にしてもうオレオレ言葉なんですか!?　そのぷりぷりのまるまるとしたお顔で！「テレビ」もいまだに「テテビ」って発音してるくせに！　に、似合わなさすぎる！　その背伸びしたカンジが妙におかしくて、いつ聞いても笑ってしまいます。「カイト、“食わねえ”じゃなくて、“食べない”でしょ？」と直しても「いいんだよ、このほうがカッコイイんだよ」と聞く耳持たず。どうやら、やっぱり保育園の男の子たちがこういう口調でしゃべっていて、それに憧れているようなのです。３歳児でもちゃんと、これが男っぽいしゃべり方ってのがわかるんだなあ。最近は「カイトってかわいいね」と言っても「カッコイイって言って！」なんて返してくることもあって、ああ、こうやって徐々に男の子っぽくなっていくのね、などとしみじみ。

　ご飯もよく食べるようになり、まあムラ食べなのでいつもというわけではありませんが、食欲のあるときは大人１人前の焼きそばをぺろりと平らげてしまいます。そしてお腹はいつもぽっこり（笑）。な、なんか満タンってカンジなんですけど、大丈夫なのこれで？100センチのパジャマのお腹部分がもうぱつぱつで、全然余裕がないんですけど？　いえ、決して太っているというわけではないんですよ。お腹だけがぽっこりなの。食後にもお姉ちゃんがゼリーを食べていれば、必ず自分も１人前食べるし、パパがクラッカーを食べていれば、ちょこちょこと寄っていき、そっと様子をうかがいながら、すすっと何枚か抜いて食べている。まさに食欲魔人。いったい、その小さな体のどこに入ってるの？

　そして、出すものも大量に出します。１日に３回くらいウンチすることも。それも立派なバナナ大のを。夜中、寝ながらすることもあるので、いまだに夜は紙パンツがお友達。おしっこの量が多くて、もうビッグサイズの紙パンツだと吸い切れなくてもれてしまうので、今は夜用のオヤスミマンを使ってます。

　よく食べるだけあって、確かに体重も重くなりました。今、17キロ近いかな。抱っこすると、太ももがお姉ちゃんのときと比べて、すんごくぶっといのです。女の子は抱っこしてもマシュマロか大福のようなどことなく柔らかいカンジがしますが、男の子は細胞のひとつひとつが固くて重いカンジがします。がっちりしてる。カイト、もうお願いだから、抱っこは勘弁してね。マジで。ママ死ぬから。出先で昼寝されたりすると、もうアウト。重くて一歩も動けません。そういう場合はとにかく喫茶店とかファーストフード店を探して駆け込みます。それにしても、子供って本当に無防備に、どこでもおかまいなしに熟睡するのよねえ。

　おふざけ度はますますヒートアップ。ほんっとに、朝から晩まで１日じゅうふざけまくっています。いつもはきはきと、大きな声でしゃべって走って踊って、元気いっぱい。パワーに満ちあふれています。以前はいつもニコニコ、というカンジだったけど、最近は「ニコニコ」というよりも「ニタニタ」というか「ぐふぐふ」というか。もっとワルガキ小僧っぽい雰囲気になりました。そして暇さえあればイタズラ三昧。今日はママのスリッパを机の下に隠してくれました。でもやったあとに、ちゃんと報告してくれるところがおかしい。語尾には必ず「おっぱい！」と叫んでみたり、ママが珍しくスカートを履いてると嬉々としてスカートめくりをしたり、本当にエロ助です。男の原点見たり（笑）。もう、これはオトコのサガなのね、きっと。いつになったら外で「おっぱい」って叫ぶの、やめてくれるのかなあ……。そうそう、私がデジカメで庭の写真を撮っていたら、「カイトも撮って！」とリクエストされのですが、ピースサインで１枚撮ったあと、「ママ、カイのおしりの写真も撮って！」と後ろを向いてお尻をぷりっと振ってポーズを取ってくれました……。その後、自分のお尻写真を見てゲラゲラ。本当に男の子って面白すぎる。

　つまるところ、ここ１ヶ月くらいで突然、なんだかとっても「男の子」っぽくなってきた気がするのです。赤ちゃんっぽいかわいらしさが少し抜けて、少年の匂いがしてきたというか。「カイちゃん、かわいい～ん！」とぎゅっと抱きしめてあげる、という雰囲気じゃなくなってきました。それよりは「このアホタレ息子！」と言ってぺしっとお尻を叩くほうが似合うような。ああ、なんだかうれしいようなさみしいような……。もうだんだんと、あのかわいいカイトくんじゃなくなっていくのか……。早すぎるよう。

「どうして攻撃」もついに始まりました。しょっぱなの質問は「ママ、どうしてちきゅうはまるいの？」ほほう、いきなり理系な質問か。「うーんとね、ええとね、おつきさまとたいようがまるいのと同じだよ」。我ながらなんといい加減な答え。すまん。子供の質問ってけっこう答えるの難しいのよね……。ちゃんと調べないとわからないことが多くて。いかに大人がアバウトな知識で生きてるかがよくわかります。ちなみにお姉ちゃんはカイトのこの質問に「神様がボール遊びが好きだから、丸く作ったんだよ」とかなんとか答えてやってました。そういう夢のある答えも、それはそれで考えるの難しいんだよね。

　先日はお風呂から出るなり「ママ、カイトは、おおきくなったらほんやさんになる。でも、今はまだ小さいから、できない」ときっぱり言いに来ました。「何になりたい？」とこちらが聞いたことはあったけど、自分から何かになりたいと言いに来たのはおそらくこれがはじめて。ありがとうカイト、ママ、すっごくうれしかったよ。この言葉、カイトは忘れても、ママは一生忘れないからね。３歳と11ヶ月のこの晩の言葉を。
      
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   <title>第３５回</title>
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   <published>2008-03-18T11:11:27Z</published>
   <updated>2008-03-18T11:12:20Z</updated>
   
   <summary>■時よ戻れと念じれば必ず戻ると男は動いた 　二〇〇七年の正月はビエンチャンで迎え...</summary>
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      ■時よ戻れと念じれば必ず戻ると男は動いた


　二〇〇七年の正月はビエンチャンで迎えた。ラオスの正月は四月のピーマイ＝水かけ祭りが本式だから、役所も企業も休みは大晦日と元旦の二日間のみ。一月二日からは、どこも通常通りの営業となる。そこでカフェ・ビエンチャンもそれに倣い、休みは元旦と二日だけとして二〇〇六年は大晦日までの営業とした。在住外国人の多くは休暇を取って自国に戻ってしまい、それほど客が見込めないだろうことはわかってはいたが、思いもかけない銀行凍結事件で長く店を閉めていたこともあったから、最後くらいはきちっと締めて終わりにしたい。そう思ったのだ。
　ところでラオスの大晦日といえば店の大常連である“焼肉大王”別名“ラオス牛タン販促連盟会長”から信じられないようなバカ話を聞いたことがある。それは革命三〇周年の記念年越しパーティが政府主催で祝われた二〇〇五年の大晦日のことだったという。
「年越しパーティが特別生中継されるということで、どんなものだろうって家でテレビを見てたんですよ」
　革命三〇周年を祝う政府主催のパーティといっても、さすがにラオスだけあってお気楽なもの。宴会場に丸テーブルを並べて飲み食いし、政府首脳の演説やらカラオケやらを聞くというもの。それぞれ一卓ずつのテーブルが売りに出され、金さえ払えば誰でもが参加できるのは、たとえ知人でなくても友だちの友だちはまた友だちみたいな感覚で、知らない人間の結婚式や誕生会に顔を出し飲み食いすることをあたり前としているラオス人らしい方式である。
「でも、テレビカメラは正面からステージを映したまま。それもフィックスしたまま動かないからつまらないのなんの。さすがラオス国営テレビだって、あくびが出まくり」
　ラオスのテレビ局は技術が幼稚なのか、それとも無駄に動いて疲れたくないのか、生中継をすると対象を正面から映すだけでパンすることもズームすることもない。カメラを二台以上使う場合でも、なぜか画面を切り替えるなどごくまれ。小津安二郎が失神し、蓮實重彦やドナルド・キーンが失禁するような意味のない長回しばかりなのだ。日本のサッカー中継みたいに、あざといまでにパンやらズームやら切り替えやらプレイ・バックやらを繰り返して肝心のゴール・シーンを外してしまうというのも考えものだが、さすがにここまで演出がなさすぎると芸術を通り越して退屈の極みというものである。二日酔いの朝に無理やり見せられるタルコフスキーだ。拷問である。加えてラオス人の大好きな恋愛ドラマもお笑いバラエティーもプロレス中継もないから、さすがにラオス人もつまらないとみえ、ほとんどの人はラオス国営テレビにチャンネルを合わせることはない。かわりに見ているのは、お隣タイから流れてくるタイのテレビ局の番組ばかりである。もともとラオス語はタイ語と親戚関係にあるから、ビエンチャンに住むほとんどの人々はタイ語を解することができるのだ。しかもビエンチャンに関して言えば、メコン河を挟んで向こう岸はタイなのである。テレビ電波なんぞ蛇口の壊れた水道のように、ジャカジャカと流れ込んできているというのが実情だ。見ない手はないというものだろう。
　しかしその大晦日のときには、神の悪戯であろうか。普段であれば拷問のごとき退屈で終わったはずの、ラオス国営テレビならではのパンなし切り替えなし生中継が、世紀の珍場面をスクープすることとなったのだからわからない。
　“ラオス牛タン販促連盟会長”略して“タン販連会長”が続ける。
「それでも他にやることもないし、一応、ラオス政治の研究者ですからじっと我慢して見てたんですよ」
　言い忘れたが“焼肉大王”別名“ラオス牛タン販促連盟会長”は、カフェ・ビエンチャンで連夜牛タンを三皿以上食べビールを浴びるように飲み、さらに深夜のビエンチャン市内をレゲエをかけながら用もなく車でパトロールしているとき以外は若きラオス政治研究者である。
「パーティは、日本のゆく年くる年みたいに深夜〇時に近づくとカウント・ダウンを始めてハッピー・ニュー・イヤーっていうのが、当初のプランだったらしいんです。だから政府首脳がしゃべったり歌ったりしているステージの背面には大きな時計があって〇時に向かって時を刻んでたわけですよ」
　長い髪を後ろで束ねた“タン販連会長”はうなずいた。
「で、〇時まで四〇分くらいってときだったかな。結構位の高い政府関係者がステージに上がって演説を始めたんですよね。まあ話はつまらないんですけど、それはいいとして、一〇分たっても二〇分たっても話が終わらない。そうこうしているうちに、話している偉いさんの後ろに映ってる大時計が、カウント・ダウンの時刻に近づいてきたわけですよ。あーあー、どうするんだろうなあって見てたんですけど、酔ってるのか話がだんだん熱を帯びてくる。と思ったら、いよいよカウントダウンじゃないですか。偉いさんの後ろの大時計もあと一〇秒ってところまで秒針が来ている。それとは別にテレビの画面には秒数を刻む時刻数字も出た。しかししゃべりは終わらない。司会はいないし、しゃべってるのが政府の偉いさんだから誰も止める人がいない。ラオス人て偉い人だとか権威だとかに極端に弱いじゃないですか」
「うん」
　日本人も権威に弱くて名刺に書かれた役職や肩書にはやたらと気を使う民族だが、ラオス人はそれ以上だ。しかも摩擦を好まず長いものに巻かれるのが大好きである。
「で、遂にカウント・ダウンもないまま時計の針は〇時を過ぎちゃったわけですよ。あーあーあーあー、やったよ。やっちゃったっよ。でもラオスらしいよって思ったんですけど。」
「はははは」
　ありそうなことだ。おれはうなずいた。しかし続きがまだあったのである。しかもとんでもない続きが。
「でもそれだけじゃ終わらなくてですね」
　一拍置いた“タン販連会長”がビアラオをぐっとひと口あおった。
「信じられないかもしれないですけど…」
　会長の口元に笑いがこぼれおちた。
「カウント・ダウンを潰して〇時を過ぎてもまだしゃべり続けてるお偉いさんの後ろに、すっと人が出てきたんですよ。政府関係者かテレビ局の人間かはわからないんですけど、そいつが何をするかと思ったらですね。これが信じられない！　ホントに！　すごいんですよ！　びっくりですよ！」
　なんだなんだ！
　おれは身を乗り出した。絶対に面白い話に違いない。会長の吹き出しそうな表情に確信する。
　確信は間違ってはいなかった。
　会長が笑いをこらえながら続けた。
「その出てきた男がやったのが、びっくりしたことに、お偉いさんの背面に掛けられてる〇時をとっくに過ぎた大時計の長針を、指で〇時一〇分前まで戻したんですよ！」
　爆笑した。さすがラオスだぜ！
「日本のテレビ局だったらすぐに画面を切り替えて映さないところですけど、ラオス国営テレビですからね。もう画面は動く気配すらなくて正面からしっかりと！　しかもお偉いさんの話はまだ続いていて。きっとお偉いさんに恥をかかせないようにとの、ラオス人らしいホスピタビリティなんですかね。でも間抜けなのは時計の針は〇時一〇分前までタイムスリップしてるのに、画面に映ったカウント・ダウンのための時刻数字は容赦なく刻まれていて、とっくに〇時を過ぎて元旦になってるんですよ！」
　楽しくなって、おれは叫んだ。
「嘘だあ！　そんな面白いテレビ番組があってたまるか！」
「ホントですって！」
“タン販連会長”はきっぱりと答えた。
　グリニッジ標準時間を政府ぐるみで変えた地球上唯一の国。いや。手動でタイムトラベルを可能にした唯一の国。それがラオスである。
　しかしだ。よくよく考えてみると、べつに新年に入る時間が世界から一〇分遅れたとしてもいったい誰が困るというのだろう。カウント・ダウンさえ気持ち良くできれば、それが〇時三〇分になっていようと構わないじゃないか。時間も人生も自分だけのものなのだ。自分の時間は自分でつくる。楽しみもまた自分でつくるしかない。一〇分遅れて困るなら、自分で自分の時間を修正すればいいだけのことである。お偉いさんの後ろで時計の針を修正したラオス人のように。
　脳生理学者の渡辺俊男は言っている。
“その日一日楽しかったことを富と思え”
　こうしなければならないという世界の決めごとから外れる自由と楽しさ。日本から来てラオス人的な生き方が豊かに見える理由がそこにあるのだろう。
　おれはラオスに来て、また一つ学んだようだった。
　
　ということで、いろいろとあった二〇〇六年大晦日。帰国せずに残っていた日本人たちが集まって、店で年越しそばを食べた。
　午前〇時。花火が打ちあがった。
「おめでとう！」
　店の前に出て夜空に咲く花火を見ながら、みんなでビアラオのグラスを掲げた。肌寒さを覚えるほどに下がった気温だが、心は温かかった。さまざまな出会いがあった。ビエンチャンに来てほんとうによかった。そう思った。
　二〇〇七年が明けた。
　カフェ・ビエンチャン最後の年だった。
      
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   <title>ふたりの育児　第39回</title>
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   <published>2008-03-07T04:42:50Z</published>
   <updated>2008-03-07T04:43:05Z</updated>
   
   <summary>　退社時間の夕方４時まで１分たりとも気を抜かず死に物狂いで仕事して、それでもどう...</summary>
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      　退社時間の夕方４時まで１分たりとも気を抜かず死に物狂いで仕事して、それでもどうしても片付け終わらないファックスや郵便物はお持ち帰りするため手提げにぶち込み、定時になるといつも超ダッシュで帰ります。そんなに焦らなくても保育園には間に合うのですが、それでも１本でも早い電車に乗ろうと、いつも小走りになります。少しでも早くお迎えに行って、カイトに会いたいから。このうずうず感は、待ち合わせしてる恋人に会いに行く気持ちとちょっと似ているかもしれません。

　カイトのほうもちゃんと心得ていて、夕方が外遊びの日はいつも、門のすぐそばで遊びながらうろうろしています。いつママが来るかと、そればかり気にしながら。保育園に入ってしばらくは、ママの顔を見るたびに泣き出していましたが、さすがに最近は慣れたのか、お迎えに行っても泣くことはなくなりました。代わりに私の姿を発見するや「あっ、ママだ！ママ来た！」と叫んで今遊んでいた遊具を放り投げ、満面の笑顔で私の腕に飛び込んできます。まるで１年ぶりに会ったかのような、感動的な再会の抱擁（笑）。カイトもうれしいだろうけど、こちらも同じくらいうれしいのですよ。いっきにほわわわ～んと脳内麻薬ダダ漏れに。カイトもあからさまにデレデレ状態。顔が緩みまくっていて、他の子に「ママ来たんだよ！」と吹聴したり。ママの膝にちょこんと座って、自分で履けるくせにわざと「ママ～、くつしたはかせて～。くつもカイトはけないの～」と甘えたり。照れ隠しなのか、先生にわざとバイバイを言わなかったり。

　保育園の帰り道、自転車の背中ごしに話をするのもまた楽しい。カイトはものすごくおしゃべりなので、乗ってる間じゅうずうっと何かしら話しています。「ほらカイト、梅の花が咲いてる。あれは梅干しの木なんだよ」「へえ、うめぼしの花かあ！　ママ、あっちにもうめぼしの花があるよ！　あっちのお花はピンクだね。カイトはピンクのほうがいいなあ」「ママは白いのが好きだな」「ねえママ、今日はおうちでおやつ何ある？」「んとね、クッキーあるよ」「ああ、じゃあ、かえったらおててあらってー、テレビみながら、ママとクッキーたべよっか！」この帰宅後のお茶の時間が、私とカイトが毎日何よりも楽しみにしている至福のひと時なのです。洗濯物を取り込み、お米を洗ってから、コタツに座って二人でまったりとお茶をすすり、おやつを食べる。ああ、幸せ……！　疲れがほぐれる一瞬です。ちなみにお姉ちゃんは、夕食時まで自室にこもりっきり。ひとりで過ごすのが楽しいという年頃になりました。

　それから夕食とお風呂を経て子供たちを寝かせる夜10時までが、またバタバタ忙しいけれども心なごむ時間。小さい子ってのは、なんでこういつもニコニコと楽しそうなんでしょう。ちょっとの間もじっとせず、部屋中を歩き回ってはどんなものでもオモチャにして遊ぶカイトを見ていると、『アルジャーノンに花束を』のチャーリーを思い出します。賢いことは、必ずしも幸せなことではないんだなあ、と。人間って、何も考えてないまっさらのときは、基本的に前向きで明るく、幸福なんじゃないかと。カイトが「おっぱい～、おっぱい～♪おっぱいが大好きなんだ～♪」というおバカな自作の歌を歌いながら無心に遊んでいるのを見ていると、ああ、ずっとこのままでいられたらいいのに、とついつい思ってしまいます。

　アホな母は時々、真面目な顔でカイトに向かって「カイちゃん、ママね、お願いがあるの。大きくなっても、おヒゲはえないで。ずっとこのまま、かわいいすべすべお肌のカイトでいて！」と真剣に懇願してしまいます。だって、このぷりぷりもちもち顔が、そのうちボツボツのヒゲだらけになっちゃうなんて、イ、イヤだああ！　神様はなんて残酷なんだ！　カイトはママのお願いに素直に「うん、いいよ」なんて言ってくれますが（笑）。男の子は大きくなると、なんだか別の生き物に変わってしまうような気がします。女の子は大きくなってもあまり変わらない気がするんですが。大人になっても、どこかかわいらしいままというか。ひーこも、12歳になって少しニキビが出はじめましたが、お肌はしっとりときめ細かいもち肌で、近づくとふんわりといい匂いがします。でもカイトはそのうち、おっさん臭くなってしまうのか……なんてことだ！って３歳のうちからそんな心配しなくても。

　先日のバレンタインには、カイトは生まれて初めて女の子からチョコをもらいました。お隣の３歳と５歳の女の子から。そしてその瞬間、私は悟りました。男の子の母親ってのは、ホワイトデーの心配もしなければいけないんだと（笑）。まあ、カイトはわけもわからず喜んでおりましたよ。チョコ大好きだから。ああ、そのうち彼女とかできちゃうのね……イヤだなあ、って３歳のうちから（以下略）。ちなみに息子を産んだばかりの私の友人は、今から嫁いびりの方法を考えているそうです。あなおそろしや。でも気持ちはちょっとわかる、うん。

　私と同じ体格になったひーこを見ると、ときどき「この子は誰？」と思うことがあります。あたしの、あの小さかったひーこは、いったいどこに行ってしまったの？　ほんの５年前まで、私の腰くらいまでしかなかったのよ。この子は本当にあの子と同一人物なのかしら？と。子供は恐るべき速度で大きくなってしまうのですね。今一緒に過ごしている時間は、まさに宝物のようなかけがえのない時間なんだ、としみじみ思います。今しか見られないしぐさ、今しか聞けない言葉。ひとつひとつ心にしっかり焼きつけて保存したいと思っているのに、ああ、どんどんデータは上書きされてしまうのです。神様、脳内データのフォルダ容量が足りません！
      
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   <title>第３４回</title>
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   <published>2008-02-28T06:42:38Z</published>
   <updated>2008-02-28T06:43:18Z</updated>
   
   <summary>■ある日のパフューム“ア～ちゃん”村山との会話 “いらっしゃい” “うぃ～す” ...</summary>
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      ■ある日のパフューム“ア～ちゃん”村山との会話


“いらっしゃい”
“うぃ～す”
“今日は遅いね。ビール？”
“うぃっす”

　と返事をしながら奥の厨房に入り、冷蔵庫から大瓶のビアラオと冷凍室に入れて冷やしてあるグラスを取ってくる村山三十三歳ＪＩＣＡビエンチャン事務所職員。ついでに注文伝票にも自分で『ビアラオ―』と記入する。―は数字ではなく増えていく数量を記載する際に使う“正”の字の―だ。カフェ・ビエンチャンの常連はみなこのようにビールは自分で冷蔵庫から、ついでに伝票も責任を持って自己記入が基本となっている。紳士のスポーツであるゴルフのルールと同じであるのは、カフェ・ビエンチャンが紳士の社交場であるということと無縁ではない。

“まぁまぁまぁまぁ”

　ビアラオを自分のグラスに注いだあと、すでに飲んでいたおれのグラスにも注ぎ足してくれる村山。店主に対する大切な儀礼のひとつ。地の神に豊穣を願い、耕作の前には必ず数滴のワインを指先にとり大地に散らしたというシュメールの民を思い起こしていただきたい。今日もおいしいビアラオがいただけるのは、カフェ・ビエンチャンの店主様のおかげです。まぁまぁまぁまぁ…。

“どもどもども”

　と注がれるビアラオを遠慮なく受ける地の神…ではなくカフェ・ビエンチャン店主のおれ。

“おー、今日も新メニューがあるんですね”

　本日の手書きメニューを手に取る村山。ふた昔前のデザインが懐かしい細い銀縁フレームの眼鏡の奥の目が光る。
　パフューム“ア～ちゃん”村山は食い道楽である。日本にいたときも、雑誌などに掲載された美味しいといわれるレストランや食堂には足繁く通っていたらしい。しかし娯楽が極端に少ないビエンチャンに住んでいると、休みといえば食っているか飲んでいるかしかすることがないので誰もが食い道楽になる。新しいレストランがオープンしたと聞けば、必ず一度は行ってみるのがビエンチャン在住日本人の常識だ。別に“ア～ちゃん”村山が珍しいわけでも何でもない。そしておれもその常識に漏れず、うまいと評判の食堂やレストランには必ず通ったものだが、狭いビエンチャンともなればその数にも限りがあって遂におれはその方向をシフトすることにする。“うまい店探し”ではなく“まずい店探し”である。二軒見つけた。一軒はトンカンカム市場の近くにある北京餃子という名の小さな中華食堂。中国人のババアが作る定食の一品に入った黒焦げのハムは、ただ炭の味しかしないというとんでもない代物。しかも焦げた表面をどこまで剥がしていっても炭しか出てこない。分け入っても分け入っても炭の中。どうやって焦がしたものやら見当がつかない一品である。一緒に行ったブルースカイ・カフェの亀田オヤジがあまりのひどさに文句をつけると、作った中国人ババアに髪を逆立てて逆ギレされたというオチまでつく。
　まずいもう一軒はチャオ・アノウ通り。ベトナム物産館の前にあったシンガポール料理の店だ。とにかくここのカレー類は不味いということを通り越して、人類の絶望と悲しみを具現化したゲロとしか言いようのないひどいものだった。旨味ゼロ。甘さ辛さ苦さが混然としながら一体とならずにバラバラと浮遊するのみ。しかもドブの中でハーブが腐り発酵したかのような匂い。口にするや二秒もしないうちに吐き気がこみ上げる。舌があることを呪いたくなる。こんな店を見つけてしまった自分の背中を敬虔なイエズス会士のように永遠に自分で鞭打ちたい。幸いにしてこの店はもうないが、信じられないのは人類の絶望と悲しみを具現化したそのゲロカレーを口にしながら、言うほどひどくなかったですよと平気な顔でおっしゃった人間がいることだ。カフェ・ビエンチャンを作っていたときの現地助っ人第一号『前川“染め屋”佐知』と、後にカフェ・ビエンチャンの重要スタッフとなる『飲んだくれ“ハイな～！”荒』の二人である。いったい彼女らの舌や味覚はどうなっているのか。特に前川“染め屋”佐知の場合は深刻だ。関西の酒蔵の娘なのである。あれではコップに注いで二晩経ったダイエットコーラだって大吟醸だと判定してしまうに違いない。老舗の酒蔵が一つ消えるかもしれない危機である。
　それはさておきメニューを解説するおれ。

“トルコ風揚げ餃子が今日の新メニュー”
“おー。じゃあ、それ一つ”

　パフューム“ア～ちゃん”村山の注文に立ち上がり厨房へ。ちなみにトルコ風と名の付いた餃子ではあるが、トルコとは何の関係もない。もちろんトルコにこんな餃子があるわけもない。焼肉で出していたヤギ肉があったのでミンチにし、クミンを混ぜ込んで餃子の皮に包んだだけの即興料理だ。中東でよく使われる香辛料クミンの風味をしっかりと効かせたので、トルコ風でいいんじゃないかと安易に考えたのである。かつてソープランドのことをトルコ風呂と名付けていた日本人の遺伝子がなせる技であったか。しかしトルコの下に“風”と付けてトルコ風揚げ餃子としたところに注目いただきたい。あくまでも“ふう”である。おれがイメージしたトルコである。つまらぬ偽装などするまいという料理人としての良心である。吉兆には猛反省を促したい。

“うま～い、これ”

　出されたトルコ風揚げ餃子を口にして“ア～ちゃん”村山が叫び声をあげる。

“まあな。トルコ風だからな”
“なるほど”

　にこりともしないで答えるパフューム“ア～ちゃん”村山。痩せた細った体に白いワイシャツ。肉のない腰からすとんと落ちてしまいそうなグレーのスラックスは青山２パンツセールで買ったものか。

“だけどさあ、村山さんてビエンチャンで何してるわけ”

　わたしは訊いた。意味はない。ただ訊いただけ。脳が融けそうになるくらい暑いなかにい続けると意味のある会話など出きなくなるのだ。

“仕事してますよ”
“そうなんだ”
“そうですよ。サラリーマンですよ”
“ＪＩＣＡ職員ってサラリーマンなの？”
“給料もらってますから。ホワイトカラーです。それよりパソコン借りますね”
“またかよ”
“パフュームの新曲が出たんですよ”

　言うや否や立ち上がり、厨房からおれのパソコンを持ち出してくる。

“あのさあ。言っただろ。勝手におれのパソコンにパフュームの曲ぶち込むなよ。しかも動画を。

　原稿を書くかＤＶＤを見るかでしか使っていないおれのパソコンは、いつの間にか“ア～ちゃん”村山のパフューム宣伝機材になり果てていた。ＹｏｕＴｕｂｅでパフュームの動画をせっせとダウンロードしてきてはおれのパソコンにぶち込み、店にやってくる客たちに見せるのである。それが初めてくる客だろうと、日本のアイドルグループなど理解できるはずもない白人旅行者だろうとおかまいなしだ。唄い踊る小娘アイドル三人組の映像を見せながら滔々と英語で解説を加える“ア～ちゃん”村山を前に、アメリカ人の若者三人組がフリーズしていたこともあった。彼らは思い知ったに違いない。人の思惑など一切気にせず自分の思うままに行動する日本のオタクの恐ろしさを。わたしは確信した。“ア～ちゃん”村山に外交を任せておけば日本は安泰だ。
　しかしそれにも限度がある。おれのパソコンの中身はパフュームの映像と曲だらけなのである。五十を過ぎた男のパソコンではない。はっきり言って恥ずかしい。

“嫌なら削除すればいいんですよ。止めませんよ。おー。全然削除されてないじゃないですか。わたしが入れた映像”
“それが問題なんだよ。なぜか削除できないんだ。最近は曲が耳について離れない”
“おーっと。それだけでわたしのビエンチャンでの役目は終わったようなもんです”
“ビエンチャンでの村山さんの役目って援助じゃないの”
“パフュームのプロモーションもです。それより聞いてくださいよ、新曲。これが素晴らしい。オリコンチャートでも一位は間違いなし。コンサートのチケットも即日完売”

　言いながらパフュームと一緒に踊りはじめる“ア～ちゃん”村山。やっぱり彼に日本の外交は任せられないかもしれない。

“あ、村山さん”

　カフェ・ビエンチャンの牛タン中毒・焼肉大王がやってきた。しかしパフュームの映像を見るや留まることなく店の奥の厨房に直行。おれは直感する。映像と“ア～ちゃん”村山の踊りが終わるまで、大王は厨房の大テーブルで一人ビアラオを飲み続けているだろうことを。

“ここの振りがなんとも言えずにいいんですよ”

　映像に合わせて踊り続けるパフューム“ア～ちゃん”村山。ビエンチャンは暇だ。つくづくそう思う。

“そうだ。映画会の機材。事務所から借りてきますね”
“え？　大丈夫なの？”
“大丈夫です。ＤＶＤプロジェクター、任せてください”
“ビール、店のおごり”
“おー”

　かくしてカフェ・ビエンチャンでの定期映画会は実現の運びとなった。素晴らしい。許そう！　Ｐｅｒｆｕｍｅ！

“マスター、牛タン二皿”

　ビールを手に焼肉大王が店に出てきた。

“あいよ”

　厨房に戻る背中にパフューム“ア～ちゃん”村山の声が聞こえた。

“新曲出たんですよ～”

　外交は任せた！　ア～ちゃん！
      
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   <title>ふたりの育児　第38回</title>
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   <published>2008-02-22T08:03:46Z</published>
   <updated>2008-02-22T08:04:06Z</updated>
   
   <summary>　１月下旬に、中学の入学説明会がありました。来春から、ひーこもいよいよ中学生です...</summary>
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      　１月下旬に、中学の入学説明会がありました。来春から、ひーこもいよいよ中学生です。しかも彼女が通うことになるのは、私の母校。まさか親子で同じ学校に通うことになろうとは、当時は夢にも思わなかったわ。説明会は中学の体育館で行われました。ええと、ほぼ30年ぶりに足を踏み入れた勘定になるのかな。いやあ、何もかも皆懐かしい～。思わずきょろきょろとあちこち眺めてしまう。学校ってほとんど変わらないんだなあ。屋根がないから、雨の日は走り抜けないとびしょぬれになっちゃう渡り廊下とか、いまだに昔のまんまだわ。

　校長先生の挨拶のあと、中学では始業が何時で、１日のスケジュールがこんな感じで、授業数はこうで、行事はこんなのがあって、とざっと説明がありました。やっぱり公立中学は土曜休み。６時間授業の日も、週に３日しかありません。私の頃はほぼ毎日あった国語や数学や英語も、週にたったの３授業しかないのですよ。半分じゃん……。それでいて内容はさほど減ってないから宿題が増えるとか。もっと授業増やしてくれればいいのに～。先日ニュースでやっていましたが、ゆとり教育は廃止されるそうですね。でも、それが実施されるのは、なんとひーこが中学を卒業してから。彼女はちょうどゆとり教育がスタートした年に小学校に入学したので、義務教育の９年間まるごと、この弊害を受けてしまったのです。なんとも運が悪いといいますか。

　次に制服の説明。昔は学ランにセーラー服でしたが、今は男女ともにブレザー。２月上旬までに、指定のお店に行って、採寸・注文をしてくれとのこと。体操服もすっかり変わっていました。私の時代は懐かしのブルマーでしたからね！

　そして給食。これが聞いてびっくり。今は事前に配布された献立表を見て、Ａ献立・Ｂ献立（ご飯献立と、パン・麺献立）と２種類の中から選べるそうなんですよ。で２ヶ月前にバーコードの表に注文を書いて提出すると、選んだものが食べられるとか。すげー。お弁当でもいいそうです。これはアレルギー対策かな。しかし、給食は５月スタートだそうで、４月はまるまるお弁当を用意しなきゃならないと言われました。え～、入学してすぐに給食用意してくれないなんて、ちょっとどうなのそれは？

　あとは入学式の説明を受けて終わり。最後の校長先生の言葉が印象的でした。「皆さん、何か質問はないですか？いいですか？　ないってことは、この場で今、私たちと皆さんは、この条件でよいと契約を交わしたということですよ。」そう言われて、はっと身の引き締まる思いがしました。３年間、娘をどうぞよろしくお願いいたします。どうか、楽しく健やかな中学校生活が送れますように。

　余談ですが、私は学生生活の中では中学が一番面白かったのですよ。小学生はガキんちょすぎるし、高校生は同じレベルの子ばかりで、あまり飛びぬけて変わった人がいなかった。でも、中学はものすごくいろんなタイプの子がいたのです。クラスも当時は10クラスで、１学年400人以上いたし。家庭環境もさまざまで、まだ半分子供だから性格もみんなむき出しで。今思い出してもヘンテコな子ばっかりでしたよ、って自分もそうだったんだろうけど。日々新しい出来事があって、いつもはしゃいでいたような気がする。いまだに小さいエピソードをいっぱい覚えていますよ。ひーこもこの学校で、あんな楽しい毎日を過ごしてくれたらうれしいな。彼女は今、どの部活動に入るかを一生懸命考えているみたいです。

　今はケータイやネットがあるので、それらから発生するいじめなどの問題がやはりどこの中学もあるんだとか。校長先生は「持たせないのがベストですが、もし持たせるのなら親御さんが責任をもって下さい」とおっしゃっていました。ケータイのことでは、我が家でもいつも問題になっているんですよ。ひーこは「買って、買って、なんで買ってくんないの、皆持ってるのに～」攻撃。私は「ダメ。とにかく今はダメ」という徹底抗戦。まだはっきり決めてはいませんが、高校生になるまでは持たせるつもりはありません。わざわざ揉め事のタネになるようなものを与えるなんて無意味だと思うので。「よそはよそ、うちはうちです！」って子供の頃、私もさんざん聞かされたわ、その言葉。

　その週末に、家族で制服の注文に行ってきました。紺のブレザーにグレーのプリーツスカートの試着をしたひーこは、なんとも照れくさそうな表情。でも、６年ぶりにスカート姿を見た母としては、なかなか感動的なものがありましたよ。おお、ちゃんと初々しい女子中学生に見えるじゃないですか！　馬子にも衣装！　今のショートカットも中学生らしくて似合うよ、ってただの親バカですね。実際にこういう姿を目にすると、親としても、本当にこの子が春から中学に通うんだなあ、という実感がひしひしと沸いてきます。ちょっと誇らしいような、でもなんだか泣きたくなるような、じいんと心がしびれるような気持ち。彼女にも「どうよ？」と聞いてみましたが、特に感想はなかったものの、ちょっと頬がゆるんでるような。どうやらまんざらでもなかった様子。しかし、上履きや学校指定のカバンや体操服などを含めた、トータル金額を聞いて呆然。しめて６万６千円……！　公立なのにこの金額とは。制服おそるべし。

　ひーこの卒業式の服装も考えなくては。私の時代は、生徒は中学の制服を着ていったものですが、今はなんでもいいらしくて、これまた悩むところ。にしても卒業式ですか……。思い起こせば、ひーこの保育園の卒園式のときは、自分でもびっくりするくらい、最初から最後までぼろっぼろに泣いてしまった私。果たして今回はどうなることか、今から不安です。やっぱり大きめのタオルハンカチが必要かな……。
      
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   <title>第３３回</title>
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   <published>2008-02-15T08:03:40Z</published>
   <updated>2008-02-15T08:04:04Z</updated>
   
   <summary>■天国に行きたくなったらラオスで酒を飲めばいい 　カフェ・ビエンチャンにやって来...</summary>
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         <category term="カフェ・ビエンチャン、ただいま営業中！" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      ■天国に行きたくなったらラオスで酒を飲めばいい

　カフェ・ビエンチャンにやって来る客は、店主にとってありがたいことに、ほとんどが大酒飲みばかりでありながら、まったくと言っていいほど手のかからない客ばかりだった。というのは以前にも書いたが知ったことかと何度でも書くのは歳をとったからだ。
　で、客たちのこと。やって来る客のほとんどは、酔って絡むとか暴れる泣く狂う偉そうにするといった、酒飲みたちが少なからず持ち合わせている劣酔遺伝子の発露もなく、みなそれぞれのテリトリーを店の中で作りながら、それぞれの世界で酔っぱらっていることを基本とした酒飲みの手本のような素晴らしい客ばかりだった。たまに三〇数度の気温下であるにもかかわらず、氷点下のぺテルスブルグで物乞いしているホームレスみたいなニットキャップをかぶってうろつく言語障害気味の若い旅行者や、ビザの書き換えにバンコクからやって来る頭の中がＳＥＸという文字でいっぱいの天ぷらオヤジどもが混じることもあったが、それも目立たない店構えのためかごく稀で、店はいつもおだやかに楽しく煙たく（これは牛タンを焼く煙であります）過ぎるのが常だ。客のほとんどがビエンチャン在住者ということが理由だったのかもしれない。
　どういうことか。
　こうだ。
　ラオス人はとにかく酒好きだ。夜ともなれば皆ビアラオで酔っぱらっている。休みの日は朝から家の前に出て酔っぱらっている。しかし特徴的なのは、酒を飲みながら仕事の話をしたり議論をしたりがほとんどないのだ。だから言い合いをしたり絡んだり喧嘩をしたりもほとんど見ない。ただ陽気に歌って踊ってという酒なのである。ついでに言えば小娘ども小僧どもをくどいているだけの酒である。そんなラオス式酒飲みの空気が在住者に染み付いてしまったに違いない。だからカフェ・ビエンチャンに来る客は、ただただ陽気に酒を飲むだけ。それが徹底していた。ユウさんの店で喧嘩をしていた青年海外凶力隊員諸君は、おそらく在住歴が短いということだったのだろう。酔ったら笑え楽しめ歌え踊れ。ならば天国はそこに現われる。そしてカフェ・ビエンチャンは夜な夜な天国になった。
　みたいなことを書くと、何を大げさなという声が必ず聞こえてきそうだが、天国なんて所詮は思い込みだ。思わない奴にはどうやったって見えはしない。おそらく幸福ってやつもそうなのだろう。実際にあるかないかではない。ポール・サイモンは唄ってる。気持ちよくなっちまおうぜ！　そうすれば人生最高さ！　イエィ！　これはマリファナ吸ってハイになってる歌だけど、気分的にはそういうこった。
　ちなみにカフェ・ビエンチャンで劣酔遺伝子を発露した客というのが二人だけいて、一人はアル中のカナダ人。名前はバンクーバー。カナダのバンクーバー出身だということで勝手に名付けたのだが、この男はとんでもない性悪アル中だった。歳は三十二，三といったところか。短く刈り込んだ髪。長袖ワイシャツにコットンパンツという服装はどう見ても旅行者ではないが、その服がうっすらと汚れているように見えるのは在住者でもないということか。要するに正体不明。怪しい男だった。
　初めて来た夜は、何事もなく終わった。持っていたトランプでマジックまで披露し、なかなかに陽気で楽しい酒だった。だが次の夜に現われたバンクーバーの様子は前夜と一転していた。陽気さは影を潜め鬱の雲が頭の上を漂っているのが見えた。そして飲むほどにその雲は厚くなっていった。
　閉店を告げた。するとどうだ。酒代が違うと難癖をつけ路上にウンコ座りしたような目つきで睨みつけてきやがったのだ。そのうえクズだの嘘つきだのとさんざん悪態吐いて金を払わずに出て行こうとする始末。なめられてたまるかとおだやかに、しかし極真空手高段者のような目つきで睨み返してやったのは言うまでもない。
「払いな」
　だがバンクーバーは筋金入りのアル中だった。さらにカフェ・ビエンチャンに来る前から流し込んでいたアルコール量も限界をはるかに超えていたようで、極真空手の恐ろしさを理解できる状態ではなかった。
「クズ野郎！」
　言いやがった。故大山倍達の霊がわたしの背中に降りてきて乗り移ろうと構えていた。
　延々と続くかと思われた睨み合いを収めたのは、たまたま店にいたフランス人旅行者だ。やばいと思ったのか、それともわたしの背中の大山倍達に気づいたのか、フランス語を解するらしいバンクーバーにフランス語で話しかけ、なだめすかした末に金を払わせて追い出してくれたのである。
「あいつは駄目だ。相手にしないほうがいい」
　素敵なフランス野郎の言葉におれ（えー、突然ですがここから人称は“おれ”に戻ります。理由はありません）は頷いた。
「御意！」
　しかしバンクーバーはアル中によくある性格を発揮して、翌日もやって来る。
「今日は酔っぱらってないから飲ませてくれ」
　言いながらふらついていた。おれは見ていた。バンクーバーが昼間から近所のフルーツジュース屋で浴びるようにビールを飲んでいたのを。ジュース屋でビールだぜ！
「帰りな。お前には酒は出さんよ」
「頼むよ。明日はベトナムに発つんだ。ビエンチャン最後の夜なんだ」
　アル中の言葉は新婚夫婦の愛の誓いみたいなもんだ。ほとんど信用できない。案の定だった。バンクーバーは翌日も顔を出したのだ。ベトナム行きはどこかに消えてなくなったようだった。
「やあ。今日は素面だぜ。本当だ」
「何言ってやがる。昼間、ビアラオ手に持って歩いてるのを見たぞ」
　ビエンチャンは狭い。アル中が隠れて酒を飲む場所など存在しない。
　結局バンクーバーは四日ほどカフェ・ビエンチャンにやって来たが、そのたびに追い返されて姿を消した。
　劣酔遺伝子が発露した二人目は常連客のウインさん。日系の運送会社を取り仕切っているミャンマー人。酒好きでいつも泥酔しているが気持ちのいいオヤジである。しかしその夜の泥酔は度を越していた。牛タンをさんざん食い、持ち込んだジョニ黒を隣り合わせた客と飲み干すや、おれが厨房で料理作りに追われているのを知ってか知らずか、いや、おそらく酔っておれのことなど眼中にもなく、金を払わないで帰ってしまったのである。客に知らされたおれは叫んだね。
「無銭飲食だあっ！」
　翌朝、電話をかけるとあわてた声でおっしゃった。
「あ、あ、あ、クロダさん。いまどこにいるの？　すぐ行く。いくらいくら？　わかってるわかってる。すぐ行く」
　すぐに飛んできた。
「いやあ。払ってなかったんだよね。ごめんね。払ったと思った。酔っぱらってね。あ、どこ行くの。ノンカイ？　買い出し？　車で送っていく。大丈夫。乗って乗って」
　まったく楽しくてこまったオヤジだ。
　さてここでいよいよ登場するのは、パフューム“あ～ちゃん”村山である。じつは前回パフューム“アーちゃん”村山と書いたところ、当人からチェックが入った。パフュームはＰｅｒｆｕｍｅに。“アーちゃん”の音引きは“～”にして、“ア”は“あ”に直してくださいだと。
　Ｐｅｒｆｕｍｅというのは、現在ヒット街道驀進中のオタク系テクノポップ・三人組小娘アイドルグループの名前である。そのなかの一人が“あ～ちゃん”と呼ばれる小娘。そう。ご察しのとおり、ＪＩＣＡに勤めるパフューム（変換が面倒くさいからこのままにする！）“あ～ちゃん”村山は、この小娘アイドル・グループの熱狂的オタクファンなのだ。まだメジャーとなっていなかったグループを、仕事であるラオスへの援助もそこそこに、他の客の迷惑も顧みずカフェ・ビエンチャンで勝手に曲を流し連夜一人プロモートし続けた恐るべき男。そして一方でカフェ・ビエンチャンでの映画館設営を機材面で強力にサポートしてくれた男である。
「恐縮です…」
　さて。パフューム“あ～ちゃん”村山が来たようだ。
      
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   <title>ふたりの育児　第37回</title>
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   <published>2008-02-12T06:57:02Z</published>
   <updated>2008-02-12T06:57:40Z</updated>
   
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      　新生児の頃も、１歳も２歳もかわいかったけど、カイトはやっぱり３歳の今が最高にかわいいと思う今日この頃。かわいさを毎日更新し続けております。ってすいません、単なる親バカですが（笑）。

　毎朝、布団の中で目を覚ますやいなや、「ママ、おはよう」と言いながら私の唇にチュッ。そして「カイトはママがだいすきだよ！」のセリフつき。朝っぱらからそんなに熱烈な告白をされていいんでしょうか。いやあ、母親が息子にメロメロになるわけがよくわかりましたよ。しかもカイトは朝だけでなく、昼だろうが夜だろうが人前だろうが、所かまわずママにチュウしてくるのです。熱烈すぎますよ！（笑）保育園にお迎えに行ったときに「ママ、あいしてる～」と言われたときにはさすがに周囲を見回して赤面してしまいました。け、決していつもママがパパに言ってるわけじゃないんですよ！　カイトにはしょっちゅう「カイト、愛してるよ」と言ってますが。

　さらには人の顔をまじまじと見て、「ママってとってもステキだね～」「ママのお鼻って、なんかステキじゃない？」、髪を切ってくれば「あれ、なんかママ、かみのけがちがうよ。なんか、いいじゃん、それ。なんかかわいくなってるじゃん」などと、ことあるごとに殺し文句を使ってくるのですよ。キミはどこのホストですか？（笑）そんなにほめても何も出ませんよ？　でもこっちも言われれば悪い気はせず、ついつい顔がゆるんでしますのですが。ていうか、今までの人生で、こんなに異性にほめられたことないよ……。男の子にとって、母親ってそんなに魅力的な存在なんですかねえ？

　そして男の子はやっぱり３歳児でも立派な「ダンスィ」なんですね。ええと、「ワルガキ」といったらいいのかな。とにかくアホでスケベで食いしん坊（笑）。下ネタとおふざけが大好き。「お、お姉ちゃんはこういうことはやらなかったぞ！」とあきれるような、アホたれなことばかりやらかしております。

　たとえばママが台所に立っていると、後ろからママのお尻に顔をうずめてくんくん匂いをかぎ、「くせっ！」と叫んでゲラゲラ笑いながらダダダッと走り去る。だったらかぐなよ！と思うんですが、それを１日に何回もやるんですよ。まったく、どっから覚えてくるんだ、そんなこと。やはり保育園なのか？それともカイトのオリジナル？　そして下ネタが大嫌いなお姉ちゃんは、それを聞くたびに激怒しております。そんなの、３歳児にいくら言いきかせたってムダだってば。

　アホっぷりは数え切れないのですが、ほかには「おしっこ！」と叫ぶので「まだよ！まだダメよ！」と言いつつズボンを脱がせてやると「はやくはやく～！出ちゃう～！」と叫びながらなぜかフルチンのまま隣の部屋の隅まで走っていくとか。出ると言いながら、なぜトイレに直行しないのだ。まったくおふざけが過ぎますよ。

　スケベっぷりですが、先日テレビで全国の珍しい名産品を紹介してる番組があったんですよ。そのひとつとして「おっぱいプリン」というのが登場したんですね。はい、その名のごとく、いわゆるおっぱいの形をしたプリンです。カイトはそれを見るなりキラキラと目を輝かせて、「わあ！カイ、おっぱいプリン食べた～い!!」と恥ずかしげもなく絶叫。そ、そうかい（笑）。あれはなんというか大人のギャグなんだけど、そんなに真剣に食べたいのかキミは。そのあまりにストレートなコメントがおかしくて、お姉ちゃんと一緒に爆笑。じゃあ今度見つけたら買ってあげるよ。そうだ、うれしそうに食べてるところを証拠写真撮っておいて、将来見せてやるのもアリかも、と鬼のようなことを考える母。

　先日は「肩までお風呂に入りなさい」と言ったところ、「ダメだよママ、こどもは肩までおふろにはいれないんだよ、だっておくちまでお湯にはいっちゃうから」という言い訳を。確かにキミは１歳くらいの頃は首がなくて、肩まで沈めると口までぶくぶく漬かっちゃってたが、さすがに３歳の今は平気だろうが。でもまあそう言うなら、と思って「じゃあ、肩じゃなくていいから、カイのおっぱいのところまでお風呂に入りなさい」と言ったらニヤリと笑って「え～なんかそれ、ちょっとエッチ～」と切り返されました。こ、このエロ息子め！

　床に寝転がって、わざとうっかりをよそおって親にお腹をむぎゅっと踏んづけてもらってゲラゲラ大喜びとか、「オッパッピー」や「ラララライ、ラララライ」とお笑い芸人の真似をして踊ったりとか、アホネタは尽きません。いやあ、ホントに男の子って面白すぎです。小学校の頃の、クラスのバカ男子たちを思い出しますよ。愛すべきおバカ。そういえば最近のカイトの口ぐせは「おバカちゃん！」。や、それはまさしくキミのことだって！
      
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   <title>第３２回</title>
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   <published>2008-01-28T05:05:21Z</published>
   <updated>2008-01-28T05:05:43Z</updated>
   
   <summary>■雨が降っても踊れば楽しい 　最初に勤めた会社は北海道内にいくつもの映画館を持つ...</summary>
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      ■雨が降っても踊れば楽しい

　最初に勤めた会社は北海道内にいくつもの映画館を持つ大手の興行会社だった。仕事はできないが、盛り場に繰り出すことだけは熱心な上司がよく飲みに連れて行ってくれたことと、会社の映画館はもちろん札幌市内にある映画館がフリーパスで入場できたこともあって、給料はラオスの公務員並みに安かったけれど天国のようなサラリーマン生活を送ることができたことを覚えている。ちょうど、映画産業が深海に沈み込んだまま浮上できなくなった潜水艦状態の時期でもあった。働いている人間もわたしを含め、アルバイトでそのまま居残ってしまった二十代ばかり。いつ潰れるかわからないような会社だったのでベテラン社員は次々と辞めて慢性的な人員不足。だから入って二年も経つと映画館四館の広告宣伝費をすべて任され、上映する映画の宣伝を取り仕切る立場になっていた。それをいいことにその宣伝費を使って半分以上は映画と関係のない読み物の載ったフリーペーパーを作ったり、お蔵入りとなった映画を借り出してきて映画祭を組んだりとやりたい放題だった。毎日新作映画の業務試写を見ることに明け暮れ、まだパソコンなどない時代、上映映画の新聞広告をスチール写真や写植文字を切り貼りして作っていた。もともと映画は好きだったし、文章を書くこともイラストを描いたりすることも好きだった。その好きだったことが仕事になっていた。深夜興行勤務がはねて事務所で酒を飲みながら同僚たちと話すことといえば、見た映画と読んでいる本と気になった広告と好きな音楽のことばかりだった。天国はそこにあった。青春だった。幸福だった。
　さて世にいうノワール小説やハードボイルド小説においては、このような幸福な前章の後には、一転して必ず長い不幸と転落の歴史が語られはじめるというのがパターンである。実際の人生においては幸福な人生とはファンタジーにすぎない。不幸と悲惨こそがリアルというわけだ。たとえばこうなる。
　父親は会社の金を横領して行方不明。母親はパートに出た土建会社の社長に犯され覚せい剤を教え込まれて闇金の世話に。姉は会社帰りに暴走族にまわされ妊娠発狂。ぐれた高校生の妹は頭のいかれた恋人と手に手を取って大学生のカップルを拉致監禁し、なぶり殺した末に金品を奪って山中に埋め逃走そして逮捕。主人公のおれは勤めていた映画館がつぶれて職を失ったあとは、家族の悲惨も重なって、何をやっても長続きせずに酒浸りの日々。たまたまバイクに跳ね飛ばされ見舞金をせしめたことをいいことに、当たり屋まがいのことをはじめたが誤って大怪我を負い右足が不自由になって、ついでに当たり屋のことが発覚し逮捕され刑務所行き。刑務所内では刑務所内で、体が不自由なことに目をつけられて房の主の男色相手として弄ばれ心身ともにボロボロになった末、捨てられるようにして外の世界に放り出される。
　行き着いたのはお決まりのコース。ホームレスだ。それだって新参者として泊まれるところがあるわけでもなく、古参者から逃れるようにして盛り場のビルの狭間に犬の糞のように横たわる日々。ビルに切り取られた夜の空を見上げても涙の一滴も出やしない。あるのは絶望に塗り込められた漆黒の闇だけだ。だがおれはまだ覚えている。闇をことさらに黒くするには赤い色を加えなければならないということを。赤。この腐った人生を焼き尽くす血の色だ。おれの名前？　たぶん、花村星周…。
　こうなってくるともう筒井康隆ワールドに突入だが、とにかく何を言いたいのかというと、不幸と悲惨ばかりが人生じゃないと言いたいのだ。リアルじゃないと言いたいのだ。実際には楽しいことが目白押し。延々と幸福が続く人生というのは存在するのだ。幸福な時間の第二章が、一転してノワールになってしまうことこそファンタジーだ。
　嘘だって？　嘘じゃねぇよ。おれがそうだもん。ああ、いかん。いい歳をして“もん”などという言葉を使ってしまった。実を言うと昨晩飲みすぎてまだ酔っぱらってます。気持ち悪いです。で、話の続き。
　人生楽しいことばかりというのは、あるのだ。さっきも言ったが、二十代前半においてわたしは楽しく幸福なサラリーマン生活を謳歌していたのだが、もっと楽しくなりたくて会社を辞めて自前の映画館を作った。金はなかったが何とか作った。十年間やった。やってる間に小さな雑誌を作って編集者もやった。どれも儲からなかったが存分に楽しんだ。映画館を潰したあとは、やることがないので物書き業になった。でももともと好きだったからこれまた楽しかった。時間ができたので、仕事ついでに世界のあちこちを旅することもできた。楽しかった。世界のあちこちを見てまわったら外国に住んでみたくなった。どうせ住むなら酒場をやってみたくなった。大好きな料理作りができるし、大好きな酒が飲める。ついでに店も自分の手で金槌ふりまわしながら作りたくなった。小学校の工作の時間が大好きだったことを思い出したから。で、ビエンチャンを見つけた。
　考えてみると最初に映画館に勤めて以来、わたしは好きなことばかりをやって暮らしてきたのだ。もちろんアクシデントもあった。意に染まないことをやらなければならないこともあった。病気もした。金はずっとなかった。しかしそのどれもが楽しかった。脳がお天気と言うなら言えばいい。人生わざわざ自分で自分に雨を降らせる必要もないだろう。しかし雨に濡れても踊れば楽しい。わたしはジーン・ケリーにそのことを学んだ。リスクやアクシデントを楽しめないなら、一生サラリーマンをやっていればいいのだ。
　そこでようやく本題だ。
　カフェ・ビエンチャンで映画を上映することにした。おいしい料理を食いながら酒が飲めて好きな音楽を聴きながら読んだ本を語り映画を見ることができる店。格好つけて言えば文化メディアとして機能する店。小さなコンサートをしたり詩の朗読会をしたり、そして映画を上映したり雑誌を発行したりする店。以前行ったことのあるイタリアの書店では、どこも文化の発信基地として本だけにとらわれずにあらゆることをやっていたものだ。ある書店など、店の真ん中にグランドピアノが置かれた小さなステージがあったりして驚いたが、そんな店を密かにカフェ・ビエンチャンの理想形としていたのである。そしてゆくゆくはインターネットを使って現地発信の旅番組を作ってみたい。その第一歩が映画上映だった。
　ちなみに現在は本が売れないということで出版界や書店業界は大変な時代になっているのだという。特に書店だ。本が売れなくて天を向いている店主さんの話をよく聞く。しかし日本全国どこも同じような店づくり。すべては本まかせ。店として楽しくないのだ。驚きがないのだ。それでは売れないのも当然ではないか。
　ではどうすればいいのか。サイン会だけじゃなく、いろいろなイベントを組め。作家のトークショーをやれ。ファッションショーをやれ。料理教室を開け。模型の展示会をやれ。小演劇をやれ。映画を上映しろ。本を中心にさまざまな顔があらわれる“場”として考えるのだ。書店をもっと面白い場として客を集客し、それらのイベントに重ねて一緒に本も売るのだ。と三十年近く前に知り合いの書店の店長さんに進言したのだが、実現されることはなかった。でも今からでも遅くはない。それだけ本が売れないなら、何でもやってみるチャンスだと思うのだがいかがだろう。わたくし、これから書店経営アドバイザーとして生きていきます。御用の節はぜひ。
　ということで書店についてはさて置いてメディア酒場カフェ・ビエンチャンである。
　二〇〇六年十二月二日土曜日。午後五時半開場・六時上映開始。料金三〇〇〇〇キープ。ビアラオ一本とおつまみ付き。上映する映画は北野武が監督した、大好きな『あの夏、いちばん静かな海。』。
　二十人ほどのお客さんが来てくれた。うれしかった。客の入りなどどうでもいい。大切なのは自分自身が楽しんでいることだ。そして映画を見たあとは、店で酔いながら映画について語りつくせぬ思いを話しあおう。映画と音楽と本。そして酒と美味しい料理。興味のない人にとってはどうでもいいことかもしれないが、わたしにとっては大切なものだ。
　以降“土曜キネマ館”ときには“日曜キネマ館”と名付けられた映画館が、毎月一日だけカフェ・ビエンチャンに登場することになった。そしてその上映に大いに力を貸してくれた恐るべき男が登場するのである。
　パフューム“アーちゃん”村山である。
      
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   <title>ふたりの育児　第36回</title>
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